第12話 逆転の親族会議(裁判)
アルヴェイン公爵家全土の運命を決める『親族会議』の朝は、嵐の前の静けさのように、ひどく静まり返っていた。
冬の薄く冷たい陽光が、公爵邸本館の広大で豪奢な廊下を白く、白骨のように照らしている。高い窓ガラスの向こうには、どん層とした重い曇り空。雪こそ降っていないが、屋敷中の空気は弓の弦のように限界まで張り詰めていて、今日という日が“ただの定例会議”では絶対に終わらないことを、壁や柱の軋む音すらもが知っているようだった。
「……ついに来ましたね、この日が」
私は、北棟の控室の大きな姿見の前で、自分のメイド服の純白の襟をピシッと整えながら、小さく、しかし熱い息を吐き出した。
ついに来た。
親族会議――という名の、実質的な『異端審問裁判』である。
表向きの議題は「最近の公爵領の飛躍的な領地運営の報告と、家内に蔓延る不正疑惑について、親族間で平和的に確認を行う場」。
だが、その血生臭い実態は全く違う。
継母であるエルザ夫人と、その取り巻きの親族たちは。今日、この公的な場で、レオン様に“隣国との国家反逆レベルの内通疑惑”という特大の濡れ衣を着せ、一気に彼の政治的立場と命を奪い去るつもりでいる。
それはつまり、私たちが昨日、執務室で発見したあの『偽造手紙』を、決定的な切り札(証拠)として公衆の面前で突きつけてくるということだ。
……もっとも。
彼らが命懸けで仕込んだその切り札(偽造手紙)は、すでに私の【整理整頓魔法】によって“産業廃棄物”としてゴミ箱へホールインワンした上で回収済みであり。
むしろ代わりに、彼ら自身が隠していた“本物の裏帳簿と、隣国との違法な密通の確たる証拠”が、完璧なプレゼン資料としてこちらの手元に揃い踏みしているのだけれど。
「ふふふ……特大ざまぁの準備、完全無欠に万端……!」
思わず、悪役令嬢のように口角を釣り上げて小さく拳を握りしめた、その時。
「クロエ」
背後から、チェロの低音のように響く静かな声がして、私はビクッと肩を震わせて慌てて姿勢を正した。
「れ、レオン様!」
振り返った瞬間、私は思わず呼吸を忘れて息を呑んだ。
わかっていた。
今日の彼がどれほど気合いを入れた格好をしてくるか、着替えを手伝った(※外で待機していた)私自身が一番よくわかっていたけれど。
やはり、完成された推しのフル装備の姿は、何度見てもオタクの心臓への破壊力が高すぎる。
今日のレオン様は、公爵家の正統な嫡男としての『最高位の正装』に身を包んでいた。
夜空のように深い紺色を基調とし、アルヴェイン家の紋章が銀糸の緻密な刺繍で施された軍服風の礼装は、過剰な宝石の飾り気こそないが、そのぶん彼の圧倒的な肉体のポテンシャルと存在感を際立たせている。
肩にかかる銀灰色の髪は一糸乱れぬほど美しく整えられ、首元まできっちりと閉じた服の隙のなさが、かえって見る者をひれ伏させるような禁欲的な色気と覇気を漂わせていた。
そして何より、その表情。
冷たい。
どこまでも静かで、名刀のように研ぎ澄まされていて、一切の隙がない。
ああ、だめだ。
顔が良すぎる。国宝を超えて世界遺産レベルだ。
今日の推し、完全に“愚者を地獄へ突き落として断罪する側の、冷酷無慈悲な美形権力者”のオーラが仕上がりきっているんですが。
「どうしました」
レオン様が、私の硬直した顔を見て、わずかに不思議そうに長い睫毛を伏せて目を細める。
「そんな、幽霊でも見たような顔をして」
「い、いえ……本日も、神々しいほどに大変お麗しく……絵画から抜け出たようで……」
「そうですか」
「はい。目の保養です。ありがとうございます」
「なら、よかった。あなたのために誂えた服ですから」
さらっと、流すようにとんでもないことを言われた。
しかも、ほんの少しだけ、冷酷だった口元が微かに緩んでドヤ顔になったので、たぶん私の限界オタク特有の褒め言葉がかなり嬉しかった(まんざらでもない)のだろう。
「レオン様。……緊張していますか?」
私が、少しだけ心配になってそう尋ねると。
レオン様は、手袋越しに自分の長い指先を見つめ、少しだけ視線を落とした。
「……全くしていないと言えば、嘘になります」
「そうですよね」
私は、彼の傍へ歩み寄り、そっと頷いた。
いくら今のレオン様が、泣く子も黙る氷の覇王として成長し、証拠も十二分に揃っていて、私のバグ魔法による裏工作の準備が完璧だとしても。
今日この場で対峙し、彼自身の手で断罪して社会的に殺さなければならない相手は、彼を長年苦しめ続けてきた“血の繋がった家族(親族)”なのだ。
ただの赤の他人の政敵を潰すより、よほど精神的に厄介で、よほど心の根が深い。
けれど彼は、すぐにまた顔を上げ、私の目を真っ直ぐに射抜いた。
「ですが。今日で、すべてを終わらせます」
「はい」
「七年間。あなたと出会う前の、あの暗闇だけの地獄の歴史に。今日で完全に終止符を打ちます」
その声音は、静かだった。
けれど、一切の揺らぎや迷いがない、純度の高い絶対零度の決意だった。
私はその横顔を見て、胸の奥が熱い涙でじんと滲むのを感じた。
本当に、立派になった。
もう、地下室でただ理不尽に傷つけられ、怯えて泣くしかできなかった無力な男の子じゃない。
自分の足で堂々と立ち、自分を陥れた者たちを自らの手で裁き、奪われたすべての尊厳と未来を取り返しに行ける、最強の男になったのだ。
「クロエ」
「はい?」
「会議の間。私のすぐ後ろで、私の傍にいてください。一歩も離れないで」
「もちろんです。あなたの影として、この命に代えても」
私が即答すると、彼は一瞬だけホッとしたように目を伏せ、そして、これ以上ないほど美しく、残酷な笑みを浮かべた。
それだけで、彼にとっての最大のバフ(勇気)としては十分だった。
◇ ◇ ◇
そうして、運命の親族会議の時間が来た。
アルヴェイン公爵家の大会議室は、本館の最も奥深く、屋敷の中心部に位置している。
普段は、領地に関する国家規模の重要決定や、親族間の血みどろの調停に使われる、ひどく格式ばった重苦しい空間だ。
天井まで届く重厚な黒檀の扉、血のように赤い絨毯、数十人が座れる巨大な楕円卓。壁には歴代の公爵たちの厳格な肖像画がずらりと並び、その死者たちの視線が、今日ばかりは妙に生きているような圧迫感を持って私たちを見下ろしているように感じられた。
私たちが扉を開けて中に入ると、すでに主要な親族たちは全員、楕円卓に着席していた。
上座の中央には、現公爵である父親。
そのすぐ右隣に、これ見よがしに豪華なドレスを着飾った継母、エルザ夫人。
さらにその隣には、御前試合でおもらしをして以来、すっかり卑屈に太った義弟アルベルト。
他にも、夫人派の叔父や伯母、遠縁の有力貴族たち、屋敷を管理する家令、会計の全権を握る監督役、そして武力を担う古参の顧問騎士団長まで、ずらりと顔を揃えている。
全員が、表向きは“厳粛で公平な顔”を装っている。
だが、その内側で渦巻いている、レオン様の失脚を望むドス黒い期待や、不安、そして下世話な好奇心は、空気を通していやでも肌にビリビリと伝わってきた。
そして――何より、エルザ継母は、完全に勝ち誇っていた。
レオン様が入室してきたのを見た瞬間、彼女の目に浮かんだ狂喜と優越感の光を見ただけで、私は確信した。
あのクソババア、完全に“自分の大勝利”を信じて疑っていない。
自分が仕込んだ『偽造手紙』を決定打として使い、この場でレオン様を国家反逆罪として失脚させ、地下牢へ送るという完璧な未来のシナリオを、もう一ミリも疑っていない傲慢な顔である。
……残念でしたね。
地獄行きの片道切符、今あなたが握りしめているのはレオン様の分ではなく、あなた自身の一族郎党全員分のチケットですよ。
「――これより、アルヴェイン公爵家・定例親族会議を執り行う」
会議の進行役を務める、夫人派の年配の叔父が、重々しく木槌を叩いて名を呼ぶ。
「嫡男、レオン・フォン・アルヴェイン。前へ」
「はい」
レオン様は静かに一礼し、軍靴の音を響かせて、巨大な卓の反対側、全員の視線が集中する中央へと歩み出た。私は、完璧な無表情のメイドとして、彼の斜め後ろにピタリと影のように控える。
彼のその所作は、一切の無駄がなく、恐ろしいほど堂々として優雅だった。
十七歳の青年にしては、あまりにも王者の風格として完成されすぎている。
ざわり、と。
夫人派の親族たちの間で、空気が不穏に揺れた。
わかる。
彼らも、本能で感じ取って恐怖しているのだ。
いつの間に、あの怯えていた無能な子供が、こんな手を出してはいけない本物の『怪物(覇王)』へと育ってしまったのか、と。
かつて北棟に汚物のように追いやられ、存在しないもののように扱われていた嫡男が。
今や会議室の中心で、当主である父親すら霞むほどに、誰よりも強大で冷酷な存在感を放っているのだから。
「本日は、最近の飛躍的な領地経営に関する報告と、並びに……公爵家内部で囁かれている、看過できない『重大な不正疑惑』について確認と糾弾を行う」
進行役の叔父が、エルザ夫人と目配せをしてから口火を切る。
「特に、我が国の国境を脅かす、隣国ベルグラン王国との『不穏な内通の接触』があったという重大な報告について――」
そこで。
待ってましたとばかりに、エルザ夫人が派手な音を立てて扇を畳み、立ち上がった。
「その件に関しましては、この私から、直接皆様に申し上げますわ」
きた。
三流悪役特有の、自ら破滅への地雷を踏み抜きに行くスタイル。
「実は最近、この由緒正しきアルヴェイン家において、非常に恐ろしく、嘆かわしい事実が発覚いたしましたの」
夫人は、さも心痛に耐えかねる悲劇の母親のような、わざとらしい顔を作る。
「私も、我が子同然の彼を信じたかった……。信じたくはなかったのですが……レオン様の北棟の執務室、その最も奥深い場所から。あろうことか、隣国との『国家反逆レベルの内通』を示す、恐ろしい密約の手紙が見つかりましたのよ」
ドワァッ!! と、会議室が劇団のサクラのようにわざとらしくどよめく。
父親――公爵が、驚いたように眉をひそめ、机を叩いた。
「なんだと!? それは誠か、エルザ!」
「ええ。紛れもない事実ですわ、旦那様」
夫人は深刻そうに頷き、言葉を続ける。
「あの子は、自分が管理を任されている霊薬園の流通ルートを悪用し、あろうことか我が軍の『国境警備の機密情報』を、隣国へ売り渡そうとしていた形跡がございます。もしこれが事実なら、公爵家のお家騒動どころか、国家への明確な裏切り。一族連座で処刑されかねない大罪ですわ……!」
芝居がうまい。
腹立たしいほどに、息を吐くように嘘をつくのがうまい。
隣で、義弟のアルベルトも、母親の援護射撃とばかりにもっともらしい顔で口を挟む。
「やっぱりそうだったんだ! 兄上がここ数年で、急に莫大な資金を得て力をつけたのも、ずっと不自然だと思っていたんです! 裏で隣国のスパイと結託して、資金援助を受けていたとすれば、すべて説明がつくじゃないですか!」
ふざけるな、この豚。
レオン様がどれだけ血を吐くような努力をして、私がどれだけ深夜に霊薬の畑の草むしりをして資金を稼いだと思ってるんだ。全部私たちの正当な努力の結晶だぞ。
私は一瞬、怒りでメイド服のポケットに隠し持っていた果物ナイフを握り込みそうになった。
だが、私の斜め前に立つレオン様は、微風一つ受けていない大木のように、ピクリとも動かない。
蒼い瞳は、ただ底なしに、氷のように静かだった。
進行役の叔父が、勝利を確信したような意地悪な声で、重々しく口を開く。
「……聞いたな、レオン。この恐るべき内通の嫌疑について、お前は何か、弁明することはあるか?」
会議室中の、何十人もの視線が一斉にレオン様に突き刺さる。
エルザ夫人は、すでに完全勝利を確信した、毒々しい笑みを浮かべていた。
アルベルトも、これで自分が次期公爵になれると確信して下品にニヤついている。
父親は、ただ厄介事を嫌うような半信半疑の顔。
他の親族たちは、彼がどうやって泣いて命乞いをするのかと、息を詰めて待っている。
その、圧倒的な四面楚歌の絶望的な空気の中で。
レオン様は、ふっ、と。
嘲るように、あまりにも美しく冷酷に、薄く笑った。
「弁明、ですか。……ええ、ありますよ」
低く、よく通る、王者の声。
「まず第一に――先ほどから夫人が声高に主張しているその手紙は、すべて三流の素人が書いた『完全な偽造文書』です」
ざわっ、と。空気が不穏に揺れた。
エルザ夫人が、扇を握る手に力を込めて目を細める。
「……偽造ですって? 往生際が悪いわね。言い逃れができると思っているの?」
「ええ。偽造に決まっています」
レオン様は、馬鹿に言い聞かせるように淡々と、事実だけを述べる。
「内容も筆致も稚拙すぎる。何より、隣国との密約の条件に書かれている霊薬の流通経路が、私が管理している現在の正規の帳簿上のルートと全く一致していない。……そもそも、その程度の杜撰で証拠にしかならないゴミ屑のような文書を、私が自室に大事に保管しておく理由もメリットも、一つもありません」
「何をでたらめを――!」
「そして、第二に」
反論しようとした夫人の言葉を、絶対的な覇気で遮るように。
レオン様は、自身の空間魔法から、ドサッ! と、机の中央へ一冊の分厚く黒ずんだ帳簿を投げ出した。
ドンッ、と重い音が会議室に響く。
続けて、二冊。
三冊。
さらに、血の判が押された密書の手紙の束。
見知らぬ貴族の封蝋が押された、怪しげな革袋。
「私の捏造された罪の代わりに。皆様には、こちらの『本物の絶望』をご覧いただきたい」
会議室の空気が、一瞬にして氷点下まで冷え切った。
エルザ夫人の顔色が変わる。
アルベルトの下品な笑みが、ピクッと引きつって硬直する。
「そ、それは……」
「我がアルヴェイン領の、霊薬園の利益の『横流し記録(裏帳簿)』です」
レオン様の声は、どこまでも静かで、そして処刑人の刃のように冷酷だった。
「公爵家の正式な税収帳簿から意図的に除外された莫大な隠し在庫。毎月消失している数千万ゴールドもの利益。そして、隣国の闇商人のルートと完全に一致する輸送記号。……さらに」
彼は、束の中から一通の手紙を優雅な手つきで持ち上げる。
「こちらは、他でもない、ここにいる『エルザ公爵夫人ご本人の自筆』による、横領と隠蔽の指示書です。“嫡男(私)の名を出せば、無能な父親も騙されて黙る”。“王都の監査院側には、嫡男の内通の疑いを流布しておけばよい”――さて、ご希望とあらば、この場にいる全員に聞こえるように、全文を朗読いたしましょうか?」
「っ……!!」
エルザ夫人が、喉の奥でカエルのように引き攣った息を呑んだ。
会議室全体が、蜂の巣をつついたような大騒然となる。
「な、何だと!?」
「公爵夫人本人の筆跡の密書だと!?」
「そんな馬鹿な! レオン様を嵌めるための自作自演だったというのか!?」
「それに、隣国との私的取引だと……? それこそ正真正銘の国家反逆罪ではないか!」
無能な父親も、今度ばかりは顔色を土気色に変えて立ち上がった。
「エ、エルザ! これはどういうことだ! 説明しろ!」
「わ、私は知りませんわ!!」
夫人が、髪を振り乱して狂ったように声を荒げる。
「そんなもの、私を陥れるために、その呪われた子が捏造した偽物に決まって――」
「では、こちらの証拠も、全て私の捏造だとでも?」
レオン様は、冷笑を浮かべたまま机上の裏帳簿を開いた。
ページには整然と狂ったような数字が並び、その横には、決済の承認を示す『複数の印章』が押されている。
「会計監督役」
「ヒッ! は、はいぃっ!」
「この帳簿に押されている記号。見覚えがありますね」
名を呼ばれた夫人派の会計監督役の男は、震える足で恐る恐る前へ出る。
そして、レオン様が指差す裏帳簿のページを覗き込んだ瞬間、その顔から魂が抜けたように見るみる青ざめ、膝から崩れ落ちた。
「……こ、こ、これは……」
「答えなさい。誰の印ですか」
「ご、公爵夫人付きの筆頭出納係が……裏の資金移動の際に、私的に使用していた補助記号、です……。我が家の正規の帳簿には、決して存在しないものです……っ!」
どよめきが、悲鳴のような大きさに変わる。
私は、レオン様の背後で、心の中で特大のガッツポーズを突き上げた。
よしっ!
完璧に決まった!
しかも、レオン様、証拠の出し方と追い詰め方が悪魔的に完璧すぎる。
感情論で言い争うのではなく、動かぬ事実(物理証拠)だけを淡々と積み上げ、第三者の専門家に確認させ、相手の逃げ道を物理的に一つずつ、分厚い鉄板で塞いでいく。
何この、美しすぎる絶対零度の断罪進行。
私の推しが、有能すぎて怖い(褒め言葉)。
「さらに」
レオン様は、容赦なく次の追撃の書簡を開く。
「こちらには、隣国ベルグラン側の闇商人との、違法な魔薬取引の接触記録。日付、秘密の会合場所、取引対象となった霊薬の横流し量。……すべて、我が方の裏帳簿の数字と寸分の狂いもなく一致しています」
「嘘よ! 嘘よ嘘よ! 私はそんな帳簿も手紙も、一切知らないわ!!」
「知らないはずがありません」
レオン様の声が、絶対零度の吹雪のように冷え切った。
「これらはすべて、あなたが隠蔽工作のために、ご自身の部屋の『壁裏の隠し金庫』の中に、厳重に保管していたものなのですから」
会議室が、一瞬にして、死者の国のようにしんと静まり返る。
その直後に起きたパニックのようなざわめきは、もはや先ほどまでの比ではなかった。
「か、隠し金庫だと!?」
「自分の部屋に、国家反逆の証拠を隠し持っていたのか!?」
「本当に、夫人本人の手で保管し、指示を出していたということか……!」
「これはもう、言い逃れは不可能だ……アルヴェイン家が王家に滅ぼされるぞ!」
エルザ夫人の顔から、すべての血の気と傲慢さが抜け落ちていく。
義弟アルベルトも、自分が信じていた母親の犯罪と没落を突きつけられ、完全にパニックに陥って涙目でガタガタと震え、何か言いたそうに唇をパクパクと動かすばかり。
たぶん、この豚は本当に何も知らされていなかったのだろう。夫人の単独の暴走だ。
「父上」
レオン様が、ゆっくりと、玉座で震えている現公爵へ、氷の視線を向ける。
その王者のような一瞥だけで、会議室中の空気が、彼の支配下にひれ伏したように張り詰めた。
「私は、物心ついた頃から今日まで、この女(継母)の企みによって、何度も、数え切れないほどの不当な虐待と嫌疑をかけられてきました。……ですが、私はそれらのくだらない嫌がらせに逐一反論して復讐するより先に、この腐りきった領地の立て直しを優先してきた」
「……」
「死の土地だった北の沼地の開拓。莫大な利益を生む霊薬園の整備。不正を正した流通ルートの正常化。魔獣から領民を守るための騎士団の再編。……私が血を吐く思いでやってきたこれらはすべて、アルヴェイン公爵家と、領民のためです」
静かな、しかし確かな怒りを孕んだ声。
その一言一言には、七年間の地獄を生き抜いてきた男の、絶対的な重みと説得力がある。
「そして、私がこの家にもたらした成果は、誤魔化しようのない『圧倒的な数字』としてここにある」
彼が空間魔法から最後に取り出して示したのは、分厚く、美しく装丁された『別の帳簿』。
今度は、偽造ではない。彼が私と共に作り上げた、誇り高き正規の領地記録だ。
霊薬園がもたらした、国家予算レベルの純利益。
過去数十年分の赤字を、たった数年で完全に払拭した財務改善。
公爵領全体の、前年比三百パーセントの税収増。
治安維持費の最適化による、領民の圧倒的な支持率。
すべてが、誰の目にも一瞬でわかる、完璧なグラフと数字の形で並んでいた。
それを見た親族たちの顔つきが、恐怖から、強烈な『畏敬の念』へと完全に変わる。
目の前にいるのは、単なる“継母に濡れ衣を着せられた、可哀想な嫡男”ではない。
この公式の場で、完璧な証拠を揃えて一族の腐敗を暴き出し、しかもその一方で、崩壊寸前だった公爵家を自らの実力だけで立て直してきた、化け物のような天才。
横領と反逆を企てた継母と。
莫大な富と力をもたらす天才の嫡男。
どちらがこれからの公爵家に、自分たちの身の安全のために必要か。
その答えはもう、議論するまでもなく火を見るより明らかだった。
「一方で、公爵夫人側は、公爵家の財産を私物化して巨額の横領と文書偽造を行い、さらにあろうことか隣国との不正取引(国家反逆)にまで手を染めていた」
レオン様は、虫の息となった夫人を見下ろし、冷ややかに、死刑宣告を下すように言い切る。
「……さて。これ以上、この場で何を議論し、確認する必要が?」
完全な、沈黙。
父親は、己の無能さと妻の裏切りに直面し、苦々しい絶望の顔で震えながら帳簿を見つめていた。
エルザ夫人は、もはや取り繕う余裕も気力もなく、床にへたり込み、扇を握る手がガチガチと痙攣している。
アルベルトは、ショックのあまり再び失禁しそうになりながら、嗚咽を漏らしている。
そこで、夫人派だったはずの年配の叔父が、まるで蜘蛛の子を散らすように寝返り、重々しく口を開いた。
「……もはや、すべてが明白だな」
その一言が、事実上のトドメ(決定打)だった。
「エルザ公爵夫人、およびその関係者については、王家への反逆罪として直ちに身柄を地下牢に拘束し、すべての資産の差し押さえと洗い直しを行うべきだ!」
「異議なし! レオン様の言う通りだ!」
「当然だ! 我々は騙されていたのだ!」
「嫡男レオン様への内通の嫌疑は、完全に晴れた! むしろ彼こそが、我らの救世主だ!」
次々に、自己保身に走る親族たちが、手のひらを返してレオン様に同意と賛美の声を上げる。
エルザ夫人が、発狂したように立ち上がった。
「待ちなさい! お待ちよ! あなたたち、私が今までどれだけ便宜を図ってやったと――」
「黙れ、この売女がッ!!」
そう激怒して叫んだのは、他でもない、彼女の夫である公爵だった。
会議室が、再び水を打ったように静まり返る。
父親は、殺意に満ちた苦い顔で、エルザ夫人を睨みつけた。
「……これだけの確たる証拠が揃っていて、我が家を破滅の危機に晒しておいて、まだ見苦しく否定するのか!」
「あ、あなたまで……私を見捨てるの……!?」
「私は、アルヴェイン家を……己の首を守らねばならんのだ!」
その自己保身に満ちた公爵の言葉に、私はレオン様の背後で、内心で氷のように冷たく吐き捨てた。
今さら?
今さら“家を守る”とか、どの口が言うんですか?
あなたが自分の保身と快楽のために、レオン様への虐待をずっと見て見ぬふりをしたせいで、あの子がどれだけの地獄の苦しみを味わってきたと思ってるんです? 万死に値するクソ親父め。
けれど同時に、今この場で一番大事なのは、そんなクソ親父への感情論の復讐ではない。
完全な『政治的決着』だ。
エルザ夫人は、夫にも見捨てられ、完全に逃げ場を失って追い詰められていた。
義弟も、もう何も言えず泣きじゃくるだけ。
親族たちも騎士たちも、完全にレオン様という新たな絶対的支配者の流れを読んでいる。
勝ちだ。
文句のつけようのない、パーフェクトな逆転勝利。
「……では、決を取りたいと思います」
進行役の叔父が、レオン様の顔色を窺いながら、震える声で恭しく告げる。
「本件については、嫡男レオン・フォン・アルヴェイン様の無実を完全に認めるとともに。国家反逆の重罪人として、エルザ夫人およびその関係者に対する一斉調査と、極刑を含む厳しい処分を進めることとする!!」
死刑判決のようなその高らかな宣言に、会議室の空気が、決定的に、そして永遠に変わった。
終わった。
ようやく。
本当に、長い長い七年間を経て、ようやく。
レオン様は一度だけ、祈るように深く目を閉じ、それから静かに、勝者としての一礼をした。
「賢明なる皆様の、公正なご判断に、心より感謝いたします」
その姿はあまりにも落ち着いていて、絶対的強者の余裕すら漂わせていた。
だが、私だけは知っている。
この人が、この光の当たる玉座に辿り着くまでに、どれだけ暗い泥水の中を這いずり回り、長い長い時間を耐え忍んできたかを。
私は、感動で胸がいっぱいになりながら、エプロンの下でぎゅっと両手を握りしめた。
推しが……!
私の最推しが、ちゃんと、自分の力と頭脳で、すべての理不尽な運命をひっくり返した……!
悪役への完璧なざまぁ、大成功!!
感動のあまり、不覚にもポロリと涙がこぼれそうになった、その時。
ふと、レオン様が、会議室の歓声と怒号を背にして。
肩越しに、私だけを振り返って見た。
一瞬だけ。
本当に、誰にも気づかれないような、一瞬だけ。
でもその蒼い瞳の視線は、まるで「クロエ。僕の戦う姿を、ちゃんと見ていてくれましたか」と、褒め言葉をねだる子供のように、熱く、切実に問いかけているみたいだった。
私は小さく、でも、ありったけの愛と誇りを込めて、力いっぱい頷いた。
もちろんです。
あなたの背中を、ずっと見ていました。
最高でした。
宇宙で一番、かっこよすぎました。
すると彼の冷酷だった口元が、ほんの少しだけ、花が咲くように甘く、やわらかく綻んだ。
それは、この世界で私だけが知っている、私だけに向けてくれる、究極に無防備な笑顔だった。
ああ、だめだ。
この血生臭い断罪の場で、私にだけその尊すぎる顔を見せるのは、オタクの心臓への深刻なルール違反(反則)です。
こうして、アルヴェイン公爵家を揺るがせた歴史的な親族会議は、継母たちの完全な破滅と敗北という、最高にスカッとする形で幕を閉じた。
偽造手紙でレオン様を断罪し、処刑するはずだったのに。
私の【整理整頓魔法】が暴いた本物の証拠によって。
自分たちこそが、国家反逆と横領の罪を突きつけられ、地下牢行きとなったのだ。
これ以上ない、華麗なる逆転劇。
これ以上ない、痛快な特大ざまぁ。
そして同時に、この日を境に、アルヴェイン公爵家の権力構図は、もはや後戻りできないほど決定的に変わることになる。
もう誰も、レオン様を“排除すべき邪魔者”とは扱えない。
むしろ今や、沈みかけていた家を救い、富をもたらした偉大な立役者であり、誰も逆らうことのできない『絶対的な次代の当主(覇王)』として、認めざるを得ない存在になったのだから。
……もっとも。
その頃の私は、そんな公爵家の歴史的転換点(覇王誕生の瞬間)のただ中にいながら、かなり別のことでも頭がいっぱいになっていたのだけれど。
推し、断罪シーンの論破でも顔が圧倒的に良すぎる……!
しかも、証拠の帳簿を叩きつける時の手つきまで無駄がなく綺麗で、最後にこっちだけ振り返って微笑むとか、ファンサービスが過ぎてズルい!
こんな最高の『神回』を最前列(現場)の特等席で見せられたら、私、限界オタクのファンとして、一生彼の傍でこの勇姿を語り継ぐしかないじゃないですか!? 最高!!




