プロローグ
夜の帳が静かに村を包み込むころ、ひとつの産屋だけが淡い灯を揺らしていた。
狭い部屋に響く産声とともに、村長の老婆は震える声で告げる。
「この子は、ただの子ではない。神々の真なる力を宿した、特別な子じゃ……!」
かつて世界を救った神の巫女たち。
彼女たちは世界に平穏を取り戻すと、その絶大なる力を恐れられ、やがて世界から追放された。
そして時が経ち、辺境で細々と生きていた。
そんなある日の夜、この村に生まれ落ちた少女――ティナ。
彼女の運命は、誰もがまだ知らなかった。
--―
時が経ち、あの夜に産声をあげた子はすくすくと育った。
けれどティナは、生まれながらに他の巫女たちとは“何かが違っていた”。
村のしきたりに興味を示さず、祈祷や訓練を億劫がる。
本来、巫女が神々に祈りを捧げ、神力を高めるためには日々の祈祷が欠かせない。
それは巫女の誕生以来、絶えることなく続く伝統だった。
祈りを重ねれば重ねるほど、神力は強くなる――はずだった。
だがティナは違う。
神々の力、この世界の理、自然の流れ。
それらすべてを“友人への挨拶”のように感じていた。
祈りを介さずとも、彼女には神々の声が聞こえるのだ。
神力が極めて高い者が後を継ぐこの村で、現村長でさえ軽く凌ぐ神力を持ちながら、
彼女はそれを当たり前のように受け入れていた。
そのため、ティナは思い至る――祈る必要なんてない、と。
村には神力を持たぬ者も多く、農耕や家畜の世話を担っていた。
男性もいたが、神々の祝福を受けるのは圧倒的に女性が多い。
ティナはその中でも突出した存在。まるで神々の子そのもののようだった。
だが、その才ゆえに、彼女は退屈だった。
魔障獣をも恐れぬ力を持ち、幼い頃から山を駆け回り、獣を倒しては日々を過ごしていた。
それはもはや遊びのようなものだった。
そんな彼女に、村長は何度も言い聞かせた。
「ティナ、近隣の魔障獣は討ってもよい。だが、遠くへ行ってはならぬ。あれらは世界とこの村を隔てる“線”なのじゃ」
この村は、世界に忌み嫌われた巫女たちの末裔が暮らす地。
外界との接触を断ち切り、魔障獣を“壁”として生かしてきた。
それを倒しすぎれば、世界がこの地を見つけ、再び争いが始まるかもしれない――それが彼女たちの恐れだった。
けれどティナは、村長の説教じみた言葉に耳を貸さない。
「どうせ何も起きない」と、森のさらに奥へと足を踏み入れた。
その時だった。
血の匂い。
倒れていたのは、小柄で茶色の毛並みをした獣。
魔障獣に襲われ、今まさに屠られようとしていた。
ティナは反射的に神力を放ち、周囲の空気が震える。
魔障獣が崩れ落ち、獣が息を吹き返す。
光に包まれたその身体がわずかに震え、ティナの頬を舐めた――生きようとする意志。
その温もりに胸を打たれ、ティナは獣を抱き上げて村へ連れ帰った。
村長は、厳しい声で言った。
「それは外界の魔獣だよ。魔障獣よりは弱いが、黒き理の影から生まれた邪であることに変わりはない。神々の使途ともいえる巫女が近づいてはならぬ存在だ」
けれどティナは引かなかった。
「生まれが闇でも、光に導けばいいじゃない。この村だって、神力を持たない人が生きてる。でもその人たちも懸命に生きているのでは? 神力がないからと見捨てたりしないじゃない。力無き者に手を差し伸べ助け合うのが神の導きなんじゃないの?」
祈りとは何か。導きとは何か。
ティナの言葉は、巫女の伝統を真っ向から否定するものだった。
けれど、その瞳はまっすぐで、的を射ていて、何よりも優しかった。
村長は深くため息を吐き、静かに頷いた。
「……ならば、育ててみるがいい。ただし、覚えておおき。光は闇にとって毒。決して交わることのないものなのじゃ」
ティナは獣を“ティガ”と名づけた。
ティガはよく懐き、時折その身体から魔力を放つこともあったが、ティナが神力で包み込むたびに、少しずつ光の性質を帯びていった。
しかし、別れは唐突に訪れた。
村長の言う通り、ティガにとって光は毒だった。
神力がその身を蝕み、闇としての“根”を奪っていく。
それを失えば、消えるほかない。
村長はすべてを分かっていた。
それでも、ティナに可能性を感じ黙っていたのだ。
だが結果は、無だった。
ティガの闇は払われ、浄化された。
その魂は肉体ごと、この世界の理から消え失せる。
ティナは泣き、嗚咽し、地に崩れ落ちた。
けれど、その涙の中で確かに聞こえた気がした。
「ありがとう、ティナ」
それは神の声か、風の声か。
けれどティナには、ティガの声だと分かっていた。
その日を境に、ティナは変わった。
神々の力を磨き、知識を求め、外の世界に意識を向けるようになった。
闇から光へ。浄化された魂はどこへ向かうのか?
神々の子、この世界の理と友人のようなティナにはその先が分かっていた。
魂は生まれ変わり、転生をすることを。
姿形は変わったとしても、必ず会いたい。
この世界のどこで生まれ変わるかは分からない。
けどいつか、再びティガに会うために彼女は誓いを立てた。
だがそれは、世界と隔絶した巫女の村において“禁忌”と呼ばれる道の始まりだった。




