王国へ 1
集会場の視線は、当然のようにユラへと注がれた。
その視線の波に、ユラの足腰は小刻みに震える。
けれど、その瞳だけは一点を見つめ続けていた。
――ティナを。
その真っ直ぐな視線に気付いたティナは、小さく息を吸って──ふっと微笑んだ。
クスッと、優しく。
その瞬間、ユラの顔はぱっと赤く染まる。
無理もない。
これまでユラが向けられてきた「嘲笑」や「侮蔑」とはまったく違う。
胸の奥が温かくほどけていくような、あたたかい笑みだったからだ。
嬉しそうで楽しそうな、はにかんだ笑みだったからだ。
だが、ユラの同年代の巫女たちは変わらずユラに辛辣な言葉を浴びせていく。
そんな周囲の空気の中で、ティナが一歩、前へと進み出た。
ババーバの隣を、そしてセイラの横を静かに通り過ぎ――まっすぐにユラへ向かって歩いていく。
その光景に、ざわついていた集会場は嘘のように静まり返った。
同年代の巫女たちの口からも、もう言葉は出ない。 ティナが歩く。それだけで、空気が変わる。
だが──その時。
「ティナ様、私が参ります」
セイラが期待していたあの巫女。
茶髪の巫女、エイナが立ち上がった。
エイナはすっと立ち上がり、堂々とティナへ一礼した。
その所作だけで、周囲の空気がわずかに張り詰める。
「ティナ様……もし、使節団に“相応しい者”を選ぶのなら――どうか私をお選びください」
そう前置きをしてから、まっすぐにティナを見つめる。
その瞳には、揺るぎない自信が宿っていた。
「外の世界は未知です。魔障獣の脅威も、魔神の影も残っている。強さが必要です、護衛が必要です。ティナ様の背負う使命に、足手まといは許されません」
その言葉に、周囲の巫女たちは肯く。確かにという空気が広がる。
「私はセイラ様より礼節と作法を学び、村の代表として恥をかかぬ振る舞いができます。また、神力はセイラ様に次ぐと評価されてきました」
ティナを意識したように、軽く微笑む。
「ティナ様が世界へ踏み出すその一歩。その隣に立つなら、ババーバ様やセイラ様を除けば……どう考えても私が相応しいはずです」
姿勢を正しながらも、少し声を落とし、ほんの僅かに柔らかさを帯びる。
「ティナ様の力を支えたいのです。あなたの負担を減らし、あなたの歩みを守りたい……だから私に、その役目をお与えください」
その瞬間、周囲の視線は一斉にエイナへ集中する。
「エイナの方がいいに決まってる」
「戦えるし、礼儀も知ってるし」
「ティナ様の隣はエイナ様でしょ」
周囲の雰囲気に、ユラの胸には重い空気が沈み込む。
「てか、いつまで立ってんの?」
「さっさと引っ込めよ、でしゃばり」
「ほんと、空気読めないやつって終わってるよねー」
明らかにユラに聞こえるように話す巫女たち。極めつけは、
「巫女やめて、農作業の方に戻ればいいのに~肥溜めの方がお似合いだよね」
その言葉に、とうとう心を保てなくなったユラは、その場に倒れ込むように伏せようとした。
だが――「よっと」、そんな場違いなほど間の抜けた声と同時に、ティナの身体が軽やかに跳ぶ。
民衆をまとめて飛び越え、女神のようにユラの前へ舞い降りた。
「テ、ティナさま……」
今にも泣きじゃくりそうなユラの頭を、ティナは優しく撫でた。
「わたし、この子と行くよ」
その一言は、ユラの世界を変えた。
ティナの宣言に、集会場は一瞬静まり返った。
だがすぐに、その中心で立ち尽くしていたエイナが、震えるように一歩踏み出した。
「……理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか」
声は平静を装っていたが、微かな揺らぎがあった。
ティナはユラの頭を優しく撫でたまま、エイナを見た。
その瞳に迷いはない。ただまっすぐで、柔らかい光だけが宿っていた。
「この子しか……いなかったから」
ティナは静かに、しかしはっきりと告げる。
「い、いなかった? とは……どういう意味ですか?」
エイナは眉をひそめる。
周囲もざわりと揺れ、互いに顔を見合わせた。
ティナは、そっとユラの肩を寄せるように抱き寄せた。
その行動で、ユラは顔を真っ赤に染める。
「“私と行きたい”って……心の底から話してくれた子が、この子だけだったから」
その言葉に、ユラは顔を上げティナを見上げる。
集会場全体も一斉に息を呑んだ。
嘘偽りのない、真実の温度を持った声。
ティナの言葉は、誰にも反論できないほど透明だった。
しかし――エイナは引き下がらなかった。
「……ですが、ティナ様。志の強さだけで務まるほど、外の旅は甘くありません」
エイナは胸に手を当て、己を奮い立たせるように言葉を続ける。
「神力、経験、作法……ティナ様の隣に立つのであれば、それらが必要です。心だけで、世界に出ていけるものではありません。 私は――その覚悟も力も持っています」
強く、真っ直ぐ、堂々と。
それはエイナにとって、必死の訴えだった。
だがそれに、ティナはゆっくりと首を横に振った。
「……分かるよ。あなたは、私じゃなくてセイラのために手を上げたんだよね?」
唐突で、核心を突いた一言だった。
「っ……!」
エイナの肩がビクリと揺れた。
周囲の巫女たちも息を呑む。
セイラ本人が小さく目を見開き、しかし否定も肯定もしない。
ティナは続ける。声は柔らかいのに、決して逃げ道を与えない。
「もちろん、村のためにって気持ちはあると思うよ。でも……それは“私のため”じゃない」
エイナは言葉を失い、ぎゅっと拳を握りしめた。
ティナは一歩、エイナに近付く。
逃げるでも、見下すでもない。
ただ、まっすぐ向き合うための一歩だった。
「セイラを助けたい。セイラに認められたい。大切な人だから、その隣にいたい……その気持ち、きっと間違いじゃないよ」
エイナの瞳が大きく揺れる。
その胸に隠してきた想いを、ティナに言い当てられたから。
「でもね、今回の旅は……誰の“隣にいたいか”じゃなくて、“私と行きたい”って思ってくれる人じゃないとだめだと思うんだ」
ティナはユラを抱く腕に、そっと力を込める。
「わたしのために、怖くても、震えてても……それでも“行きたい”って言ってくれたのは――この子だけだったから」
ティナの言葉は、痛いほど優しくて、残酷なほど正直だった。
エイナは唇を噛み、何かを言い返そうとして……それでも、言葉にならない。
心のどこかで、ティナの言葉を否定しきれなかった。
(……私は、セイラ様のために……)
その胸中を揺らす真実が、静かにエイナを押し黙らせた。
「まぁ、あんたが選ぶわけじゃないんだけどね」
ティナのきめ顔に、まるで水を差すように淡々と横槍を入れるババーバ。
「うへぇ!?」
すっとんきょうな声を上げるティナ。
その隣では、小柄なユラが抱きつかれたまま固まっていた。
尊敬を通り越し、半分“崇拝”の域に達しているユラは、ティナの温もりと甘い香りに血圧が上昇。
心臓は暴れ馬のようにバクバクと跳ね――もはや昇天寸前だった。
だが、そのやり取りをよそに、セイラがすっとエイナの側へ歩み寄る。
そして、そっと彼女の肩に手を置いた。
「……あなたの気持ち。汲んであげられなくて、ごめんなさいね」
そのひと言に、エイナの表情は一気に揺れる。
強張った気丈さが崩れ、思わず深く頭を下げた。
民衆たちは困惑の色を隠せない。
ティナ・ユラ・エイナ、それぞれの感情がぶつかり合い、集会場はざわついた空気に包まれる。
そんな中、ババーバは静かにユラの名を呼んだ。
「ユラ」
ふわふわと浮ついた気持ちのユラは、ハッと我に返る。
本来なら姿勢を正したかったが――ティナに抱きしめられたままではどうにもならない。
「ユラ、生死がかかる局面もあるかもしれない……それでも行くかい?」
ユラは、胸の高鳴りを抑えながら、そっとティナを見上げた。
ティナは「ん?」と柔らかい笑みを返してくれる。
その笑みに背を押されるように、ユラは一切の迷いなく口を開いた。
「……はい!」
その声は震えていなかった。
弱さを押し殺した声ではなく――芯のある、信念のある声だった。




