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堅物の売れ残り女文官の秘密 その後  作者: 鈴木 みお


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7

化粧をしないまま一日を終えたのは、これが初めてだった。


 事務室の空気は、どこか落ち着かない。

 視線は多いのに、誰も踏み込んでこない。

 腫れ物に触るような距離感が、かえって居心地を悪くしていた。


 それでも仕事は待ってくれない。


「フィーアさん、こちら……確認をお願いできますか」


 声をかけてきたのは、若い騎士だった。

 確か、騎士団長付きの隊に所属している――


「ランスさん、でしたね」


「は、はい」


 名を呼んだだけで、彼は背筋を正した。

 過剰なほどきちんとした態度に、少しだけ意外な気持ちになる。


 書類に目を落とし、必要な箇所を指摘する。


「ここが未記入です。それから、この表記は最新のものに直してください」


「……あ、本当だ。助かります」


 受け取る指先が、わずかに震えていた。


「……説明が、的確で」


 ぽつりと、付け足すように言われる。


「前から……いえ、すみません」


 それ以上は続かなかった。

 褒め言葉に慣れていないのが、はっきりと分かる。


「仕事ですから」


 そう返すと、彼は小さくうなずいて下がっていった。


 


 それから、ランスが事務室を訪れることが増えた。

 用件はいつも明確で、余計な話はしない。

 必要なことだけを聞き、必要なだけ礼を言う。


 ただ――

 視線が、以前よりも柔らかだった。


(気のせい、よね)


 そう思おうとした、その日の午後。


「フィーアさん」


 書類をまとめていると、再び声がかかった。


「この箱、資料室まで運ぶんですよね」


「ええ、そうですが……」


「副隊長に確認済みです。

 ……持っていきますね」


 そう言って、返事を待たずに箱を持ち上げる。


「それ、重いですよ」


「大丈夫です」


 きっぱりとした返答だった。


 断る理由を探す間もなく、並んで廊下を歩くことになる。


 会話はなかった。

 足音だけが、一定のリズムで響く。


 不思議と、緊張はしなかった。


 評価も、探るような視線もない。

 ただ、仕事として隣を歩いている。


 


 資料室の前で、箱を受け取る。


「ありがとうございました」


「いえ。こちらこそ」


 彼は一礼して踵を返しかけ――

 一瞬、迷うように立ち止まった。


「……隊長のこと……」


 フィーアの胸が、わずかに跳ねる。


「……いえ、...............すみません。」


 それだけ言って、深く頭を下げる。


「失礼します」


 背中が遠ざかっていく。


 フィーアは、その背中を見送るしかなかった。



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