表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/16

第11話 【整理整頓魔法】が暴く国家反逆の証拠

 私が地下室で震えていた小さなレオン様を拾い上げ、バグレベルの【家事魔法】を駆使して『推し絶対覇王化育成計画』を開始してから、七年。


 七年という歳月は、このアルヴェイン公爵邸の多くのものを、劇的かつ根底から変え去った。


 呪いの瘴気に満ちていた北棟は、今や屋敷で最も神聖で空気の清らかな聖域パワースポットとなり。

 傾きかけていた領地の財政は、私が草むしりのついでに開拓した『北の霊薬園』の莫大な利益によって完全に立て直され、王家すら凌ぐほどの富を公爵家にもたらし。

 かつて「前妻の産んだ呪われた子」「無能な穀潰し」と誰も見向きもしなかったレオン様は、今や王都の社交界で『冷酷無慈悲な氷の貴公子』と畏怖され、名ばかりの父親(公爵)から印璽を奪い取った、アルヴェイン家の実質的な絶対権力者となった。


 そんな激動の七年間の中で、ただ二つ、全く変わっていないものがあるとすれば――。


 継母であるエルザ夫人の、底なしの性根の悪さと。

 私の「推しのお世話と育成こそが我が人生のすべてです」という、限界オタク精神くらいだろう。


「……はあ」


 私は朝一番から、北棟を改築して作られたレオン様専用の豪奢な執務室で、深い深いため息をついていた。


 大きな窓から差し込む、冷たく澄んだ冬の朝の光。

 壁三面を覆うように整然と並んだ、貴重な魔導書や領地記録が収められた巨大な書棚。

 そして、部屋の中央に鎮座する重厚なマホガニーの執務机の上には、王都や領地各地から届いた、未処理の分厚い書類の束と、封蝋付きの手紙が、地層のようにいくつも積み上がっている。


 その書類の山の中心で。

 我が最推しにして、今や誰もが恐れる若き実質的当主、レオン様(十七歳)は、今日も今日とて圧倒的に美しく、そして息をするように容赦なく、大量の仕事を光の速さでさばいていた。


「クロエ。何か問題でも?」


 書類に視線を落とし、羽根ペンを凄まじい速度で走らせたまま、こちらを見もせずにそう問う声は、低く、甘く、そして恐ろしいほどに落ち着いている。


 十七歳になった今のレオン様は、本当に何というか……オタクの妄想の具現化として『完成』されすぎていて困る。


 顔が良い。神が緻密に計算して造形したとしか思えない黄金比の美貌。

 頭も良い。老獪な文官たちを赤子のように論破する明晰な頭脳。

 剣も強い。あの剣聖ガレスに「ワシを越えた」と言わしめる神速の刃。

 魔力も高い。少し感情が昂るだけで屋敷の窓ガラスにヒビが入るほどの規格外の出力。

 仕事もできる。一人で十人分の官僚の仕事をこなし、領地を史上最高の黒字に導いている。


 しかも最近は、このパーフェクトなスペックに、敵対者を絶望させる“絶対零度の静かな圧”と、私に対してだけ向けられる“無自覚(?)な激重人たらし発言”が加わっているのだから、メイドの心臓の耐久値としては完全に手に負えない。


 私が朝からため息をついた理由?

 もちろん、推しの顔面偏差値の高さに当てられて疲労したのもある。

 あるのだけれど、今日のため息の『本題』は別だ。


「……嫌な予感がするんです」


 私が、手にした羽根ばたきを握りしめ、真顔でそう言うと。

 レオン様がようやく羽根ペンを動かす手を止め、ゆっくりと顔を上げた。


「嫌な予感、ですか」

「はい。ものすごく、どす黒くて、粘り気のある嫌な感じのやつです。ゲーム終盤の、嫌がらせイベントの集大成みたいな……」

「また異国の言葉が混ざっていますが。しかし……具体性がありませんね」

「でも、私のこのオタクの勘は、たぶん当たります」

「そうですね。あなたのそういう直感と察知能力は、たいてい外れない。私が暗殺者に狙われた夜もそうでしたから」


 さらりと、命を預けるような絶対の信頼を寄せられ、私は一瞬だけ言葉に詰まった。


 そう。

 この人、こういうところなのだ。

 私がどれだけふわっとした、根拠のない電波なオタク発言をしても、最近の彼は「クロエの言うことならそれが世界の真理だ」と言わんばかりに、ほぼ無条件で信じて疑わない。

 昔の怯えていた頃ならともかく、彼が絶大な権力を持つ覇王に育ったここまで来ると、その重すぎる全幅の信頼は、それはそれで私の胃に重い。


「昨夜のうちに、南棟(エルザ夫人たちの居住区)側の使用人の動きが、少し不自然でした」

 私は、誰かに聞かれないよう少し声を落とす。

「厨房での食材の消費量や、裏口から出ていく荷馬車の轍の深さ。それに、夫人の側近のメイドが、深夜に不審な動きをしていました。……継母派の残党が、まだ何か、私たちの足元を掬うような致命的な一手を企んでいる気がします」


 この七年間で、継母と義弟のアルヴェイン家における権力基盤は、レオン様の手によって削岩機のようにゴリゴリと徹底的に削り取られてきた。


 私が生み出した霊薬事業の莫大な利益も、腐敗していた騎士団の再編と給与の引き上げも、不正の温床だった領地帳簿の透明化も。すべて、レオン様の主導で完璧に進められている。

 父親である公爵ですら、今や「領地を豊かにした偉大な息子を持つ、幸せな隠居老人(※名目上)」として、実権を取り上げられて奥の部屋に押し込められている状態だ。


 だからこそ、エルザ夫人たちは、狂うほどに焦っている。


 正面からの政治闘争では、天才のレオン様に手も足も出ない。

 領地経営の数字でも、勝負にならない。

 あの中庭での御前試合以降、義弟のアルベルトは「木剣で失禁した臆病者」というレッテルを貼られ、騎士たちからの人望も完全に地に落ちた。

 王都の社交界や流通網にすら、レオン様の冷徹な影響力が及び始めている。


 となれば、追い詰められた三流悪役が最後にやることは、ただ一つ。


 どんな卑劣な手を使ってでも、裏から足を引っ張り、社会的抹殺を図る。

 それも、公爵家そのものを道連れにしかねないほどの、致命的な形で。


「……ありそうですね」


 レオン様は、氷の瞳をスッと細めて、静かに頷いた。


 その横顔は、恐ろしいほどに冷たい。

 神が創り賜うた美貌に、絶対零度の無表情が乗ると、人間離れした死神のような凄みがあって本当に怖い。

 エルザ夫人や敵対貴族たちが、彼を一目見ただけで蛇に睨まれた蛙のように震え上がるのも、当然の反応だと思う。


「ですが、具体的に何を仕掛けてくるつもりかまでは、今の段階では……」

「そこなんです」

 私は、机の上にうず高く積まれた書類の山を見やった。

「最近、外部からの書類が多すぎて、少しお部屋の気が乱れています。いっそ、敵が何かを仕掛けてくる前に、私が徹底的に『整理』してしまおうかと」

「……整理、ですか」

「はい。こう、お部屋の隅から隅まで、チリ一つ、紙切れ一枚逃さず丸ごと」


 レオン様の蒼い瞳が、わずかに見開かれ、そしてスッと細まった。


「クロエ」

「はい?」

「それは、私の執務室が、過去の北の沼地のように地形ごと物理的に吹き飛ぶ可能性も含まれていますか?」

「そこまでいきませんよ!? 私はただのメイドですよ!?」

「あなたの“ちょっと念入りに片づける”という言葉ほど、この世界で信用できないものはありません。暗殺者を洗濯機で回した前科を忘れたとは言わせませんよ」

「ひどい。あれは正当防衛です」


 いや、気持ちは痛いほどわかる。

 お掃除魔法でただの病室を神殿の絶対聖域にリフォームした前科があるし、草むしりで地形を変えて国宝級の霊薬の園を錬成した実績もある。

 でも、今回は本当に、書類を片付けるだけだから大丈夫なはずだ。

 たぶん。おそらく。メイビー。


「安心してください。乱雑に散らかっているものを、それぞれがあるべき正しい場所へ戻すだけです。何一つ破壊しませんから」

「……その結果、この部屋の底から『何が』発掘されて出てくるかわからないのが、最大の問題なんですが」

「……それもそうですね。前に庭を耕したら伝説の聖剣が出ましたし」


 二人して、七年前のヤバすぎる発掘事件を思い出し、少しだけ沈黙が落ちる。


 実際のところ、レオン様の執務室は決して散らかっているわけではない。

 有能な彼が管理しているのだから、常人から見れば十分に整頓されている。

 でも最近、領地の拡大に伴って外から持ち込まれる書簡や報告書が増えすぎて、プロのメイド(自称)の私としては、どうにも『気の乱れ』を感じて落ち着かないのだ。


 正規の領地報告書類。

 王都の貴族からの腹の探り合いの手紙。

 偽装された帳簿。

 処理済みの案件。

 そして――悪意とフラグが隠された、不審な手紙。


 私の家事魔法で一気に整理すれば、確実に、敵の仕込んだ『何か』が見つかる気がする。

 オタクの長年のゲーム勘というやつだ。


「……わかりました」


 不意に、レオン様が短く息を吐いてそう言った。


「え?」

「やりましょう。あなたの気が済むまで」

「いいんですか? また部屋が光って変なことになっても?」

「あなたが、そこまで胸騒ぎを覚えると言うのなら。あなたの直感は、私の論理より常に正しいですから」

「レオン様……!」


 私は、思わず胸の前で両手をギュッと組んだ。


 信頼!

 推しからの全幅の信頼が重い!

 でも、めちゃくちゃうれしい! プロデューサー冥利に尽きる!


 だが、当のレオン様は、私の限界オタク特有の感動などすべてお見通しらしく、少しだけ呆れたように、しかしひどく甘い溜息をついた。


「ただし、私もこの部屋にいて、あなたの傍を離れません」

「えっ」

「あなた一人でその魔法を使わせると、またどんな神話級のトラブルを引き起こすか、あるいは敵の罠であなたが怪我をするかわからないので」

「保護者の監督付きですか!?」

「当然です。私はあなたの飼い主……いえ、主人ですから」


 今、さらっと飼い主って言いかけたよね? この人、私のこと完全に手のかかる愛猫か何かだと思ってる節があるよね?


 まあ、護衛がいてくれるのは心強いので、良しとしよう。


 私は気を取り直し、エプロンの紐を締め直して、広い執務室の中央へと進み出た。


 執務室はとても広い。

 巨大なマホガニーの机に、壁を覆う書棚が三面。厳重な鍵付きの機密文書棚、広大な領地の地図棚、さらには過去の不正の証拠品を入れた鋼鉄の保管箱まである。

 ここに、エルザ夫人が放った工作員の手によって、偽の手紙や罠の仕込まれた書類が紛れ込んでいても、何ら不思議ではない。


「では、失礼して……」


 私は両手を軽く胸の前で組み、目を閉じて、小さく息を整えた。


 【生活魔法:整理整頓】。

 日々の業務で使うたびに思うのだけれど、私のこの魔法は、使用者の意思と空間の『文脈』を恐ろしいほど正確に読み取る、AI顔負けの高度な処理能力を持っている。

 ただ物理的に物を片づけるだけではない。

 “不要なもの(ゴミ)”“混ざってはいけないもの(不正)”“本来そこにあるべきもの(真実)”を、概念レベルで自動で振り分け、分類してしまうのだ。


 つまり、今日みたいな政治的陰謀が渦巻く場面では、非常に危険なチート兵器にもなり得る。


「ごちゃごちゃになった書類も、隠された小物も、すべてあるべき正しい場所へ」

 私は静かに、祈るように唱える。

「美しく整えて、真実を見やすくしてください。【生活魔法:整理整頓(全自動ファイリング・極)】!」


 私が指を鳴らした、次の瞬間。


 パァァァァァァァァッ……!


 部屋全体を包み込むように、暖かく柔らかな黄金色の光が、床一面から幾何学的な魔法陣となって浮かび上がった。


「……来ましたね」


 レオン様の声が、警戒を含んで一段低く落ちる。


 バサッ、バサバサバサバサッ!!!


 部屋中の紙という紙が、まるで重力を失ったかのように、ふわりと空中に浮き上がった。


「うわっ、すごい数!」


 机の上に山積みになっていた書類だけじゃない。

 書棚の隙間に挟まっていたメモ、引き出しの奥で眠っていた古い手紙、地図棚の裏に落ちていた羊皮紙――ありとあらゆる紙類が、まるで目に見えない有能な司書の大群に操られるように、するすると空中へと持ち上がって乱舞していく。


 しかも、ただ無秩序に浮いているだけではない。

 完全に『内容ごとに分類』されているのだ。


 領地経営に関わる書類の束は、左のトレイへ。

 王都の貴族たちからの社交辞令の手紙は、右のトレイへ。

 今日中に処理すべき未処理案件は、机の手前へ。

 すでに決済の終わった処理済み書類は、奥のファイルへ。


 さらに、領地の利益に関わる『重要書類』はキラキラと金色の光を帯びて大切に扱われ、どうでもいい世間話や嫌がらせの雑報告は、灰色に褪せて部屋の端へと雑に寄せられていく。


「えっ、私の魔法、なんか前よりさらに賢くなってませんか? OSのバージョンアップ?」

「あなたの魔法の非常識さには、もう驚きませんよ。便利すぎて文官たちが失業しそうですが」


 レオン様の冷静すぎるツッコミを聞きながら、私は感心して目を丸くした。


 書類は、空中で完璧な順序にソートされ、机の上に美しいタワーとなって寸分の狂いもなく積まれていく。

 これは助かる。ものすごく助かる。これならレオン様の徹夜仕事も半減するはずだ。


 しかし――今日の魔法の『真の仕事』は、ここからだった。


 ガタンッ!!


 書棚の最も暗い一角、普段は誰も開けることのない最下段の鍵付き引き出しが、ひとりでに勢いよく弾け開いた。

 その中から、厳重に封をされた数通の分厚い封書が、まるで逃げ隠れしていたゴキブリが引きずり出されるように、空中にふわりと浮かび上がった。


「……ん?」


 強烈な、違和感。


 その封書に押されている封蝋の紋章は、アルヴェイン公爵家のものではない。

 もっと安っぽく、しかし公的な文書を偽装するように、妙に整いすぎた見慣れぬ印章。

 しかも、空中に浮かぶ他の書類たちが綺麗な光を帯びている中で、その数通の封書だけが、まるで腐った血のように『赤黒く濁った不吉な光』を放ってドクドクと脈打っていたのだ。


「レオン様、あれ……」

「見えています。明らかに異質ですね」


 レオン様が、柄に手をかけながら静かに立ち上がる。


 だが、彼が動くよりも早く、私の自動魔法が『処理』を開始した。


 その赤黒く濁った封書の束は、部屋の空間から“絶対に存在してはならない猛毒(異物)”として判定されたみたいに、空中でバチッ! と激しく弾かれた。

 そして、一直線に部屋の隅に置かれた紙くず籠――つまり、ゴミ箱へ向かって、凄まじい速度で射出された。


「えっ、待っ――」


 シュポンッ。


 見事な放物線を描き、封書の束は、燃えるゴミの箱の底へとホールインワンした。


「……」


「……」


 私とレオン様は、しばし無言で固まった。


 ゴミ(不要な汚物)判定された。

 敵が命懸けで仕込んだであろう陰謀のアイテムが、今、完全に。


「……たぶん、よほど出来の悪い、悪意に満ちた偽造文書ですね」

 レオン様が、あまりのシュールさに薄く息を吐きながら、淡々と言う。

「公的な本物の重要書類なら、あなたの魔法があんな『産業廃棄物』のような扱いの反応をするはずがない」


 そうだろうか。

 いやでも、たしかに見るからに禍々しくて怪しかった。


 私は慌ててゴミ箱へ駆け寄り、中から赤黒い光を放つ封書の束を拾い上げた。

 表に記された宛名の文字を見て、思わず眉を深くひそめる。


「“隣国ベルグラン王国 第二外務官殿 宛”……?」


 アルヴェイン領の国境に接する、仮想敵国の名前。

 嫌な予感が、一気に最悪の現実味を帯びて背筋を駆け上がった。


 私はナイフで乱暴に封を切り、中に入っていた羊皮紙を開く。


 そこに書かれていたのは、流麗で教養を感じさせる見事な筆跡。

 しかし、その文面の内容は、この世の終わりほど最悪だった。


 “――アルヴェイン公爵家嫡男、レオン・フォン・アルヴェインは、領地の一部霊薬流通ルートの独占権譲渡と多額の資金援助を条件に、我が領地に駐留する王国軍の『国境警備の機密情報と配備図』を、貴国へ提供することに同意する――”


「うわっ、最低! 何これ雑な捏造!!」

「……雑ですが、王都の無能な貴族たちを煽動するには、内容は十分に致命的ですね」


 レオン様の声は、静かだった。

 静かすぎて、部屋の温度が急激に下がっていくのがわかる。


 これはつまり、レオン様が『隣国と結託して祖国を裏切ろうとしている』という内通を示す、極めて悪質な偽造手紙だ。

 しかも、条件や日付、警備の抜け穴などの内容が妙に具体的に捏造されており、何も知らない王家の監査官が見れば、一発で「動かぬ証拠」に見えかねない完成度の高さだった。


「これを、レオン様を嵌めるために、あなたの執務室にこっそり紛れ込ませるつもりだったんですね……」

「もしくは、昨夜の時点で、すでに私の側近を買収して紛れ込ませたつもりでいたのでしょう」

「最悪ですね!? 息を吐くように国家反逆罪を捏造するとか、頭沸いてるんですかあのババア(継母)は!?」


 私が怒りのあまりメイドの言葉遣いを忘れて震えていると、黄金の魔法陣の光は、さらに別の場所へと激しく走った。


 今度は、部屋の奥にある巨大な本棚。

 一見すると何もない、壁に張り付いた分厚い木板の裏側が、パキィィンッ! と小さく、しかし鋭い音を立てて、ひとりでに外れて床に落ちた。


「え?」


 そこには、魔法で巧妙に隠蔽されていた、暗証番号付きの隠し金庫(空間)があった。


 そして、その隠し空間の中から。

 分厚く黒ずんだ裏帳簿が三冊。

 血の判が押された手紙の束が二つ。

 そして、公爵家の刻印ではなく、見知らぬ貴族の封蝋が押された革袋が一つ。

 まるで、腸を引きずり出されるように、ズルズルと重苦しい音を立てて滑り出てきた。


「な、なにあれ。あんな隠し金庫、図面にもありませんでしたよ?」

「……ええ。私にも全く覚えがありません。私の執務室に、あんなものが仕込まれていたとは」

「でしょうね! 完全に誰かが後から細工して埋め込んだブラックボックスですよ!」


 私の【整理整頓魔法】は、それらの気味が悪い発掘品たちを、“これこそが元凶であり、この部屋に本来あってはならない『要確認の最重要汚物』”だとでも言いたげに、レオン様の机のど中央へ、ドサッ! と整然と並べた。


 私は、震える手で最初の黒ずんだ帳簿を開く。


 そこにびっしりと書かれていたのは、狂ったような数字の羅列。

 莫大な霊薬の品目名。

 不自然な輸送ルート。

 そして横には、見覚えのある、暗号化された略号。


「これ……公爵家の正規の利益から抜かれた、霊薬園の莫大な売り上げの『横流し記録』ですか?」

「……誰の印と筆跡ですか」

「ええと……これ、エルザ継母派の筆頭出納係が、昔こっそり使っていた記号の癖にそっくりです。でも、それだけじゃない。額が異常です」


 ページをめくるごとに、背筋が凍りつき、吐き気がしてくる。


 公爵家の正規の資産から、毎月不自然に何割も抜かれている天文学的な金額。

 正規の収穫記録と全く合わない、裏で生産された在庫。

 そして何より、隣国の裏社会の商人たちとの、違法な武器・麻薬取引を匂わせる物流番号の数々。


 さらに、血の判が押された手紙の束を開くと。


「っ……」


 そこには、ご丁寧に、疑いようのないエルザ夫人本人の筆跡と印璽で書かれた、黒々とした密書の数々が綴られていた。


 “――例の最高級の薬草は、公爵家の正規帳簿から完全に外しておきなさい。利益はすべて我が実家の口座へ――”

 “――もし発覚しそうになれば、あの前妻の呪われた息子レオンの単独の指示だと名を出せばいい。あの無能な父親(夫)も、どうせ調べもしないで信じ込んで黙るわ――”

 “――王都の監査院側には、あの子が隣国と繋がっているという内通の疑いの噂を、多額の賄賂を使って流布しておけばよい。証拠の偽造文書は、私が確実に執務室に仕込ませる――”


「うわぁ……うわぁぁ……」


 私は、あまりの醜悪さに思わず顔をしかめ、羊皮紙を机に放り投げた。


 ひどい。ひどすぎる。

 レオン様を当主の座から引きずり下ろし、彼を処刑台へ送るために、国家反逆の濡れ衣(偽造手紙)を着せるための偽装工作だけじゃない。

 この何年間もの間、自分たちが裏で私腹を肥やすためにやってきた領地資金の『巨大な横領』も。隣国のマフィアとの『違法な私的取引』も。

 すべてひっくるめて、全部レオン様のせいにすり替えて、自分たちは証拠隠滅して逃げ切るつもりだったのだ。


「これは……単なる公爵家のお家騒動じゃ済まないですよ。完全に『国家反逆罪』の実行犯は、エルザ夫人たちの方です」


 私が青ざめた顔でそう呟くと。

 レオン様は、一切の表情を消した能面のような顔のまま、黒い裏帳簿を手に取った。


 ページをめくる彼の白く長い指先は、ひどく静かだった。震え一つない。

 でも、私は知っている。彼を七年間見守ってきた私にはわかる。

 この、嵐の前の絶対零度の静けさの奥にあるのが、ただの怒りや絶望ではないことを。


「……クロエ」

「はい」

「明日予定していた、王都からの監査官の対応。そして、来週の親族会議の日取りを……今日の午後に、強制的に早めます」

「えっ」

「もう、これ以上泳がせて待つ必要はありません」


 蒼い瞳が、獲物を定めた捕食者のように、スッと冷たく、細まる。


「これだけ『完璧な真実の証拠』が揃えば、十分すぎる。……あの愚かな父上にも。我が物顔で屋敷を歩く義弟にも。そして、私を陥れようとしたあの女(継母)と叔父上たちにも。全員を広間に集めて、大衆の面前で、この絶望を見せて差し上げましょう」

「……完全に、反撃(断罪)モードですね」

「ええ。息の根を止めてやります」


 その甘く低い声には、わずかな躊躇も、身内に対する同情も、一切なかった。


 私は一瞬だけ、息を呑む。


 七年前、暗い地下室で「誰も助けてくれない」と震えて泣いていた、あの無力な少年は、もうこの世界のどこにもいない。

 今ここにいるのは、自分を理不尽に陥れようとする愚か者たちを、完璧な証拠と圧倒的な力をもって、情け容赦なく、社会的に惨殺できるだけの『本物の覇王』だ。


 しかも、その判断に熱くなった私情だけは絶対に混ぜない。

 裏帳簿も、密書の束も、ひとつずつ丁寧に氷のような頭脳で確認して、裁判で言い逃れができない『完璧に使える刃(証拠)』として瞬時に組み上げていく。


 ああ、本当に、立派になった。


 私の推しが。

 強くて、賢くて、美しくて、冷酷で、これ以上ないほど最高なんですが。


 などと、私が緊迫した状況を無視して、別方向で一人でオタク特有の胸の熱さを噛み締めていた、その時。


 レオン様が、ふいに冷たい視線を上げて、私をジッと見つめた。


「……それに」


「はい? 何でしょうか」


「私が最も腹立たしいのは。あなたのいる、私があなたとお茶を飲むこの神聖な場所に、あんな汚らわしい悪意の塊(偽造書簡)を無断で持ち込まれたことです」


 私は、ポカンと口を開けた。


「えっ」

「執務室の空気が、あの女の悪意でひどく濁る。あなたの淹れたお茶の香りが台無しだ。万死に値する」

「キレるポイント、そこですか!?」

「私にとっては、領地の利益が抜かれることよりも遥かに重要です」


 大真面目な、氷の覇王の顔だった。


 いや、もちろん私との空間を大事にしてくれるのは嬉しいし重要だけど。

 自分の一族が国家反逆罪で処刑されかねない特大の証拠が出てきた直後に、最初に言うキレる理由がそれ!?


 思わず呆れて笑いそうになる私を見て、レオン様は少しだけ、憑き物が落ちたように目を細め、フッと柔らかく微笑んだ。


「クロエ」

「はい?」

「よく、見つけてくれましたね。私の最高のメイド」


 その一言が、ひどく優しくて、甘くて、不意打ちすぎて。


 私は一瞬だけ言葉を失い、顔を熱くしながら、照れ隠しのようにふっと笑う。


「いえ、私が見つけたというか……私の家事魔法が、空気を読んで勝手に敵の陰謀を暴いただけなんですけどね」

「それでも。あなたが今日、ここで直感に従って動いてくれなければ、私は監査官が来る前に証拠を回収できず、後手へ回って致命傷を負っていたかもしれない」


 執務机の上には、私の魔法によって整然と見やすく並べられた、動かぬ証拠の山。


 レオン様を陥れるための偽造手紙は、完全に産業廃棄物としてゴミ箱行き。

 代わりに、継母たち自身が手を染めていた本物の裏帳簿と、国家反逆レベルの密通の証拠が、これでもかとばかりに美しくファイリングされて揃っている。


 【整理整頓魔法(極)】、マジで恐るべし。

 もはや家事の範囲を完全に超えて、国家の情報機関のトップ(諜報魔法)に就任できるレベルのチートだ。


「これ、自分が隠した特大の爆弾(裏帳簿)が暴かれたこと、継母たちはまだ気づいてないんでしょうか?」

「気づいていたら、こんな執務室の隠し金庫などに放置せず、とっくに回収して燃やしているでしょう」

「ですよね。灯台下暗しというか」

「隠した本人たちも、七年前の古いものまで混ざっていますから、隠した場所すら忘れて慢心していたのかもしれませんね」

「悪役としての情報管理が雑すぎる……。自業自得ですね」


 私は呆れながらも、机の上の証拠を、さらに見やすく丁寧にまとめ始めた。

 ここからは、魔法ではなく事務員としての分類作業だ。

 巨額の横領、公文書の偽造、隣国への密通、違法な麻薬取引。

 全部の罪状をきっちりとタグ付けして分けて、誰が見ても一瞬で絶望できる、美しい『断罪のフルコース(プレゼン資料)』の形に整えなくてはならない。


 私がウキウキと作業をしていると、それを見ていたレオン様が、椅子に深く寄りかかりながら、ぽつりと愛おしそうに呟く。


「あなたは、本当に……何でも、完璧に美しく整えてしまうんですね」

「そうでしょうか? メイドですから、これくらいは」

「ええ」


 彼は一冊の裏帳簿をパタンと閉じ、静かに、射抜くような熱を帯びた目で私を見る。


「呪いで荒れ果てていた私の部屋も。死に絶えていた北の土地も。ぐちゃぐちゃに絡まっていたこの公爵家の腐敗も」

「……」

「そして、絶望で壊れかけていた、私自身の心も」


 胸が、大きく、痛いほどどくんっ! と鳴った。


 だめだ。

 そんなふうに、世界で一番大切な宝物を見るような顔で言われると、困る。

 私の方の心臓が、耐えきれなくなって壊れてしまう。


「わ、私は……ただ、レオン様に幸せになってほしくて……」

「わかっています。ですが、あなたがいなければ、今の私は絶対にここに存在していません」


 真っ直ぐな、一点の曇りもない重い声だった。


 昔の怯えていたレオン様なら、こんなキザで重たい言葉は、絶対に口にしなかっただろう。

 でも今の彼は違う。

 外の世界では、誰もが恐れる冷酷で血も涙もない覇王のくせに。私と二人きりの空間にいる時にだけは、時々こうして、私の理性を吹き飛ばすような心臓に悪い『激重な本音』を、ド直球で落としてくる。


 私は、視線を激しく泳がせながら、なんとか三十代の元社畜としての平静を装った。


「……そ、それは、私としても、推しを立派に育て上げた専属メイド冥利に尽きます! はい!」

「……メイド、ですか」

「はい? メイドですが何か?」


 なぜかそこで、彼の瞳の奥の温度がスッと下がり、目が少しだけ不満そうに細くなる。


 あ、なんかまずい。

 いつもの「私はただのメイド」という一線を引く私の発言に、この冷酷覇王様がご機嫌を損ねる、ちょっとヤバいモードの気配がする。


 だが、彼が口を開きかけた次の瞬間。

 コンコンコンッ! と、重厚な執務室の扉の外から、緊迫した執事の声が響いた。


「レオン様! 申し訳ありません、南棟のエルザ奥様より、急ぎのご伝言と……王都の監査官殿が、予定を早めて今しがた本館に到着されたとの知らせが!」


 部屋の空気が、ふっと、戦闘態勢へと切り替わった。


 レオン様は、先ほどまでの私に向けた甘い顔を完全に消し去り、氷のような冷酷な覇王の顔へと一瞬で戻って、低く凄みのある声で返す。


「監査官は、応接室へ通して待たせておけ。エルザ夫人からの伝言など聞く必要はない。……これから私が、自ら『手土産(証拠)』を持って本館の広間へ出向くと、あの女に伝えろ」

「は、かしこまりましたっ!」


 怯えた足音が、バタバタと廊下を走り去っていく。


 静かになった部屋で、私はそっと、安堵の息を吐いた。

 危なかった。

 さっきレオン様が何を言おうとしていたのかはわからないけど、なんか私の貞操危機的に危なかった気がする。


 しかし、何はともあれ、最強の『武器(証拠)』はもう、私たちの手元に完璧に揃ってしまった。


 レオン様を嵌めるための偽造手紙。

 エルザ夫人の実家への巨額の裏帳簿。

 継母直筆の、血の判が押された密書。

 国家反逆に直結する、隣国との不正取引の記録。


 これで、完全にチェックメイトだ。


 少なくとも、向こうがもう、これまでのようにお飾りの公爵を盾にして“知らぬ存ぜぬ”の言い逃れで逃げ切れるところ(ライン)は、完全に越えた。


「……今日の午後の親族会議、大荒れに荒れますね。血の雨が降りそうです」

「ええ。ですが、私はもう一ミリも容赦しません。アルヴェインの膿は、今日この場で、骨の髄まで全て削ぎ落として焼き尽くします」


 レオン様の声は、雪原のように静かだった。

 けれどその静けさの奥には、絶対に敵を逃がさないという、鋼のような殺意と決意が燃えている。


 私はそれを見て、改めて、胸の奥が熱くなるのを覚える。


 本当に、立派になった。

 もう、誰にも不当に踏みにじられ、地下室で泣くしかなかった、あの可哀想な男の子じゃない。

 むしろ今や、彼を踏みにじってきた側が、地獄の底で震え上がる番だ。


 積年の恨みを晴らす『特大のざまぁ』の準備は、私のお掃除魔法によって、すべて完璧に整ったのである。


 ――そしてこの日、冬の光が差し込む執務室に満ちていたのは、ただの古い紙の匂いだけではなかった。


 七年という長い歳月の中で積み重なってきた、エルザ夫人たちの身勝手な悪意が。

 ついに、逃げ場のない“確固たる証拠”という形を与えられ、断罪の炎が燃え上がる、決定的な瞬間の熱い気配。


 継母たちが、己の罪を隠し、レオン様を処刑台へ追い落とすために周到に仕込んだはずの偽の罪(罠)は。

 私のバグった【整理整頓魔法】によって、あっけなく産業廃棄物としてゴミ箱へ直行し。

 代わりに、彼女たち自身を破滅に導く本物の重罪の数々が、綺麗にファイリングされて机の上に陳列されたのだ。


 因果応報の皮肉としては、百万点満点だろう。


 もちろん、当の私は、これから始まるであろう血みどろの断罪劇という劇的な状況の直前においても、少しだけピントのズレた別のことを考えていたのだけれど。


 推し、仕事ができすぎる……!

 しかも、これから特大の断罪ざまぁイベントが始まる直前なのに、全く焦りもなく余裕たっぷりで顔が良すぎる!

 この完璧な状態コンディションで本館の親族会議に乗り込んだら、相手は証拠を見せられる前に、レオン様の圧倒的な顔面圧と覇気だけで気絶して負けるのでは!? 楽しみすぎる!!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ