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美しき背中を 1

 カタリナたちの傷はティナの神力によって癒えた。

 魔神も魔障獣も近付かぬ、安全な地で休んだことで体力も戻る。


 だが――仲間の大半を失い、小隊をまとめていたジークの死は、思いのほか大きな空白を生んでいた。

 その喪失は、残された者たちの心と判断力を確かに揺らしていた。


 本来なら祭りの翌日には帰還する予定だった。

 だがカイルは、もう少しだけ休息が必要だと判断する。


 村長たちもまた、カイル達のことを客人として迎えいれ、「焦らずともよい」と優しく告げてくれた。


 ティナがいるとはいえ、村の外に一歩出ればそこは魔障獣が闊歩する深き森林。

 そこを越えたとしても、王国までは長い旅路が続く。

 さらに、現在はカイルの愛馬リリーただ一頭しかおらず徒歩での移動となる。

 そんな徒歩での帰還は、体力的にも精神的にも危険を孕んでいた。


 だからこそカイルは考えた。

 心身ともに回復してから出発するべきだと。





 ――そしてその頃。


 カイルたちが休む場から少し離れた集会場では、村の巫女たちが輪を作り、ババーバを中心にティナとセイラが並び立っていた。

 その様子を、村人たちは地に座って静かに見守る。


「使節団とあるからね、ティナひとりで向かわせるには無理がある」


 ババーバの声が場に響いた。


 その言葉に、事前に聞かされていたティナは不満げに頬を膨らませる。


「私ひとりで大丈夫なのに……」と、ぶつぶつ小言を未だに漏らすティナをよそに、ババーバは言葉を続ける。


「この子は、聖導としてその力を魔神との戦いによって示した。その偉大なる力は、まさに神に近しい巫女といえよう……だが、ティナをはじめ、この村に住まう私達は世界に疎い。この私ですら世界を直に見たことがない。そこでだ――ティナだけでは世界を知り、知識を得るには心許ない。よって、もう一人。 ティナと共に行動を共にする者の志願はないかい?」


 その言葉に、民の中から「なぜ一人だけなのか?」という声が上がる。

 それにババーバは答える。その理由は至って単純だ。

 人員を割きすぎれば村の守りが薄くなり、もし魔神が再び姿を見せた時に対処が出来なくなる。

 その為、ババーバとセイラは村に残る。

 またこの百年、巫女の村が誕生し、代替わりしてから外の世界を知る者は誰一人いない。


 村長であるババーバですら、知らないのだ。


 そんな状況下であるからこそ、ババーバは皆に委ねた。

 皆の想いを尊重したのだ。

 ティナと共に、世界を、未知に触れる者はいないか?と。


 村の外に出る、この森林の外にすら出たことがない巫女達にとってそれは不安でしかなかった。


 誰でも知らない土地に行くというのは恐いものだ、しかも家族はおらず同伴者はティナのみ。

 またティナは魔神戦前までは、浮いた存在でしかなかった。

 同年代からは嫉妬され、畏怖され、年上の巫女達も聖導として接していた為、ティナとして誰も見ていなかった。


 その為、ティナの活躍を見た後ですら共に行動する。

 王国の人間、この前知り合ったばかりの異国の者と旅に出るのは出来れば遠慮したかった。


 よって皆の行動は、目線を反らし気まずそうに天を仰ぐもの、地を見るもの、目を瞑るもの、様々だ。


 その光景にババーバはため息を吐き、ティナは「仕方ない」と割りきっているのかその光景を傍観していた。

 だが、セイラは笑う。


 その視線の先には、茶髪の大人びた巫女がいた。

 彼女はセイラが期待する巫女の一人、そんな彼女にセイラは笑みを送る。

 それに気付いた茶髪の巫女は、挙手をしようと手を伸ばそうとしたそのとき――


「わ、わたし……やります! い、いきたいです……っ!」


 震えた声で叫び、立ち上がった一人の少女がいた。


 彼女の名前はユラ。

 聖導に選ばれたティナより、一つ年下の巫女だ。


 そんな彼女の発言後、一拍の間。

 その静寂を切り裂くように、同年代の巫女たちから声が飛んだ。


「無理に決まってる」

「なに考えてんの?」

「目立ちたいだけなんじゃないの?」


 そして極めつけは――


「ユラのくせに、生意気」


 言葉の刃が容赦なく突き刺さる。

 それでもユラは震える身体を必死に支え、視線を落とさず、ティナだけを見続けていた。

 その瞳には確かな“決意”が宿っていた。


 巫女の村では、生まれた時にその役割がほとんど決まる。

 神々にどれだけ愛されたか――ただそれだけで、運命が形づくられるのだ。


 それは努力とは別物。

 どれだけ仲が深くても、情があっても、祈りが届いたとしても、覆らない。


 生まれ落ちた瞬間に与えられる加護。

 器の大きさ。才能の有無。


 もちろん、祈祷や訓練、魔障獣との戦闘経験といった後天的な積み重ねで成長することはある。

 だが、それは“才”とは違う。


 得意不得意は、生まれながらにして決まってしまう――努力で壁を越えられる者もいる。

 だが、神々に愛された者と比べれば、そもそものスタートラインが違う。


 どれだけ努力しても。

 どれだけ祈っても。

 どれだけ涙を飲んでも。


 一生をかけても、追いつけない者もいる。

 ユラは、まさにその典型だった。

 得意なものもなく、苦手も多く、覚えも遅く、体力も平均より少し下。

 人見知りで、内気で、自分の意見を持たない。

 周囲の顔色ばかり伺う――そんな少女だった。


 神力もティナとは雲泥の差。

 いや、比べること自体が愚かしいほどだった。


 そんなユラが――手を上げた。

 なぜ?

 それには理由があるのだが、少し時を戻そう。



------



 ユラの両親は、神力こそ弱かったが、とにかく優しく、ユラ思いの人たちだった。

 母は女性ながら体力がなく、神力も弱い。父もまた神力を持たず、夫婦そろって農作業を任されていた。

 だからユラも、いつかは村の守りではなく、畑を耕す側になる――そう思われていた。


 だが、ある日。


 近所の子供が転んで怪我をした。

 その子の傷に向かってユラが神々へ祈りを捧げたところ――浅い傷だったこともあり、傷はみるみるうちに癒えていった。


 その光景を見た両親は、胸を打たれた。

 この子の可能性を、ここで摘んではいけない。

 そう考えたふたりは、村長ババーバのもとを訪れ、ユラの未来を相談した。


 その後、ババーバと二人きりで話したときのことだ。

 ユラはまだ五歳の幼子だったにもかかわらず、しっかりとした声で発言した。


「戦いとかはイヤだけど……でも、誰かの助けになるのなら傷を癒すことくらいはしたい」


 その真剣な表情を、ババーバは忘れなかった。

 幼いながらも“人を助けたい”という気持ちが確かに宿っている。

 だからこそ、ババーバはユラを巫女として迎えることを許した。


 ――だが現実は、厳しかった。


 農作業の手伝いでは神力があると期待されても、巫女としては“並以下”。

 同年代の中でも、下から一番か二番を争うほどだった。


 だから、ユラが受けた言葉はいつも決まっていた。


「とろい」

「邪魔しないでよね」

「ちゃんと祈祷しなよ、ほんと使えない」


 そんな辛辣な言葉は、まだ幼い少女にとってはどれも鋭い刃でしかなかった。

 そのため十歳になる頃のユラは、すっかり“周りの顔色を伺う子”になっていた。


 それは思いやりではない。


 “気を遣う”のではなく、“気を付ける”。

 言葉の刃を浴びぬよう、少しでも皆の機嫌を損ねぬようにというそんな日々をただ耐えるしかなかった。


 そんなある日のことだ。


 神力が弱く、どこか浮いた存在だったユラに、同年代の子供たちが声をかけてきた。

 先輩巫女には内緒で森に入り、魔障獣を倒す――という無謀な目的を掲げて。


 その発端は、ティナの存在だった。


 幼い頃から聖導として祭り上げられてきたティナ。

 同年代の子どもたちは、彼女に強い僻みを抱いていた。


「私たちだって、できるはず」

「魔障獣の一体や二体くらい、狩れる!」


 そう意気込んだ彼女たちは、同世代の仲間を集め始めた。

 戦いが嫌いなユラは、行きたくなかった。


 けれど、「ユラも来るよね?」そう詰め寄られてしまえば、断る術などなかった。


 こうして無茶な構成が組まれた。

 前衛二人、中衛三人、後衛二人。

 ユラは後衛の治癒班として、しぶしぶその列に加わった。


 定期的に魔障獣を狩っているため、村近くの森付近には獣の気配はない。

 そのため一行は、さらに奥へと進んでいった。

 先輩巫女たちから「絶対に入ってはならない」と言われていた、道なき道を。


「はぁ……はぁ……」


 神力だけでなく体力も乏しいユラは、次第に息が荒くなっていく。


「大丈夫、ユラ?」


 同じく神力が弱い巫女が気遣わしげに声をかけた。


「うん……ありがとう」


 ユラがか細く礼を言った、そのとき――。


「いたぞ! 魔障獣だ!!」


 前衛の巫女の叫びに、一気に緊張が走った。


「行くよ、みんな!」


 先頭の女の子は、隊列を無視して勢いよく駆け出した。

 慌ててもう一人の前衛、そして中衛の巫女三人も後に続く。


 だが後衛のユラたちは、疲労もあり走りに追いつけなかった。

 陣形は一瞬で崩れ去り、隊列はバラバラになった。


「神よ! 私達に加護を付与したまえ!」


 神力が強い者ほど、神に愛された形となる。

 それはティナのように――祈らずとも、言葉を介さずとも、その身に顕現する“力”として現れる。


 だが神力が少ない者ほど、神の御名を唱え、その意味を体現しなくてはならない。

 祈祷は魔法の詠唱のようなもの。

 戦うにも、癒すにも、言葉を捧げねばならない。


 しかし――。


 それは魔獣の中でも上位に位置する魔障獣の前では、あまりにも遅い。


 俊敏な動きで前衛の巫女へ奇襲。

 長い祈祷を掻い潜り、強靭な爪が一人、また一人と切り裂いていく。


「後衛! 治癒を!」


 中衛が叫ぶ。だが隊列は縦長になりすぎて、ユラたち後衛は追い付けない。


 仕方なく中衛が治癒を試みるが――魔障獣は一体ではなかった。

 二体、三体と群れをなし、次々と襲いかかる。


 隙だらけの隊列。

 その腹部へ、別の魔障獣が横合いから食らいついた。


 必死に防御結界を張る。

 しかし神力の弱さ、祈りの未熟さから生まれる薄い結界では、魔障獣の爪撃に耐えられない。


 悲鳴。血飛沫。祈りの声が掻き消えていく。


 致命傷はかろうじて避けていた。

 それでも――一人、また一人と深傷を負い、地へ崩れ落ちていった。


 後衛の相方は絶望し、その場で崩れ落ちた。

 完全な戦意喪失だ。


 前衛の巫女も、中衛の巫女も、傷を負い――このままでは危険。

 いや、すでに手遅れかもしれない。


「お、お父さん……お母さん……え?」


 ユラは心の中で両親の顔を思い浮かべた。

 その刹那――まだ無傷で立っていた巫女は、ユラひとり。


 その“無傷”が、逆に目立ってしまった。


 三体の魔障獣が、一斉にユラへと標的を定める。


「や、いや……」


 黒き獣が赤い眼光をギラつかせ、飛びかかろうとした、その瞬間――。


「よっと!」


 間の抜けた声が響いた。

 同時に、これまで見たこともない、感じたこともない――圧倒的な神力がユラの世界を覆った。


 まるで巨大な“神の手”に握られたかのように、魔障獣たちの動きが止まり、「爆ぜろ」

 その一言で――断末魔すら許されぬまま、血飛沫と共に消し飛んだ。


 世界を満たす壮大な神力は、次の瞬間、倒れ伏した巫女たちへと広がり、深傷ですら一瞬で癒し傷跡すら残さない。


「きみ、大丈夫?」


 ユラの前に現れたのは――もちろん、聖導としてその地位を確固たるものにしていたティナだった。


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