第二幕:都への帰還と常識の再構築
1. 慣性の都への潜入と現状
アークとシエナは、都の最外縁ゲートを、シエナが事前に仕込んでおいた技術的な抜け道を使って潜り抜けた。都の境界線は、かつて彼らが離れた時よりも、さらに冷たく、重い淀みの濁りに覆われていた。
都の街路に足を踏み入れると、その異様さが明確になった。都民の顔には、かすかな痙攣のような疲労と不安が張り付いていた。「残滓の回収」の力が、以前よりも遥かに強力に淀みを感知した。
「リベラのような過敏な存在は、そのシステムのアンテナとして使われている可能性がある」
二人は都の地下、古い配管網を通るルートを選んだ。そこは都民の「常識」が目を向けない、淀みが濃く溜まった場所だった。
「都の常識は、見たくないものに目を瞑ることで成り立っている。我々はその盲点を通る。淀みを恐れるな、アーク。君の『感性』こそが、この都を覆す唯一の非効率な希望だ」
シエナの言葉を背に、アークは都の深部へと潜り込んでいった。
2. 父エルゴとの再会と衝突
中央制御室に繋がる古いメンテナンスシャフトの入り口で、都の警備隊長に昇格していた父エルゴと再会した。
「アーク。なぜ戻ってきた。私は、お前が都の常識から外れた非効率な部品になったとき、二度と関わらないと決めたはずだ」
エルゴの声は冷たく、完全にシステムの一部として機能していた。彼の瞳には、「秩序」を維持するという固い意思だけが宿っていた。
「父さん、都は崩壊しかけているんだ! カイドスはリベラの感性を使って、淀みを制御しようとしている!」
アークは訴えた。
「無意味な感傷だ」
エルゴは静かに、そして絶対的な確信を持って言った。
「カイドス様は都を究極の安定へと導いている。非効率な要素は全て排除されるべきだ。そして、お前のその『感性』こそが、最も危険な非効率だ」
アークは、イオのもとで学んだ残滓の回収の力を、父に向けて放つことを決意した。アークはシエナのイデア・マニピュレーターを起動させ、カエデの護符を握りしめた。
淀みは、父の「正しいことをしなければならない」という強迫観念と、「自己犠牲の痛み」が凝縮したものだった。アークは淀みを恐れず、全てを自分の体内に取り込んだ。
淀みは増幅されることなく、彼の体内で、澄んだ情報へと変換されていった。アークの指先から、中和されたイデアの波紋が、父エルゴへと向かって放出された。
エルゴの動きが、ぴたりと止まった。彼の瞳に宿っていた「秩序」の光が消え、一瞬、戸惑いと、深い疲労の色が浮かんだ。
「……リベラ……」
父がかすれた声で、妹の名を口にした。その一瞬の隙を見逃さず、シエナは警報システムを無効化した。
「父さん、待っていて。僕が、都の常識を再構築する」
アークは、深い決意と共に、シエナを追ってメンテナンスシャフトの奥へと消えた。
3. 中央制御室への侵入とジェネレーター停止
メンテナンスシャフトを駆け上がり、二人はメインタワーの中央制御室に到達した。その中心で、主席建築士、カイドスが端末を操作していた。
「私は、感情という非効率なノイズを、最も効率的な資源に変えているだけだ。淀みを活用し、都に究極の安定をもたらす。これこそが、都の真の自治だ」
シエナが制御室のサブシステムにアクセスしている間、アークはカイドスを引きつけた。
「リベラはどこだ! 彼女の感性を、何に使っている!」
アークが問い詰めた。
「妹御か。彼女の特異な感性は、システムの感度調整器として優秀だ。彼女自身は、効率的だと思い込んでいる」
シエナが叫んだ。
「今よ、アーク! メインブレイク!」
アークはジェネレーターの巨大なコアに手を伸ばし、残滓の回収の力を最大出力で放った。
淀みは一気にコアから引き抜かれ、都の空へと穏やかな循環のイデアとして放出された。激しい振動と共に、無感性ジェネレーターが沈黙した。
「馬鹿な……非効率な感情が、私のシステムを…!」
カイドスは驚愕した。シエナはシステム内のデータを解析した。
「リベラの居場所を特定したわ。淀みの山に最も近い、地下三層の隔離室よ。彼女はジェネレーターの予備制御装置として使われている!」
アークは、カイドスの拘束をシエナに任せ、地下三層へと続くハッチを力強く開けた。
4. 淀みの山とリベラの救出
アークが地下三層の隔離室へと到達すると、そこには、都民の無関心と生産の苦痛が凝縮された、文字通りの「澱の山」がそびえ立っていた。
山の麓に、妹リベラが拘束されていた。
「お兄ちゃん…ここが、都の常識の…最後なの…」
アークはリベラを安全な場所へ移した後、淀みの山へと向き直った。アークはイデア・マニピュレーターの出力を最大にし、カエデの生命の祝福が込められた護符を強く握りしめた。
「残滓の回収!」
アークは淀みの山全体に、訓練によって強化された感性の力を解き放った。都の全ての過去の淀みが、津波のようにアークの意識を押し流そうとする。
彼の脳裏には、父が効率のために涙をこらえた記憶、無数の労働者が意味を見失ったまま作業を続ける光景が、フラッシュバックのように流れ込んできた。
「排除しない! 否定しない! 全ては、存在の証だ!」
アークは、淀みを憎悪するのではなく、それが生まれた背景にある生命の痛みを、ただひたすらに受け入れた。淀みは、彼の中で純粋な「情報」となり、そして、「循環」への欲求へと変換されていった。
アークの体から放出されたのは、春の陽光のような、穏やかな創造のエネルギーだった。淀みの山は、音を立てて崩れ始め、黒い粘土がゆっくりと、サラサラとした灰色の粒子へと変わっていった。
浄化が完了した瞬間、アークは力尽きて膝をついた。リベラが、澄んだ瞳でアークを見つめた。
「お兄ちゃん…もう、何も聞こえない。都のノイズが、静かになった。代わりに、土の匂いと、水の流れる音、そして…お兄ちゃんの気持ちが聞こえる」
都のシステムは緊急停止に追い込まれ、全ての電光表示板が消えた。都民は、初めて立ち止まり、自分の手に何が残っているのかを知る瞬間を迎える。
4.再構築と真の自立
淀みの山の浄化を終えたアークは、リベラを抱きかかえ、シエナと共にメインタワーの地上へと戻った。街路には、作業を中断され、呆然と立ち尽くす都民たちがいた。
その群れの中に、制服が汚れ、目の輝きを失った父エルゴがいた。
「無駄だ…全てが非効率になった。都は終わったのだ、アーク…」
アークは瓦礫の上に立ち、都民たちに向かって語りかけた。
「終わったんじゃない、父さん。始まったんだ」
「真の自立(Jiritsu)とは、システムに依存することではない。それは、自分の感性(Kansei)で、自分の責任で、自分の周りの物や人との『循環(Junkan)』を意識することだ」
「非効率でいいんだ、父さん。生命の働きは、いつも非効率で、予測不可能で、そして、美しい。これら全てが、私たちの新しい常識となる」
アークの言葉に、都民の中から、わずかながら「希望」のイデアが湧き上がり始めた。都の再構築は、容易な道ではない。しかし、アークは知っていた。循環は、毎日、毎瞬、意識的に行わなければならない、終わりのない創造の行為なのだ。
アークは、新たな「常識」の始まりを確信し、その瞳は、都の暗闇の中に、確かな光を放っていた。
(第二幕 完)




