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黒の旋律 1

 静寂と緑に包まれた神域の村。

 そこに外の者が足を踏み入れるなど、百年ものあいだ、一度としてなかった。


 その静寂を破るように、少女ティナが“外の男”――カイルを連れて戻った。


「あ、あれ……ティナ様の隣に……!?」

「どうして外の人間がここに……!」

「だ、大変だわ……村長に知らせなきゃ!!」


 巫女たちはざわつき、武器を構え、まるで魔獣でも見るかのようにカイルを警戒する。

 若い巫女ほどその反応は顕著で、中にはカイルの前に武器を向けて出ようとする者もいる。


「騒ぐんじゃないよ、まったく……」


 現れたのは杖をついたババーバ。

 その背後には、冷徹な目をした側近の巫女――セイラが控えている。


「ティナ、これはどういうことなんだい?」


 ババーバの問いに、ティナは一歩前に出た。


「話を聞いて。彼は、使命を持ってここに来たの」


 ティナの真剣な訴えにも、ババーバは片目を閉じ、重く、深く息を吐いた。


「ティナ……その男の使命なんて関係ない。この村は世界と隔絶した村。それには理由があるのは分かるね?」

「うん」

「百年前、巫女たちは世界に見捨てられた。平和になった途端“危険な存在”として追い払われたんだよ。だから私たちは外界を捨てた。 魔障獣を倒していいのは近付いた分だけ。遠くのものを倒す必要はないと言ったろう」

「言った……言ったとは思うけど、ある程度は倒さないとみんなが危険じゃん……」

「危険もなにも一人一人、決まりがある。それを過保護に救ってはその者達が成長しない」


 ティナはムッとしたが、ババーバの言い分も理解でき反論はせずに目を伏せた。


「いや、倒すだけならまだいい。外界の魔獣も連れてくるのもまだ許そう……でもね、人間は駄目だ。それは看過できないね」


 その言葉に、ティナは複雑な表情を浮かべた。


「人だろうと、“ティガ”だろうと、困っている人を見過ごすなんてことできないよ」


 ババーバは溜息をひとつ吐き、ようやくそこでカイルに視線を向けた。


「悪いけどね、帰っておくれ。この子が何を言おうとこの村の長は私だ。 世界がどうなろうと、私たちの知ったことじゃないよ」 


 カイルが一歩踏み出す。


「待ってくれ。話だけでも聞いてほしい……世界は闇に包まれつつある!それはもうすぐそこに――」


 その瞬間、村長の側近である巫女セイラが神力を放った。

 光が地を裂き、轟音が村に響く。


「黙れ。これ以上ここに留まるなら、命はないと思え」


 威圧に満ちた声。

 だがティナがすかさず二人の間に飛び込み、叫んだ。


「セイラ、やめて!!」


 辺りが静まり返る。


「話くらい聞いてあげてよ……ババーバもセイラも、彼、本気なんだよ」


 ティナの声は震えていた。

 しかしババーバは、冷たい眼差しで言い放つ。


「どうせ“世界が危ない”から助けてくれってんだろう。世界から追放された私達の百年の歴史のなかで、外の世界を助けたいと思う者がいる訳がない。今さらだよ。むしろ外の世界も黒の理と等しく、私たちの敵だ」


 その言葉は、刃のように冷たかった。


「帰りな。ここはあんたたちが踏み込んでいい場所じゃない」


 ババーバに次いで、セイラが鋭い声を重ねる。


「聞こえただろう。次は威嚇じゃ済まない」


 だがカイルは動かない。

 腰の剣を抜き、一閃――そのまま地面に突き立てた。


「なんの真似さね?」

「話を聞いてくれるまで、俺はここから離れない」


 村中の空気が揺れる。


「俺たちは命を懸けて来た。話を聞いてくれるまで、絶対にここから動かない! ここで朽ち果てても構わない!」


 セイラの眉が怒りに震えた。


「そうか……だったら、ここで死ね!」


 狙いすました光の刃がカイルに向かって放たれる。


「やめて!!」


 ティナの叫びと同時に、彼女の手が光の刃を弾き飛ばした。


「……ティナ様でも、許されることと許されないことがありますよ?」


 セイラとティナが睨み合う。

 空気は張りつめ、今にも爆ぜそうだった。


「……やれやれ」


 溜め息とともに、ババーバが一歩下がる。

 セイラもはっとして腰を落とした。

 カイルはただ静かに、その光景を見つめている。


 ――そのときだ。


 村の入口から、甲高い悲鳴があがった。


「キャアアアアッ!!」


 全員が一斉に振り返る。


 木々の隙間から、黒いもやのような気配が立ち上っていた。

 重く、禍々しく、世界の理さえ歪めるような瘴気。


「……なんだい、ありゃ……!」


 ババーバの目が大きく見開かれた。


「敵だ! 皆、配置につけ!!」


 セイラの怒号が村に響き渡り、巫女たちは戦闘型の陣形を整えはじめる。


「ババーバ……? これ……なに?」


 ティナに返答せず、ババーバはカイルを指差し、怒気を含んだ声を吐いた。


「あんた! あれはなんだい! 外の者を連れてきただけじゃなく、“災厄”まで引き連れてきたってのかい!?」


 その言葉に、カイルの瞳がかすかに揺れる。


「……おそらく、あれは魔神だ」


 そのカイルの言葉を受け、ババーバはセイラに目配せを送る。

 セイラは頷き、皆に続くよう告げると、戦闘に長けた巫女たちが次々と前線へと走っていった。


 村の広場に残ったのは、ティナとカイル、そしてババーバだけだった。


「……おい、小僧」


 呼ばれてすぐに、カイルが反応する。


「小僧じゃない。カイルだ」

「名なんぞ知らんよ。見た目通りの呼び名を使っただけだ。なぁ、小僧」


 突き放すような言葉に、カイルの眉がわずかに動く。


「俺は十六だ。成人もしている」

「え!? 十六!? 見えない……えっ、私より年上なの!?」


 ティナが素っ頓狂な声をあげ、なぜか真剣な表情でカイルの顔を覗き込む。


「そんなことはどうでもいい! ティナ、お前は黙りな!」


 ぺちん、とティナの頭を軽く叩き、ババーバは鋭い目でカイルを睨んだ。


「小僧、魔神と言ったね?」

「……あぁ」

「確かに、あの禍々しい穢気は見たことがない。お前はここまで何人できたんだい?」


 その問いに、カイルは小さく息を止めた。

 そして――ババーバの真意に気付く。


 黒の理が広がる世界。

 顕現した〈黒の上位主〉――魔神は、死者や人を“魔人”として造り変える。


 沈黙が落ちる。

 ティナだけが、ふたりの気配の変化に置いていかれていた。


「……三十人だ。だが魔神はそれだけじゃない。取り込んだ魔人を呼び寄せている可能性がある」

「なんだいそれは……」

「ここに来るまでに、近くの村が襲われていた……おそらく、その村の人間を魔人に変え、俺たちを襲わせた」


 ババーバの眉が深く寄る。


「それだけじゃない。魔神は黒竜も使役している。とてつもなく巨大な……黒き翼竜だ」


 静かに告げるカイルの言葉に、ティナもついに事態の深刻さを悟った。


「じゃあ、私が行くよ! この村で一番強いのは私なんだ――」


 その勢いを――ババーバの一喝が切り裂いた。


「お前は動くんじゃないよ!」


 その声に、ティナの足が止まる。


「力あるべき聖導がね、村を危険にさらした。この小僧を招き入れ、魔神まで呼び寄せた。ティナ、これは許されることじゃないよ」

「わ、分かってる……だから私が尻拭いを――」

「いや、お前には村を守ってもらう」

「なんで!? 私が行った方が戦力になるじゃん!」

「万が一がある――この神の地を、百年かけて祈祷で守ってきたこの地を魔に侵されるわけにはいかないんだよ。そんなことも分からないのかい?」


 ティナは口を開いたが、言葉が続かなかった。

 ババーバは小さく背を向け、杖の先で地を突く。


「……私が出る。小僧、あんたも来な。これはお前が招いた事だ。責任は、しっかり取ってもらうよ」

「当然だ!」


 ババーバとカイルが村の入り口へ向かって歩き出す。

 朝日の中、ふたりの影が長く伸びる。


 ティナは、その背中を黙って見つめていた。

 一人だけ取り残されたように、広場の中央で立ち尽くす――けれど、胸の奥から湧く想いは、静かなままではなかった。


「村を守るなら……ここで呆けてるべきじゃないよね。 ね、ティガ」


 心の奥にいる“相棒”に語りかける。

 返事はない。

 けれど、確かな背押しを感じた。

 ティナは迷いを捨て、大地を蹴る。

 風が裂け、草が舞い、巫女の少女の影が走る。


 朝日に燃える空の下――彼女の足音は熱を帯びて、カイルとババーバの背中を追った。


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