新たな時代の始まり 2
魔神は顔を歪め、五本の腕を広げた。
次の瞬間、指を弾く。
狙いはティナでもカイルでもない――祈りを捧げ、無防備に立つ巫女たちだった。
無数の見えざる矢が空間を裂き、巫女へ殺到する。
「させないよ」
ティナの声が空気を切る。たった一振り。だが、それだけで十分だった。
神気の結界が矢をすべて弾き落とし、巫女たちへ一本たりとも届かせない。
初めて苛立ちを見せた魔神は舌打ちし、魔人ジークを操りティナめがけて突進させる。
「ジーク!」
その背をカイルの剣が捉えた。一瞬の隙を突いて足元を断ち、巨体が崩れ落ちる。
「今度こそ、解放するぞ……」
友を何度刃で断たねばならないのか。
カイルにとってそれは、己の肉体を斬られるより苦痛だった。
そんな彼の背へ、ティナがそっと手を添える。
その瞳に、もはや迷いはなかった。
「大丈夫。わたしに任せて」
ティナは天へ祈りを捧げる。
神々に向けた巫女の歌。
祝詞のような旋律が光となって降り注ぎ、魔人たちを浄化する。
それはジークを覆う“黒の腕”。
魔神の一部、すなわち人の陰なる感情の権化――“黒の理”を焼き払う、黄金の炎。
光が満ち、ジークの姿が浄化されていく。
魔人から、ひとりの人間へと。
「ジーク!!」
カイルは崩れ落ちる彼の身体を抱き止める。
「ジーク……すまない。俺がもっと強ければ――!」
必死の謝罪に、ジークは穏やかに微笑んだ。
「使命を全うしたな、お前は俺の誇りだ……お前との日々は楽しかったぞ、カイル」
そう呟くと、ジークの肉体は光の粒子となり、灰となって風へ溶けていく。
天を目指すように――魂が帰るべき場所へ帰っていくように。
魔人にされた他の者たちもまた、光に導かれていく。
ティナは理解していた。
彼らは、ティガと同じく転生するのだ。
神々の導きにより、光のもとへ。
「へぇ……前言撤回☆ やるじゃん、現代の巫女★」
純粋にティナの実力を褒める魔神。
その顔はいつの間にか平静を装い、薄ら寒い嗤いを浮かべている。
「でもまあ……現代の巫女に、ここまでの使い手がいるとは思わなかったよ。収穫、収穫♪」
魔神は飄々とした様子で、自らの腕をもぎ取り、空へ放る。
ジークを変異させた腕に緊張が走る――それは蠢き、瞬く間に巨大化。
漆黒の鱗を持つ巨大な翼竜へと変貌した。
「……!?」
「なっ!」
誰もが息を呑む中、魔神は黒竜の背に軽やかに飛び乗る。
「とりあえず帰るね~。楽しかったわよ♡ また会いましょう、新たな時代の英雄さんたち」
次の瞬間、黒竜の口から圧倒的な熱量を誇る黒炎が奔流となって放たれた。
「ティナ!」
「任せて!」
カイルの声に応え、ティナは咄嗟に神力を放つ。
光の壁が展開され、村全体を包み込み、黒炎を完全に防ぎ切った。
その間に黒竜は上空へ舞い上がり、空の彼方へと消えていく。
魔神の嗤い声だけが、風に流れ残った。
「……くそっ!」
悔しさに拳を握るカイル。
その横でティナは、魔神の消えた空をじっと見つめていた。
だが重苦しい空気は、突然の歓声に破られる。
「「やったぁあああ!!」」
それは巫女たちの喜びの声だった。
互いに手を取り合い、命が繋がったことを心から喜び合っている。
誰にとっても“本物の戦場”はこれが初めてだった。
恐怖を押し殺し戦っていた巫女たちは、ついに安堵を得たのだ。
ティナは同世代の巫女たちから囲まれ、「すごいすごい!」と褒め称えられる。
その様子を見ていたカイルは――ほんの少しだけ胸が痛んだ。
『……巻き込んでしまった』
しかし、後悔はしていない。
そう心で呟き、カイルは再び歩き出す。
ティナのもとへ。そして、ババーバのもとへ。
「話を……聞いてほしい」
その声に、空気が静かに張り詰めた。
ババーバは深いため息をひとつ吐き、静かに言う。
「話は聞こう。だが、今じゃない。まずは村に戻って休むとしよう……もちろん、カイル殿もな」
「えっ、あ、カイル……殿?」
「何を驚いてる。あんたはもう立派な“客人”じゃよ。カイル殿」
ティナも巫女たちも、セイラでさえも首をかしげる。
その理由に、誰も気付かない。
その呼び方の裏に、ババーバの“想い”があることを。
ティナを覚醒させたカイルの存在。
そして――ババーバが幼き日に聞いた“真巫と剣士”の物語。
お伽噺の始まりは、ひょっとするとこのような状況だったのかもしれない。
そんな長い昔の記憶に、彼女がほんの少し酔っていたなど――誰も知る由もなかった。
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その日は、村中が騒ぎに騒いでの大騒ぎだった。
村で奉られる神への祈り――とはまるで違う。
それは「無礼講」と称された、ただただ命を喜び、酌み交わすための集い。
巫女たちは笑い合い、泣き合い、そして互いの生存を祝福し合っていた。
「……うまいな。これは、なんという酒なのだ?」
カイルに振る舞われたのは、神の水と呼ばれる秘水から造られた特別な酒。
ひと口含めば、緊張も哀しみもふわりと溶けるような、優しい味わいが広がった。
村の奥地には男性も多く、子供も多く、家畜や農作物が豊かに育ち――この地は、外界から隔絶されながらも“幸福な国”として繁栄していた。
「……ジーク、カタリナ」
その酒を片手にカイルは、愛馬であるリリーとも離れ、ひとり村の外れへ向かう。
遠くまでは行かない。魔神の脅威はなくとも魔障獣の存在があるからだ。
だが――小隊の仲間たちと別れた方角へ歩み、静かに酒を地へ注いだ。
みんな、俺は、生き延びた――お前たちの誇りを、この手で果たした。
俺は、使命を全うしたぞ。
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戦いのあとに開かれた会議は、重苦しい空気に支配されていた。
たしかに勝った。だが魔神の力はあまりにも異常だった。
巫女たちは強い。だが、それは“この村の常識”の中での強さだ。
――再びあれが来たとき、勝てるのか?
魔神は逃げた。村の存在も位置も知られた。
今さら隠れても手遅れではないか?
何より――魔神は一体ではない。
あれが仲間を呼んだら?
再び襲ってきたら?
対策は出来たとしても、太刀打ちできるのか?
多くの巫女の視線は、聖導として、その存在を示したティナに注がれる。
ティナなら守ってくれる――確かにそれが一番安全だ。
だが、ティナだけに背負わせてよいのか?
自分たちが強くなれば――という意見も出たが、神力にも器という限界がある。
誰もがティナのようにはなれない。
沈黙が深まり、誰も言葉を発せないそのとき――。
「みんなで……カイルの国に行こうよ」
ティナが口を開いた。
ざわめきが広がる。
村から出たこともない巫女たちにとって、外界は“未知”であり“恐怖”であり、かつての“裏切り”の象徴だった。
「また裏切られたらどうするんだ」
「信じて、何かあったら責任はどうする」
反対の声が飛び交う中、ババーバが静かに告げた。
「……百年の歴史が、この地にはある。積み重ねた祈りと恩恵で飢えもなく生きてこれた。そんな土地を、そう易々と離れる訳にはいかないね」
村長をはじめ、セイラや保守派は“村を離れない”意志を示した。
この地は彼らにとって国であり、故郷であり、生きた証そのものだ。
再び沈黙が落ちたとき――部外者であるカイルが、静かに口を開く。
「なら、どうだろう?使節団として、俺と共に我が国へ来てくれないだろうか。元々俺たちは、巫女の助力を求めてここまで来た……ティナか、村長か、セイラさんに来てもらえると助かるんだが」
その提案に即座に待ったをかけるティナ。
「いやいや、おかしいでしょ? なんでそこ三択? 普通、わたし一択でしょ?」
ティナが噛みつき、にっこり笑って言った。
「ババーバは言ったよね? 世界を知るんだ、そうすれば光はあるって!」
一瞬の沈黙。
昨日までなら、その言動は巫女にとって禁忌ですらあった。
それが村長であるババーバの口から出たなど、大問題でしかない。
だが、魔神の脅威は確かで、巫女だけでは抗えないというのも事実。
「仕方ないねぇ……では、カイル殿。ティナを頼むよ」
「えっ、え? いいの?」
あまりにあっさりと許可が出たことに、ティナは目を丸くする。
ババーバは溜め息を吐きながら肩をすくめた。
「なんて顔をしてるんだい……まったく、ほんと子供染みた子だねぇ」
不安げな巫女もいる。
留守の間に魔神が来るかもしれない。
それでもババーバは告げた。
魔障獣の棲み家近くにある“祠”。
歴代の聖導が祈りを捧げた神聖な地。
そこには――神滅大戦にて闇を払ったとされる真巫の神具、御祓凪刃が奉られている。
その恩恵は、魔を近付けさせぬ光の加護、魔神に通じるかは分からない。
だが、何もないよりは確実に良い。
「その祠、もしかして……」
カイルがかつて祠へ駆け込み、魔障獣から逃れたことを告げるとババーバは驚愕した。
外界の剣士が、神力も持たぬ者が、あの場所へ辿り着けるなど――普通はあり得ない。
だが――ティナと共に戦った姿を思えば、納得できた。
カイルは導かれたのだ、歴代の聖導、御祓凪刃の持ち主であった真巫に。
なら、もう何も言うことはない。
ババーバは静かに頷き、ティナを、カイルへと託したのだった。




