表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/13

カイルの使命 4

 目を開けると、夜はすでに明けていた。

 祠の中は薄明かりに包まれ、静寂が満ちている。

 外からは鳥の声すら聞こえず、森全体が息を潜めているようだった。


 カイルはゆっくりと身体を起こし、耳を澄ませた――獣の気配はない。

 昨夜の嵐のような戦いが嘘のように、世界は穏やかだった。


 慎重に外を観察する。

 木々の間を抜ける朝の風。

 陽光が斜めに差し込み、薄い霧が流れる。

 黒獣の姿も、血の匂いもない。


「……この祠のおかげか?」


 独り言のように呟くと、カイルは腰の袋から粗末な物ではあるが、非常食用の干し肉と乾燥パンを取り出した。

 それを祠の前にそっと置き、深く頭を垂れる。


「皆に加護を……巫女への導きを」


 静かに祈祷を捧げ、手を合わせる。

 やがて顔を上げ、リリーの首を撫でる。


「行こう、リリー……仲間のもとへは戻らない。俺達は自分の使命を果たすため、巫女を探そう」


 リリーが小さく嘶き、カイルを見上げる。

 その瞳に映る信頼を確かめ、二人は再び森の奥へと歩みを進めた。


 不思議なことに、森は静かだった。

 昨日あれほど獣が蠢いていたとは思えぬほど、空気が澄んでいる。

 まるで、別の場所に迷い込んだような――そんな錯覚すら覚える。


 だが、油断はしない。

 剣の柄に手を置き、気配を探る。


 その時だった。

 遠くから、低い遠吠えが聞こえた。

 カイルの表情が険しくなる。

 仲間が襲われている可能性――巫女を探すのは大前提だが、昨日殿を務めたように仲間が危機ならば助けねばならない。


 その一念で、音のする方へと馬を走らせた。

 やがて木々の密度が増し、獣の匂いが濃くなる。

 血のような、腐臭のような匂い。

 リリーから下馬し、そっと身を潜め周囲を伺うと、カイルはすぐに悟った。


「……ここは、棲みかか」


 魔障獣の群れが潜む巣穴。

 それを守る黒獣たちが、一斉にカイルの存在に気づいた。


 低い唸り声が幾重にも重なり、森が揺れる。


「最悪だ……」


 小さく呟いた瞬間、カイルはリリーに飛び乗った。


「逃げるぞ!」


 リリーの蹄が地を蹴り、再び森を裂く。

 背後からは咆哮、枝を砕く音、重い足音。

 追撃の群れが迫る。


 枝の間を渡る黒い影。

 上から、横から、前から――獣たちは息を合わせて襲いかかってくる。

 だが闇夜とは違い、森の中とはいえ陽光は差す。その為、対応は昨晩より明らかに楽ではあった。

 カイルは剣を抜き放ち、幾つもの爪を弾き返した。


 「くっ……!」


 だが、多勢に無勢。肩をかすめる鋭い痛みが走り、血が滲む。

 それでもカイルは剣を振り、リリーを守る。


 その時、川のせせらぎが耳に届いた。

 流れる水音――命の音。


「……川か!」


 一か八か。

 方向も、距離も分からない。

 だが、森の中を宛もなく逃げるよりは、流れに沿った方が生き残れる。


 リリーの手綱を操り、川の方角へと駆け出す。

 枝を避け、根を飛び越え、風を切る。

 しかし、黒獣たちは容赦なく迫ってきた。


 再び、木の上から一体が飛びかかる。

 カイルは剣で受け流すが、すぐに次が来る。

 背後を狙った一撃が、肩口に深く食い込んだ。

 背中に走る激痛。

 それでも歯を食いしばり、リリーの背にしがみつく。


 ようやく木々の先に光が見えた。

 川だ。だが――


「段差か!?」


 視界の先、川面までは高い崖。

 迷う時間はない。リリーが飛越し、川沿いに着地するが、体勢を崩した瞬間、背後から黒獣が迫った。


 爪が空を裂き、カイルの背を再び捉える。

 更なる痛みが走り、落馬、膝が崩れた。


「くそぉぉぉぉっ!!!」


 怒りとも悔しさともつかぬ叫びが、森に響く。

 それでもカイルは倒れまいと剣を杖代わりに立ち上がる。


 だが、鋭くうねる獣の尾が唸りを上げる。今にも、その身を貫かんとしていた。


 その刹那、鋭い声が響き――光が走った。


 轟音。

 光。

 風。


 次の瞬間、魔障獣は地を揺らすほどの音を立てて倒れ伏す。

 カイルが見上げた先に立っていたのは、一人の少女。

 日を弾く赤い紐に束ねられた髪、澄んだ瞳。

 信じられないものを見たように、カイルはただ呟いた。


「君……は……」


 ティナは少しだけ首を傾げ、柔らかく笑った。


「私はティナ。 あなたは?」

「おれ、は……」


 言葉を紡ぎかけた瞬間、カイルの身体が崩れ落ちた。

 意識が途切れ、剣が静かに地を打つ。

 ティナはしゃがみ込み、そっとカイルの顔を覗き込んだ。

 その瞳には、恐怖ではなく、ほんのかすかな安堵が浮かんでいた。




 視界が滲んでいた。

 痛みと疲労で意識が遠のいていたのか、カイルは地面に背をつけたまま、ぼんやりと上空を見ていた。


『あれ、俺はなにを……』


 倒れていたはずの魔障獣は、音もなく崩れ伏している。

 代わりに、陽の光を背に立っていたのは――。


「君が助けてくれたのか……?」


 細く声を絞ると、その少女はどこか現実離れした雰囲気を纏いながら、にこっと笑った。


「大丈夫? 私はティナ。あなたは?」


 その声に、この少女が誰なのか確信した。

 だからか、息を吸うのも苦しい胸を押さえながら、カイルは必死に言葉を返す。


「ティナ……? いや、その格好……君は、巫女か……? 巫女なのか?」

「うん、そうだよ。 で、あなたの名前は?」

「そうか、巫女……君が、そうか」


 カイルは上体を起こそうと身体に力を込める。


「俺の名前はカイル。 ここには、ある使命を受けてきたんだ……」

「へぇ、そうなんだ。 それよりもなんで私が巫女って知ってるの?」

「そんなの……知ってるに決まってる……!」


 カイルの声は、震えていた。だが、それは恐れではなく、焦がれるような必死さだった。


「俺たちは……君に、君たち巫女に……会いに来たんだ……!」

「はい、はーい。とりあえず落ち着いて」

「落ち着いてなんかいられるか……俺はここまで、どんな思いで――」

「はいはい、分かったってば。そんなことより、まずはその傷を治さないとね」

「傷……こんなのかすり傷だ」


 カイルは歯を食いしばりながら、ぐっと身体に力を入れる。

 だが、体がついてこない。わずかに肩が揺れただけで、息が漏れた。


 その様子を見て、ティナはくすっと笑う。


「ふふっ、強がらなくていいから」


 ティナがそう言って、ふわりと手を差し出す。


「……ッ!?」


 次の瞬間、ティナの掌から目映い光があふれ、カイルの身体をやさしく包み込んだ。

 それは治癒士や魔術師のような力とは違う。

 全く異なる力、それは傷口を癒すだけではなく、失われた体力までも満ちていくような、不思議な感覚だった。


 カイルは思わず、自分の腕を見つめる。裂けていたはずの皮膚が、まるで何もなかったかのように滑らかに戻っていた。


「これでよし、ね? これでもう少し落ち着いて話せるでしょ?」


 ティナは、悪戯っぽく笑っていた。

ティナが傷を癒し終えると、カイルはしばらくその掌を見つめていた。

 やがて、ゆっくりと体を起こし、少しだけ顔を上げる。


「……ありがとう。助かった」


 その言葉に、ティナは一瞬ぽかんと目を見開いた。


「……どうした?」


 不思議そうに尋ねるカイルに、ティナは小さく首を振る。


「ううん、なんでもない……ただね」


 視線を伏せ、少し照れくさそうに笑う。


「“ありがとう”っていう友達みたいな言葉さ……言われたの初めてかも」


 くすぐったそうに、それでいてどこか嬉しそうに微笑むその姿は、神の力を持つ巫女というより――ただの年頃の少女だった。


「……そうか」


 一拍の沈黙。

 そしてカイルは表情を引き締め、声の調子を切り替えた。


「そんなことより――」

「そんなことより!?」


 ティナが思わず声を上げる。

 その瞬間、カイルは彼女の両肩に手を置き、真っすぐにその瞳を見つめた。


「ああ、そうだ。そんなことより、話を聞いてほしい。俺は――君たちに、どうしても伝えなきゃいけないことがある」


 ティナは目を瞬いた。


「なにそれ?」

「……俺は、いや俺たちは、国を救うために、世界を救うためにここまでやって来たんだ」


 その声には熱がこもっていた。

 目の前の少女に、誇りをかけて。

 己の使命をかけて――カイルの瞳は、わずかの揺らぎもなくティナを見つめていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ