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王国へ 3

 ラールが持っていた地図は、王国とその周辺のものだった。

 だが当然のように、百年ものあいだ外界と隔絶されていた巫女の森についての記載は一切ない。


 どちらへ進めば森を抜けられるのか――それさえ分からなかった。


 思い返せば、森に入った時も道を選んだわけではない。

 魔神、そして黒き竜の襲撃を受け、逃げ込むようにして森へ踏み入っただけだ。

 カタリナ、ラール、レックスもその後は魔障獣を避けるために無我夢中で移動していたため、正確な方角など覚えているはずもない。


 そんな中で頼れたのは――村長ババーバの知識だった。


 この森は、代々の巫女たちが残した“行ってはならない土地”の記録がある。

 どの方角へ進めば危険で、どちらへ向かえば森の外へ通じるのか。

 地図のない世界で唯一の指針となる、口伝の知識だ。


 それを照らし合わせた結果、ようやくカイルたちは「森を抜けられる可能性が最も高い方角」を割り出すことができた。


 またティナは “神々の声” を聞くことができた。

 それは特別な術というより、人が誰かに道を尋ねるのとほとんど同じ――ただし、比べものにならないほど正確だった。


 神々は光や風、大地を通して進むべき道を示してくれる。

 そのためティナは、カイル小隊が行きで踏み込んだ“道なき道”の正解を迷うことなく辿り直した。

 馬はカイルの愛馬リリーのみだったが、荷物の大半をリリーに預けたことで徒歩の負担は減り、また体力の少ないユラがいたにもかかわらず、わずか数時間で森を突破することができた。


 もちろん道中、魔障獣にも遭遇した。

 そのたびにカタリナたちは身を固くしたが、ティナはまるで雑草を刈るように――いや、それよりも容易く、瞬きの間に魔障獣を消滅させていく。

 あまりの強さに、カタリナは思わずこぼした。


「……なんだか、私たちが死にかけてたのが夢みたいね」


 カイルたちが二日かけて抜けた道のりを、ティナはわずか数時間で突破した。

 そして――ついにティナにとって初めての“外の世界”の大地へ足を踏み入れる。


 そこに広がっていたのは、村では決して見られない壮大な景色だった。


 どこまでも続く緑の地平線。

 視界を遮る木々は一本もなく、空は果てしなく青い。


「うわぁ~~! きれい!!」


 ティナは両手を広げ、はしゃぐように大地を駆ける。


「す、すごい……」


 ユラは目を丸くし、思わず息を呑んだ。


 そんな二人の姿を見て、カタリナが思わず笑みを漏らす。


「私たちより年下なんだよねぇ……強すぎるから忘れちゃうけど。こういうところ見ると、なんだか落ち着くね」

「……あぁ」


 不器用で人見知りなレックスも、その言葉に小さく同意した。


 当然、森を抜けた先の平原には魔障獣の気配はない。

 出たとしても、カイルたちでも十分対処できる獣型の魔獣ばかりだ。

 そのため、一行はひとまず昼食の準備に取りかかった。


 といっても、村でいただいた“すいとん”と呼ばれる、王国では珍しい食べ物だ。

 本来は湯でふやかすのが一番美味しいが、水でも十分柔らかくなる。

 そこへ味噌という香りの強い香辛料を加えれば――素朴だが、どこか深みのある味わいに仕上がる。


「……うまいな、これ」

「私達の乾燥パンよりよっぽど贅沢じゃない?」


 カイルたち王国の剣士組は、初めて口にしたすいとんを絶賛していた。

 村で何度も食べてきたティナとユラは誇らしげに微笑む。


 その間、リリーはのんびりと草を食し、元冒険者上がりのラールは地図を広げ、現在位置の確認にあたっていた。

 魔神に襲われた村方面は王国への最短ルートでもある。

 だが――「最短だけど、不向きだな……」ラールが眉を寄せる。


「魔人の残党が潜んでいる可能性もあるし、その先は湿地帯。徒歩じゃまず無理だ。 ポイズントードも出るしな」


 ポイズントード――人型に近い体躯を持つ巨大な毒獣。

 その名の通り毒を飛ばすため、馬による機動力がないと非常に厄介だ。


「やっぱり馬が必要ってことだな」


 カイルが頷き、カタリナとレックスも同意する。

 ラールは地図上に指を滑らせながら言葉を続けた。


「このまま森沿いに東〜北東へ向かえば、平原を抜けられる。 その先には街道があるはずだ。街道を北へ進めば……中規模都市サンノアに着く」


 サンノア――ルクスア帝国に属する城塞都市。

 王国とは敵対していないため、旅人として入る分には問題ない。

 食事を終えた一行は荷物を整え、いよいよサンノアへ向けて歩き出した。


「え!? ティガ!??」


 道中、ティナが突然叫んだ。

 その声に、一行が一斉にそちらへ目を向ける。


 森沿いの草原に、茶色い毛並みの魔獣達がのそのそ歩いていた。


「お、おいティナ、近付くなって!」


 カイルが慌てて腕を伸ばすより早く、ティナは瞳をきらきらさせて身を乗り出す。


「だってティガそっくりなんだもん!」


 そんなハイテンションのティナを見ながら、ラールが咳払いして前に出た。


「……あれはレトリバードッグだな」

「レトリバードッグ……ッ!?」


 ティナがラールに振り向き、瞳をさらに大きく見開く。


「魔獣の一種だが、こちらから仕掛けなければ基本的に人は襲わない。群れで行動してはいるが、大人しいからそこは安心していい」


 ラールが指差しながら解説すると、ティナはキラキラした目で素直に聞き入っていた。


「すごい! ラールって魔獣に詳しいんだね!」

「お、おう……まあな!冒険者上がりだし、知識だけはあるんだ!」


 急に注目を浴びて、ラールは胸を張りだした。

 聖導と呼ばれるティナがこんなに興味津々で聞いてくれるのだから、そりゃあ誇らしくもなる。


「で、レトリバードッグは――」


 ラールの解説が止まらなくなり、ティナも「へぇ!」「すごいね!」と身を乗り出して聞き入る。


 二人が楽しそうに会話を弾ませる中、「め、メモしなきゃ……!」とユラはティナの少し後ろで、小さなメモ帳を必死に開き、ラールの説明を逃すまいと書き留めていた。


 ティナの役に立ちたい一心で、何度もペン先が走る。


 「でも、そっか……なら、ティガみたいに仲良くなれるかも!」


 考えるより先に身体が動くティナは、勢いそのままレトリバードッグへ突撃しようとした。


「おい、待て」


 カイルが素早く手を伸ばし、ティナの首根っこをつかんで持ち上げるように制止した。


「えぇ~! なんでじゃまするの!?」


 ぶら下げられた状態で抗議するティナに、カイルは淡々と告げる。


「姿かたちが似てても、あれはティガじゃない。それに……ティガは転生するんだろう?」


 その言葉に、ティナの動きがぴたりと止まる。


「……あ。そうだね。うん。そうだった……あれはティガじゃない、ね……」


 しょんぼりとうなだれつつも、ティナは納得したように笑う。


「ありがとうね、カイル」


 気落ちはしているが、きちんと落ち着いた様子のティナ。

 その浮き沈みの激しさに、後ろからカタリナがくすっと笑った。


「やっぱり子供だわ……強すぎるから忘れるけど、こういうとこ見ると安心するね」


 レックスも無言でうなずく。

 その後も魔獣に襲われることなく、一行は安全に平原を進んでいった。


 夜更けになり、一行は早めの野宿を決めた。


 本来であれば見張りは交代制でおこなうものだが、ティナは平然とした顔で言った。


「危険はないから大丈夫だよ~。 みんなそう言ってるし」


 根拠があるような、ないような――しかし、ティナには確かに“聞こえている”のだ。

 神々の声が、光や風、大地を通して知らせてくるということを皆はもう理解していた。


 そのため、彼女の言葉に従って一行は緩やかに平原へ寝転がった。

 夜空いっぱいに散る星々を眺めながら、旅路の高揚と安堵が入り混じる小さな語りが弾む。




 そして翌朝。


 街道を発見した一行は、北東へ向かって歩を進めること数時間――。


「わぁ……!」

「……す、すごい」


 サンノアの城壁が見えた瞬間、ティナは目を輝かせ、ユラは呆然と口を開けたまま固まってしまった。

 中規模都市とはいえ、帝国領の町は巫女の村とは比べものにならないほど大きく、人の流れも活気も桁違いだ。


 城門前には旅人や商人が列をつくっており、その光景だけでティナはわくわく、ユラは圧倒される。


「ほらほら、二人とも落ち着いて。迷子にならないでよ?」


 カタリナが苦笑しながら声をかけると、ティナは「迷子になんかならないよ~!」と胸を張り、ユラは「が、がんばります……」と小声で震えた。


 また、巫女に希望を託した王国とは違い、帝国ではいまだに巫女が“忌まわしき存在”として扱われている可能性があった。

 だが、ティナとユラには巫女装束を隠すための衣類もない。

 むしろ中途半端に隠せば目立つだけだ。


 なにより、伝承として語られていた巫女の存在は百年以上も昔のこと。

 巫女装束を見て即座に気付く者など、まずいないだろう――とラールは説明した。


 そのためティナとユラは、装束を隠すことなく、堂々と検問へ向かうことにした。


 列はゆっくりと進み、いざ検問。

 帝国兵は簡単な質問をするだけで、武器の確認も淡々としている。


 カイルたちは問題なく通過し――こうして、一行は無事にサンノアへ入城した。


【国境都市・サンノア】


 サンノアは帝国でも有数の商業都市であり、同時に王国との国境を担う要所でもあった。

 町の奥にはサンノア城がそびえ、その存在がこの土地の重要性を雄弁に物語っている。


 帝国では“強さこそ至高”という文化が根付いている。

 そのため門番たちも旅人の力量や風格を見抜くことに長けていた。


 そして――列に並ぶティナとユラを目にした瞬間、彼らは息を呑む。


「あ、あれ……見慣れない服装だな……?」

「あぁ……なんだか伝承にある巫女装束に見えないか……?」

「はは、それはないだろう? 子供だし……いや、まさかな……?」


 ティナは見た目だけなら幼い少女。

 ユラも華奢で、外見だけでは戦力には見えない。

 けれど二人がまとう“気配”は、門番たちの本能をざわつかせた。


 世界が隔絶して久しいはずの巫女装束。

 けれどそれ以上に――彼女たちが纏う、神力という不可思議な“気”が、帝国兵の直感に訴えかけていた。


「「……まさかな……」」


 検問は形式だけで終わり、一行は難なくサンノアへ入城する。

 だが門番たちは、その背中が見えなくなるまで思わず見送ってしまった。


 町に一歩入ると――ユラは、その喧騒の波に一瞬で飲み込まれた。


 人、人、人、人――どこを見ても人の海。

 鍛冶屋の金槌の音、商人の呼び声、異国の香辛料の匂いまで混じり合い、村では決して味わえない熱気が押し寄せてくる。


「すごい、すごい、スゴーい!!」


 ティナは目を輝かせ、まるで鳥が巣から飛び立つように駆け出した。


「あ、あの、落ち着いてください……ま、まって……ティナさま……!」


 ユラは必死に呼びかけるが、ティナは出店の菓子、怪しい魔道具、色とりどりの布――すべてに興味津々であちこちへ飛び回る。


「おい、待てティナ!」


 カイルも慌てて追いかけ、二人はすぐに人混みに消える。


「ま、待ってください……ティナさま……!」


 ユラも全力で走る。

 けれど、木々に囲まれた村と中規模とはいえ商業盛んな都市を比べるのは酷だ。

 人波が壁のように立ちはだかり、ユラの小柄な体ではすぐに見失ってしまった。


 ついに足が止まり、おろおろと視線を彷徨わせるユラ。


 ――ティナさまを見失った。

 ――まったく知らない土地。

 ――人じゃない種族もいる。


 胸がぎゅっと縮み、喉がつまる。


「ど、どうしよう……ティナ、さま……」


 今にも泣きそうになったその刹那――そっと、肩に温かい手が触れた。


「大丈夫。ここには馬を買いに来たんだし、馬屋に行って待っていればそのうち合流するよ。カイルもついているしね」


 カタリナはそう言ってウインクした。

 その温かさに、ユラは胸の重さがふっと軽くなる。


「そう……ですね。 あ、ありがとうございます」


 深く頭を下げるユラ。その横で、レックスがそっと口を開いた。


「……なんなら、俺たちも何か食べながら歩こう。君も……異国の食べ物には興味があるだろう?」


 人見知りで無口なレックスが、わざわざ言ってくれた。

 その優しさに、ユラは思わず頬を赤くして微笑む。


「そんなこと言って、レックス? お前が食べたいだけだろ?」


 ラールが肩をすくめながら茶化すと、


「ち、ちが……! そういうわけじゃ……!」


 レックスは耳まで真っ赤になり慌てふためく。

 そのやり取りが可笑しくて、ユラもカタリナも思わず笑ってしまった。


「行きましょう、レ、レックスさん。 わたしも……食べてみたいです」


 ユラが笑顔でそう告げると、レックスは照れくさそうに目を逸らしながらも、小さくうなずいた。



 その頃――ワクワクを抑えきれないティナは、出店を見るたびに「わぁっ!」「これなに!?」「すごい!」と大興奮。

 持ち前の運動神経で縦横無尽に走り回るため、カイルは必死に追いすがり、ようやく腕をつかんで止めた。


「お前な……団体行動って言葉、知ってるか?」


 息を整えながらそう言うカイルに、ティナは胸を張って答える。


「知ってるよ! でもね、私は世界を知りたいんだ。もしかしたら、ティガが生まれてくる場所はこの国かもしれないでしょ?」


 あまりに真っ直ぐで正論すぎる返しに、カイルは一瞬言葉を失う。


「……はぁ」


 深いため息をひとつ吐き、観念したように頭をかく。


「……分かったよ。少しだけ、だぞ」

「やったぁ!!」


 ティナは満面の笑みで飛び跳ねる。

 カイルは、その輝く笑顔に弱く、結局付き合うしかなくなる。


 ――だが、この判断が“完全な失敗”だった。


 このあとカイルは、想像を絶する地獄に巻き込まれ、心身共に疲弊していくことになる。


そこには――


「なにあれ!」

「すごい、これ!」

「あれ、おいしそう!」

「これも、キレイだねぇ!」


 久しぶりにショッピングモールへ来た少女のように、興味の向くまま駆け寄っては長時間眺めるティナの姿があった。

 カイルは成人しているが、恋人も出来たことがなく、剣士としての生き方しか知らない男だ。

 家族連れの買い物や女子の店巡りなど、縁もなく生きてきた。

 だからこそ、ティナの奔放な行動に徐々に疲弊していく。


 だが――ティナが立ち寄ったアンティーク店で、その空気が少し変わった。


 黄金の髪に獣耳を生やした、獣人女性戦士の像。

 それを見たティナが「これ強そう!」と目を輝かせる。


 その瞬間、カイルは小さくつぶやいた。


「……レイチェル」

「レイチェル?」


 ティナはその言葉を逃さず聞き返す。


「いや……知り合いに似ていたものでな」


 カイルはそれ以上語ろうとせず、視線をそらした。

「ふむふむ。じゃあ……これ買う?」とティナは無邪気に尋ねる。


「いらん。それより、そろそろ馬を見に行こう」


 カイルの声音がほんの少しだけ沈んだのを、ティナは敏感に感じ取ったのだろう。

 深追いせず、「……分かった! 行こう!」と明るく返事をし、店を後にした。


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