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堅物の売れ残り女文官の秘密 その後  作者: 鈴木 みお


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17/19

17

遠征から戻った騎士団を労う名目で、領主主催の祝賀パーティーが開かれた。


 華やかな音楽と笑い声。

 久しぶりの平穏を祝うかのように、会場は熱気に満ちている。


 ウィンダは壁際に立ち、杯を手にしながら人の流れを眺めていた。


 ――帰ってきた。


 無事に遠征を終えた。それだけのはずなのに、胸の奥は落ち着かない。


「隊長、お疲れ様です!」


 明るい声で声をかけてきたのは、ランスだった。


「今日は主役ですね」

「主役は、無事に戻れた全員だ」


 そう答えながらも、ウィンダの視線は無意識のうちに、会場を探していた。


 ――いない、か。


 少しだけ、安堵と失望が入り混じる。


「……あ」


 そのとき、ランスが言葉を失った。


「どうした」

「い、いや……」


 ランスの視線を追った瞬間、ウィンダの思考は止まった。


 会場の中央。

 人だかりの中に、ひときわ目を引く女性がいた。


 淡い色のドレス。

 髪は丁寧に結い上げられ、いつも伏し目がちだった視線は、堂々と前を向いている。


 ――フィーア。


 一瞬、別人かと思った。


 あれほど地味で、目立たない存在だったはずの彼女が、

 今は自然に、そこに立っている。


 そして――


「……あんな顔、する人だったっけ」


 ランスの呟きが、耳に残った。


 彼の視線は、はっきりとフィーアを追っている。


 それは、以前よりも近い。

 親しさを含んだ、距離のない眼差しだった。


 胸の奥が、きしむ。


 ――やはり、俺の知らないところで。


 自分が遠征に出ている間に、

 彼女は前へ進んでいたのかもしれない。


 ランスをみつけ、フィーアが柔らかく笑った。


 その光景が、決定打になった。


「……似合っているな」


 声をかけたのは、ウィンダだった。


 フィーアは驚いたように振り向き、次いで、はっと息を呑む。


「隊長……お帰りなさい」


「無事で何よりだ」


 言葉は、形式的だった。


 自分でも分かるほど、距離を取っている。


「今日は、王宮の補佐としてここに参加しています」

「…そうか」


 その一言で、会話を切ろうとした。


「……貴族の場も、もう慣れただろう」


 フィーアの表情が、僅かに揺れた。


「それは……」

「よく似合っている」


 褒め言葉のはずだった。

 だが、その奥に滲んだ棘を、彼女は見逃さなかった。


「……隊長は」


 声が、かすかに震える。


「私が、ここにいるのは……お嫌ですか」


 ウィンダは、答えなかった。


 答えられなかった。


「……俺の心配など、もう不要だろう」


 そう言って、背を向けかけた瞬間――


 袖を、強く掴まれた。


「あっ……待ってください!」


 感情を抑えきれない声だった。


 周囲の視線も、音楽も、すべてが遠のく。


「ここでは……」


 フィーアは必死に息を整え、小声で続けた。


「……少し、来てください」


 拒む隙はなかった。


 彼女はウィンダの腕を引き、中庭へと連れ出す。


 その背中を、ランスは呆然と見送っていた。


 ――あんな顔、俺には見せなかった。


 胸の奥で、何かが静かに終わった。


 自分は、最初から届かない場所にいたのだと、理解してしまった。


 ***


「……どうして、突き放すんですか」


 中庭で、フィーアは声を震わせた。


「私が、嫌いだからですか」


「違う」

「なら、どうして!」


 堰を切ったように、言葉が溢れる。


「プロポーズを断ったのは……嫌いだからじゃありません!」


 ウィンダは、息を呑んだ。


「弟の学費が、まだ残っていたんです」

「……」


「私……、あなたの負担になりたくなかった。

 もう守られるだけの存在でいたくなかった」


 涙が、頬を伝う。


「あなたの隣に一緒に立てる、誇れる自分でいたかった……!」


 声が、崩れる。


「なのに……それで、あなたを失いそうになって……」


 フィーアは、俯いた。


「……後悔しています」


 沈黙が落ちる。


 ウィンダは、ゆっくりと彼女に近づいた。


「……愚かだな、俺は」


 フィーアの顎に、そっと指をかける。


「そんな理由で、拒まれていたなんて……」


 視線が合う。


「愛おしいに決まっているだろう」


 涙に濡れた瞳を、真正面から見つめて。


「そんなふうに、俺を想ってくれる女を」


 フィーアの肩が、小さく震えた。


「……隊長」

「フィーア」


 名を呼ぶ。


 もう、距離は取らなかった。



 抱き寄せられた瞬間、フィーアの胸に溜め込んでいたものが一気に溢れた。


 鎧越しでも伝わる体温。

 確かな腕の力に、足元が揺らぐ。


「……離さないでください」


 自分でも驚くほど、縋るような声だった。


 ウィンダの腕が、さらに強く回される。


「……二度と、突き放したりしない」


 低い声が、耳元に落ちる。


 その距離が近すぎて、息がかかる。

 心臓の音が、彼に聞こえてしまいそうだった。


「俺は……お前に触れるたび、抑えていた」


 その告白に、フィーアの喉が鳴る。


「拒まれたと思っていたからだ。

 だが――」


 顎に添えられた指が、そっと持ち上げる。


「……今は違う」


 視線が絡んだまま、逃げ場はない。


「……フィーア」


 名を呼ばれるだけで、体の奥が熱くなる。


「ウィンダ様……」


 呼び返した瞬間、唇が重なった。


 激しいものではない。

 確かめるような、慎重な口づけ。


 だが、それがかえって、胸を締めつけた。


 触れたまま、離れない。


「……好きです」


 唇が触れる距離で、フィーアは囁いた。


「ずっと……怖いくらい」


 ウィンダの呼吸が、僅かに乱れる。


「……それ以上、言うな」


 そう言いながらも、額を重ね、離れない。


「連れて行きたくなる」


 抑えた声に、熱が滲んでいた。


 フィーアの背中に回された手が、ゆっくりと下りる。


 触れられているだけなのに、体が正直に反応してしまう。


「……ここでは、だめです」


 そう言いながらも、拒む力はなかった。


「分かっている」


 ウィンダは名残惜しそうに、唇を離した。


「だから……約束だけ、させてくれ」


 フィーアは、震える息を整えながら頷く。


「必ず、迎えに行く」

「……はい」


 それだけで、十分だった。


 離れる直前、もう一度だけ、短く口づけられた。


 それは、夜を越えるための合図のようだった。




 中庭の柱の影で、ランスは動けずにいた。


 声も、姿も、はっきりと見えてしまった。


 フィーアの、あんな表情。

 必死で、感情をさらけ出している姿。


 ――俺には、見せなかった。


 胸が痛んだが、不思議と恨みは湧かなかった。


「あぁ……そうか」


 小さく、息を吐く。


 自分は、最初から違う場所にいたのだ。


 剣を握る手に、力を込める。


「……隊長」


 あの人の選んだ人なら、間違いない。


 ランスは、静かに踵を返した。


 誰にも見られず、誰にも知られない失恋だった。


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