新たな時代の始まり 1
ティナは叫び、ババーバは倒れ、魔神は嗤っていた。
巫女たちは総崩れだった。
精神的支柱である村長を失い、指揮を執るセイラは重傷。
ティナは戦いに不慣れで、その幼さがかえって顕著に立ち、呆然と崩れ落ちる。
主力たちが倒れたことで、巫女たちは逃げることすら忘れ、ただその場に立ち尽くしていた。
そんな無抵抗の巫女たちに、慈悲はない。
魔人ジークの進撃は止まらない。
瀕死のババーバにとどめを刺すべく、魔神の力でさらに強靭となった腕を振りかざす。
魔神は醜悪に嗤い、セイラは傷ついた身体でなお手を伸ばす。
ティナは、叫ぶことしかできなかった。
その刹那――持てるすべての剣気を解き放ち、周囲の空気を一変させた者がひとり。
カイルだ。
カイルは上段に構え、ジークの背へと一閃。
刃は確かに通った。
だが振り返ったジークの拳が、容赦なくカイルを薙ぎ払う。
「ぐっ……!」
辛うじて剣で受けたものの、その衝撃は凄まじく、抗いきれず吹き飛ばされる。
背後の大木へ激突し、血反吐を吐いて倒れ込んだ。
ジークは振り返りもせず、再びババーバへ拳を――「させん!」
カイルは歯を食いしばり、大木を足場に跳躍。
隙だらけのジークの背へ、再び斬撃を叩き込もうとする。
だが、今度はジークの背から歪な音が軋み、黒き血筋が翼のように広がると、そのまま宙を舞った。
その飛翔の速さは尋常でなく、カイルの一撃をあっさりと置き去りにする。
その間、荒い息を吐きながらもセイラは、ティナに助力を願う。
「ティナ様、村長を……皆に、ご加護を……!」
冷静であれば、ティナの神力があれば状況を覆すことなど本来たやすいはずだ。
だが、彼女にとって魔神との戦いは初めてであり、憎悪や悲痛な想いによって無理やり転生させられた魔人との対峙もまた初めて。
皆が、ババーバが、身内とも言える村の者たちが血を流している。
これほどの地獄を目の当たりにするのも、すべてが“初めて”だった。
聖導とはいえ、彼女はまだ十四歳なのだ。
冷静どころか、平静を保てるはずもない。
「ティナさま……ご無礼、を……!」
そんな彼女に向けて、セイラは得意とする光を帯びた線撃を放つ。
閃光はティナの頬をかすめ、熱とともに血が一筋、滴り落ちる。
「……セイラ?」
「ティナ様、村長を……!」
その言葉でようやく、ティナはババーバが地に伏していることに気付く。
ジーク以外の魔人たちが闊歩する戦場の只中を、ティナは震える足腰に鞭を打ち、ババーバのもとへと駆け寄った。
「ティナ……」
まだ息がある――そう気付いたティナは、急ぎ神力で傷を癒そうとする。
だが、声が聞こえない。
友のように、肉親のように、親密な関係で交わってきた“神々の声”が、なにも聞こえない。
ただ、ババーバの身体から赤黒い血があふれ落ちるのを、必死に両手で押さえつけることしかできなかった。
「ティナ、神力を……」
「おばあちゃん、きこえないの、なにもきこえないの!」
「まったく、肝心な時にどうしようもない子だねぇ……そういえば、あの助けようとした魔獣がいなくなった時も、あんたはそうやって泣いてるだけだったねぇ……」
「おばあちゃん、いやだよ、いなくならないで!」
ババーバの傷は深刻だった。
もはや神仏の類でなければ癒せないほどに、その灯火は消えかかっている。
だがババーバは、彼女を――ティナを安心させるように、いつものように笑った。
「落ち着いて聞きな。私はね、あんたに悪いことをしたと思ってるんだよ……」
「え? わるいこと?」
「あんたが小さい頃、私たち巫女の言うことを聞かないのも、ここにいる誰よりも神々に近い存在だからだと思っていた……でも、本当は、私のせいさね」
「どういうこと……?」
「お前の両親、あの二人は村を守るために魔障獣と戦い、その命を落とした。それまで私は、男が戦いに出るのも別に構わないと思っていたからねぇ……不思議なことに、お前の母はもちろん、父の方も、男には珍しく神力を授かっていてね……だが、それが失敗だった」
傷の痛みに、時折苦悶の表情を浮かべながらも、ババーバは懸命に言葉を紡ぐ。
「きっと、あんたの親のどちらかでも生きていれば……あんたの性格も、生き方も、もう少し自由だった筈だ。だから、すまないねぇ」
「そんなこと言われても……私は、お父さんもお母さんも、この村を守るために懸命に戦ったと思ってるし、誇りに思ってるよ」
「そうかい……なら、あの二人も報われるね。ティナ、いいかい。魔神は強大だ……今のあんたの精神力じゃ太刀打ちできないだろう。だから逃げるんだ。逃げて、生きて、世界を知るんだよ。そうすれば、きっと光はある……きっと、あるはず……だ……」
そこで言葉が途切れる。
ティナが絶望に瀕して泣き叫ぼうとした、その時――「おおぉぉぉぉ!!」
カイルの雄叫びが戦場に響き、魔人ジークの片翼が斬り払われる。
同時に振るわれたジークの拳は、カイルの剣によってなんとか受け止められたものの、あまりの威力に再び吹き飛ばされる――はずだった。
だがカイルは、地に剣を突き立てて踏ん張り、自らの後退を強引に止める。
運良く、そのまま泣き崩れるティナの横へと並び立つ形になり、彼はちらりとティナを一瞥した。
「……尻拭いするぞ」
その一言に、ティナの瞳がかすかに揺れる。
「……俺がここに来たのが、いけなかったのかもしれない。だが、それでも……俺に後悔はない」
剣を支えに立ち、カイルはティナに振り向きもせず、その背で語るように己の想いを吐き出す。
「たとえ俺の弱さが……ジークたちを失わせ、村を危機に陥れたとしても……奴ら、“黒の理”は止まらない!」
声が、怒号へと変わっていく。
「俺たちが滅べば、ここで潰えた者たちの魂はどこへ行く? 彼らのためにも、俺は己の使命のために……いや、小隊のみんなの誇りのためにも、絶対にここで食い止める!」
ティナの肩が、びくりと震えた。
「お前はどうなんだ!? 巫女……いや、“聖導”!聖導がどんな役目か、正直俺には分からない。だが、お前は皆の希望なんだろう!? だったら……!」
カイルは歯を食いしばり、叫ぶ。
「お前が崩れたら、誰が村を救う!? 誰が皆を守る!? ここで変われずに、いつ変わるんだ!! ここで潰えれば村ごと終わるんだぞ……尻拭いする機会すらなくなる。それでいいのか……ティナ!!」
その言葉は、刃のようにティナの心を突き刺した。
胸の奥が熱い。
震える指先が光を纏う。
目の奥が、燃えた。
「――違う……っ!」
ティナは立ち上がった。
涙に濡れた瞳には、もはや揺るぎない意志が宿っている。
「私が……守る! 誰も、死なせない!!」
その瞬間、空気が震えた。
ティナの身体から溢れ出た光が地を満たし、天を照らす。
黄金の神気が巫女たちの身体を包み、倒れていた者たちが息を吹き返す。
破れた衣が再生し、傷が塞がり、失われた声が蘇る。
それは――聖なる回復。
癒しと再生の、神の力だった。
ティナが真に“目覚めた”瞬間、魔神は初めて嗤うのをやめた。
「そうだ、それでいい! 行くぞ、ティナ!」
「カイル……うん、行こう!」
ふたりが肩を並べて立ち上がったのを見て、黄金の神気を浴びたババーバの意識が静かに戻り始める。
神々しさを纏って立つティナの背に、巫女たちは膝をつき、祈りの所作を捧げた。
戦闘巫女も負傷者も、若き巫女たちも――皆がティナを見上げている。
その中に、重傷だったセイラもまた、誇りを込めて頭を垂れていた。
その光景に、傷を癒やされたババーバの脳裏へ、古の記憶がよぎる。
――神滅大戦。
かつて最も神に近いとされた真巫。そして、その隣に立ち続けた一人の剣士。
背中を預け合い、互いを信じ、世界を救ったふたり。
(まるで、あのふたりの再来じゃないかい……)
ティナとカイル。
ババーバがどれほど言葉を尽くしても変わらなかったティナ。
だが、カイルは違った。
彼のほんのひと言で目を覚まし、立ち上がったティナ。
ふたりは自然と呼吸を合わせ、互いを補い合っている。
その姿は、どこか神話の一頁のようにすら見えた。




