19 完結
春の気配が、ようやく街に満ち始めた頃。
フィーアは、帳簿を閉じて深く息をついた。
最後の一行に記された数字を、何度も確かめる。
――これで、終わった。
弟の学費。
長い間、胸の奥に居座っていた重石が、ようやく外れた。
「……終わった」
ぽつりと呟いた声に、隣で書類を整理していたウィンダが顔を上げる。
「終わった?」
「うん。全部、納め終わりました。」
その言葉を聞いた瞬間、ウィンダは迷いなく立ち上がり、フィーアを抱き寄せた。
「……よく頑張ったな」
強くはない。
だが、逃がさない腕だった。
フィーアは、彼の胸に額を預けながら、静かに笑う。
「……やっと、肩の力が抜けました」
「これからは、二人で背負えばいい」
その言葉が、胸に沁みた。
“一人で頑張らなくていい”
それを信じられるようになるまで、随分時間がかかった。
数日後、ささやかな食事の席で、弟が二人を前にして姿勢を正した。
「……姉さん」
少し緊張した声音。
「今まで、ありがとう」
その言葉に、フィーアは思わず目を瞬かせた。
「……急にどうしたの」
「学費のこともだけど……それ以上にさ」
弟は一度、ウィンダの方を見る。
「姉さんが、幸せそうだから」
それだけで、胸がいっぱいになった。
「……それに」
弟は照れたように視線を逸らしながら続ける。
「ウィンダさんが一緒なら、安心です。
正直……最初は怖そうな人だと思ってました」
ウィンダは苦笑した。
「よく言われる」
「でも」
弟ははっきりと頷く。
「姉さんを大事にしてくれる人だって、分かりました」
その言葉に、ウィンダは真剣な表情で答えた。
「必ず、幸せにする」
約束ではなく、誓いだった。
夜。
静かな部屋で、フィーアは窓辺に立っていた。
「……ねえ、ウィンダ様......」
「なんだ?」
「昔、弟と話したことがあるんです」
ウィンダは、黙って続きを待つ。
「『私は結婚なんて向いてない』って。
『家庭を持つ自分が想像できない』って」
フィーアは、ゆっくりと振り返る。
「……でも、本当は」
指先を、ぎゅっと握る。
「いつか、自分の居場所が欲しかった。
帰る場所があって……誰かと、未来の話をして」
ウィンダは、そっと近づいた。
「……子供がいたらいいな、って」
小さな声だった。
「弟を育ててる時、思ったんです。
大変だけど……あたたかいな、って」
一瞬の沈黙の後、ウィンダは微笑んだ。
「奇遇だな」
フィーアが見上げる。
「俺も、同じことを考えていた」
肩に手を置き、優しく引き寄せる。
「焦らなくていい。
でも……いつか、その未来を一緒に迎えられたら嬉しい」
フィーアは、彼の胸に顔を埋めた。
「……はい」
それだけで、十分だった。
かつては“堅物売れ残り女文官”と呼ばれていた女性は、
今、確かに誰かの隣で、未来を選んでいる。
不器用で、遠回りで、
それでも――必要だった時間。
そしてこれからは、
二人で、ゆっくりと歩いていくのだ。




