表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
堅物の売れ残り女文官の秘密 その後  作者: 鈴木 みお


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/21

4 ランス視点


 


 ――信じられなかった。


 朝の訓練が終わり、控え室に戻ってきた隊長の表情を見た瞬間、胸の奥がざわついた。

 いつもと同じ無表情。

 いつもと同じ、背筋の伸びた歩き方。


 だが、長く仕えていれば分かる。

 あれは「何もなかった顔」じゃない。


(……失敗した顔だ)


 誰にも悟られないように、感情を奥に押し込めた時の顔。

 戦場から戻った時ですら、あんな空気は纏っていなかった。


 ――今朝。


 正装に花束。

 あれを見た時、胸が熱くなった。


 隊長が、ついに幸せになる。

 そう思った。


 だからこそ。


「……断られた、ってマジかよ」


 ぽつりと漏らした言葉に、周囲が一瞬静まり返る。

 誰もが否定してほしかった。

 だが、誰も否定しなかった。


 事実なのだ。


 相手は、あの女文官。

 堅物で、愛想がなくて、近寄りがたいと噂の――フィーア。


(ふざけんなよ)


 拳が、ぎゅっと握り締められる。


 隊長がどんな覚悟で向かったのか、分からないわけがない。

 剣より重い決断を、あの人がどれほど慎重に選ぶか、誰より知っている。


 それを――断る?


「……自分がどれだけのものを差し出されたか、分かってねぇんだろ」


 感情が、どうしても抑えきれなかった。


 その日の午後、ランスは事務棟に足を運んだ。

 名目は書類の確認。

 本当は、顔を見たかった。


 ――どんな顔で、隊長を振ったのか。


 事務室に入ると、あの女はいた。

 背筋を伸ばし、淡々と書類を処理している。


 何事もなかったように。

 まるで、隊長の人生を揺らしたのが昨日ではないかのように。


(……なんなんだよ)


 胸の奥が、じくじくと痛む。


 近づきたい衝動と、近づく資格はないという理性。

 その間で揺れながら、ランスは彼女を睨んだ。


 ――その時だった。


 彼女がふと顔を上げた。


 目が合った。


 一瞬だけ。


 そこにあったのは、勝ち誇った顔でも、冷笑でもない。

 むしろ――疲れているような、何かを必死に飲み込んでいる表情。


(……は?)


 一瞬、思考が止まる。


 だが、すぐに感情が上書きした。


(だからって、許されるわけねぇだろ)


 隊長を傷つけた。

 それだけで、十分だった。


 ランスは、静かに決めた。


 ――このままじゃ、終わらせない。


 彼女がどんな人間なのか。

 その仮面の下に、何があるのか。


 自分の目で、暴いてやる。

 


翌日。


 ランスは、あえて事務棟に向かった。

 理由は単純だ。昨日のあの視線が、頭から離れなかった。


 事務室に入ると、相変わらず静かだった。

 紙の擦れる音と、ペンの走る音だけが響いている。


 ――フィーアは、いつも通りの地味な服装で机に向かっていた。


(……ほんと、つまんねぇ)


 そう思ったはずなのに、なぜか視線が逸らせない。


 ランスは、わざと大きめの足音を立てて窓口に立った。


「すみませーん。書類の確認、お願いしまーす」


 フィーアは顔を上げ、淡々と応対する。

「はい。お預かりします」


 視線も、声色も、変わらない。

 昨日の出来事など、なかったかのように。


(……これかよ)


 胸の奥に、ちくりと刺さるものがあった。


「……忙しそうですね」

 ランスは、少しだけ語尾を伸ばした。

「最近、騎士団長と“お話”される機会が多かったみたいですし」


 一瞬。


 本当に一瞬だけ、彼女のペンが止まった。


 だが、すぐに何事もなかったように書類に目を落とす。

「業務上、必要な指導をしただけです」


 きっぱりとした返答。


(……くそ)


「へぇ」

 ランスは口角を上げた。

「じゃあ、業務上の話を断ることもあるんですね」


 空気が、少しだけ張り詰める。


 周囲の文官たちが、ちらりとこちらを見る。

 フィーアは一度、深く息を吸った。


「……個人的な話は、業務ではありませんので」


 その声は低く、静かだった。


 ランスは言い返そうとして――やめた。

 代わりに、彼女の顔をじっと見つめた。


 厚化粧の奥。

 強張った口元。

 微かに震える指先。


(……強がってるだけ、か)


 その事実に気づいた瞬間、苛立ちは形を変えた。


「そうですか」

 肩をすくめて言う。

「じゃあ、隊長も“業務外”だったってことですね」


 書類を受け取り、踵を返す。


 背中に、何も投げかけられなかった。

 呼び止める声もない。


 だが、去り際に、はっきり分かった。


 ――フィーアは、俯いていた。


 逃げているようにも、

 耐えているようにも見えた。


(……ちっ)


 胸の奥に、別の感情が芽生えかける。


 だが、ランスはそれを強く踏み潰した。


 ――隊長を傷つけた女だ。

 同情なんて、必要ない。


 そう言い聞かせながら、事務棟を後にした。


 この時はまだ、知らなかった。


 この“小さな嫌味”が、

 自分自身の心を、少しずつ狂わせていくことを。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ――納得がいかなかった。


 事務棟を出てからも、フィーアの俯いた横顔が頭から離れない。

 言い返してこなかったこと。

 怒りもしなかったこと。


(なんで、あんな顔するんだよ)


 被害者みたいな顔をする資格はないはずだ。

 隊長を振ったのは、あの女だ。


 ランスは自分に言い聞かせる。


(俺は間違ってない)

(隊長のためだ)


 控え室に戻り、腰を下ろした時、ふと仲間の会話が耳に入った。


「最近さ、あの女文官、雰囲気変わったよな」


「前から化粧濃かったよな。あれ、何隠してんだ?」


 その瞬間、ランスの中で、ひとつの考えが形になった。


(……化粧、か)


 思い出す。

 厚塗りの肌。

 妙に古臭い口紅。

 目元を隠すような色味。


(あれがなきゃ、何もないんだろ)


 堅物で、愛想がなくて、近寄りがたい。

 その上、顔まで大したことなかったら――


 隊長が惚れる理由なんて、どこにもなくなる。


「……少し、現実見せてやるか」


 声に出していないはずなのに、その言葉はやけに生々しかった。


 翌日。


 ランスは、事務棟の裏手を通った。

 昼休み、文官たちが席を外す時間帯。


 目当ては分かっている。

 フィーアの机の引き出し。


(別に壊すわけじゃない)

(使えなくするだけだ)


 扉の前で一瞬、足が止まった。

 だが、すぐに踏み込む。


 引き出しは、思ったより簡単に開いた。


 中には、整然と並べられた小さな箱。

 布に包まれた、化粧道具。


「……ほんと、几帳面だな」


 ひとつひとつ手に取る。

 口紅。

 白粉。

 眉墨。


 どれも使い込まれている。

 大切にしているのが、嫌でも分かる。


 一瞬だけ、胸の奥がちくりと痛んだ。


(……今さらだ)


 布ごとまとめて、袋に入れる。


(これがなくなれば――)


 彼女は、ただの「売れ残り女文官」だ。

 隊長が特別視する理由なんて、なくなる。


 そう思いたかった。


 袋を持ったまま、ランスは事務棟を後にする。


 その時はまだ、知らなかった。


 自分が“暴こう”としているものが、

 仮面ではなく、宝石だったことを。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ