表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「異世界のぶつかりおじさん」シリーズ  作者: 槇村 a.k.a. ゆきむらちひろ
「石頭な鍛冶師・ボルガン」編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/12

01:錆びた金槌と、揺るがぬ哲学

 カン、カン、カン……


 鉱山都市・グレンハイムの東地区に、鈍く、不機嫌な金属音が響き渡る。

 この街には、誰もが憧れた伝説の鍛冶師一族『アイアンハンマー』が居を構えていた。奏でるように打ちつける金属音は、まるで鋼を歌わせるかのごとくリズミカルに響かせたという。


 だが、今響いているその鍛冶の音は、人の口に上るようなものとは似ても似つかない。ただ鉄を殴りつけるだけの無粋な音だった。


 音の発信源は、煤と鉄の匂いが染みついた通りに、時代に取り残されたかのようにたたずむ一軒の工房。軒先に掲げられた『アイアンハンマー工房』の看板は、長年の風雨に晒されて汚れ切っている。もはや誇り高き一族の名を判読することは難しい。今ではただの『修理屋』として、街の片隅で寂しくその存在を主張しているだけだ。


 工房の主・ボルガンは、今日も汗と油にまみれ、金床の前で仁王立ちになっていた。年の頃は八十を過ぎ、ドワーフとしては壮年期を終え、老境に差し掛かった頃合いだ。だが、その肩幅の広い体躯と、丸太のように太い腕は、未だ衰えを知らない。編み込まれた赤茶色の髭は胸元まで豊かに垂れ下がり、その顔には、まるで岩から削り出したかのような深い皺が刻まれている。


 金床の上に乗せられているのは、見るからに使い古され、ひん曲がった農夫の鋤だ。ボルガンはその歪な鉄塊を、まるで親の仇でも見るかのような苦々しい表情で睨みつけ、錆びた金槌を無感情に振り下ろす。カン、と、またひとつ、魂のこもらない音が工房に響いた。


 これが、ボルガンの日常だった。

 伝説の鍛冶師一族の末裔。その肩書きは、もはや彼にとって誇りではなく、重く、忌まわしいだけの枷だった。彼の父、そして祖父は、王家に献上するほどの剣を打ち、その名を大陸に轟かせた。しかしボルガン自身には、その血に宿るはずの才能が悲しいほどに欠落していた。


 彼には鉄の声が聞こえない。

 炎の心を読むこともできない。

 彼が打つ金属は、かつて一族の者たちが作り上げた名立たる逸品のように、決して歌うことはなかった。


 結果として、彼にできる仕事は、街の人間たちが持ち込む、壊れた鍋や、曲がった農具を、力任せに叩いて直すことだけ。それは鍛冶というよりは、むしろ板金作業に近かった。


「ちっ……。軟弱な鉄を使いおって……」


 ボルガンは、誰に聞かせるともなく悪態をついた。鋤を打ち延ばすたびに、その素材の質の悪さが、金槌を通して彼の腕に伝わってくる。こんな代物では、数日も畑を耕せば、またすぐに曲がってしまうだろう。

 だが、客が求めるのは安く、早い修理だけだ。ボルガンがどれだけドワーフの伝統に則った頑丈な武具の価値を説いても、彼らは面倒くさそうに顔をしかめるだけだった。「そんな重たいものは、扱いきれないよ」と。


 いつしか、ボルガンの誇りは、鍛冶の腕から、別のものへと移っていた。

 それは、ドワーフという種族そのものに宿る、絶対的な『頑丈さ』。


 鋼のごとき肉体。

 岩をも砕く石頭。

 そして、何者にも屈しない頑固な精神。

 それこそが世界において最も価値のあるものだと、彼は本気で信じていた。


 カン、カン、と最後の仕上げを終え、ボルガンは鋤を無造作に水の桶へと突っ込んだ。ジュウ、という音と共に、白い蒸気が立ち上る。彼は額の汗を腕で拭うと、修理代として受け取った銅貨を数枚、革袋にしまい込んだ。今日の仕事は、これで終わりだ。


 工房の重い扉を開け、外に出る。夕暮れ時の街は、一日の仕事を終えた人々でごった返していた。人間、エルフ、獣人……。様々な種族が入り乱れる雑踏の中を、ボルガンは馴染みの酒場を目指して歩き始めた。


 何者にも屈しない。その哲学は彼の日常でも発揮される。

 彼は、決して人を避けない。道を譲らない。

 なぜなら、「道とは、頑丈な者がまっすぐ進むためにある」からだ。


 彼の進路上に、荷物を抱えた、ひょろりと背の高いエルフの商人がいた。ボルガンは、歩く速度を一切緩めない。エルフは直前になってボルガンの存在に気づき、「おっと」と慌てて身を引こうとした。だが、間に合わなかった。


 ドンッ、という鈍い衝撃。

 ボルガンの肩は、まるで走ってきた猪のように、エルフの身体にめり込んだ。

 エルフは、「うわっ」と短い悲鳴を上げ、まるで岩にでもぶつかったかのように、あっけなく弾き飛ばされた。抱えていた荷物が手から離れ、中に入っていた色とりどりの香辛料の瓶が、石畳の上で砕け散る。


「な、何をするんだ! 前を見て歩け!」


 尻餅をついたエルフが、非難の声を上げた。周囲の人々も、何事かと足を止め、遠巻きに彼らを見ている。

 しかし、ボルガンは悪びれる様子もなく、弾き飛ばしたエルフを見下ろした。


「ふん、軟弱者が」


 その声には、侮蔑の色があからさまに滲んでいた。


「その程度のことで文句を言うな。俺の道筋に立っていた貴様が悪い。もっと身体を鍛えんか!」


 彼に、悪気という概念はない。

 弱い者が、強い者に道を譲る。それは彼にとって、太陽が東から昇るのと同じくらい、当たり前の世界の真理だったのだ。ドワーフより頑丈でない他種族が、ドワーフの進路を妨げること自体がそもそも間違っている。彼は、本気でそう信じているのだ。


 エルフは、あまりの理不尽に言葉を失い、わなわなと震えている。ボルガンはそんな彼に一瞥もくれず、再びまっすぐに歩き出した。人々が、関わらないようにするかのように、彼の進路を左右に分かれて開けていく。その光景に、ボルガンはかすかな満足感を覚えた。


 酒場に着くと、ボルガンはいつものカウンターの隅に陣取り、エールを注文した。木のジョッキになみなみと注がれた黒エールを、彼は一気に半分ほど喉に流し込む。ぷはー、と大きく息を吐き、髭についた泡を手の甲で拭った。


「よう、ボルガン。また、街中で誰かを弾き飛ばしてきたのか?」


 カウンターの向こうから、人間の酒場の主人が呆れたように声をかけてきた。


「弾き飛ばされる方が悪い。俺は、ただまっすぐ歩いていただけだ」

「お前のその『まっすぐ』が、周りの迷惑なんだがな……」

「迷惑だと? 頑丈な者が、己の道をまっすぐ進む。これの何が悪い。むしろ、俺の道筋を塞ぐ、軟弱者どもこそが迷惑な存在だろうが」


 もはや何を言っても無駄だと悟ったのか、主人は肩をすくめて、他の客の相手をし始めた。ボルガンは、残りのエールをちびちびと飲みながら、喧騒に満ちた店内を眺める。

 すぐ側のテーブルでは、若い人間の冒険者たちが新しい剣の自慢をしていた。


「見てくれよ、この剣。エルフの職人が打った逸品で、風の魔力が付与されてるんだ」

「へえ、軽いのにすごい切れ味だな」


 軽いだと?

 ボルガンは、心の中で唾を吐いた。

 剣とは、重く、分厚く、頑丈でなければ意味がない。オークの棍棒の一撃でへし折れるような、そんなひらひらした代物が、何だというのだ。


 エルフの小細工め。

 彼はそう悪態を突き、残ったエールを一気に飲み干した。


 それから数日後のこと。彼の日常に、ほんの小さな、しかし、彼の頑固な心を確実に揺さぶる変化が訪れた。


 その日、ボルガンが工房の扉を開けると、向かいにある長い間空き家だったはずの建物から、槌の音が聞こえてきたのだ。それも、ひとつではない。カン、カン、という軽快な音と、ゴツン、ゴツン、という重い音が、まるで会話でもするように、交互に響いている。


 何事かと、ボルガンが眉をひそめて見つめていると、中からひとりの青年が出てきた。年の頃は二十代前半。煤で汚れた顔に、人の良さそうな笑みを浮かべた、人間の若者だった。


「あ、おはようございます!」


 青年は、ボルガンの姿を認めると、快活な声で挨拶してきた。


「俺、レオ・クレスウェルって言います。今日からここで、鍛冶工房を開くことになりました。お隣さんですね、よろしくお願いします!」


 そう言って、レオは深々と頭を下げた。

 ボルガンは、返事もしなかった。ただ、じろりと、レオの工房の中を値踏みするように見つめる。

 中には、ボルガンの工房にはない、最新式の魔導炉や、複数の人間が同時に作業できるような、効率を重視した設備が整えられていた。

 人間の鍛冶師。それも、こんな若造が。

 ボルガンにとって、人間の鍛冶師など、「軟弱者の小細工師」でしかなかった。ドワーフの伝統的な技術と、比べものになるはずもない。


「あの……あなたが、アイアンハンマー工房の?」


 レオは、おずおずと、ボルガンの工房の、掠れた看板を見上げた。


「俺、子供の頃から、アイアンハンマー一族の武具に憧れてたんです! あなたの父君が打ったという『竜殺しのグレートソード』の伝説は、鍛冶師を目指す者なら誰でも知ってます! その末裔の方とお隣になれるなんて、光栄です!」


 レオの目は、尊敬と憧れで、キラキラと輝いていた。

 だが、その純粋な賛辞は、ボルガンの心にはまったく響かなかった。むしろ、父の名を出されたことで、彼の心の古傷がずきりと痛んだ。


「……ふん」


 ボルガンは、鼻を鳴らすと、レオに背を向け、自分の工房の中へと戻ってしまった。


「え……あ……」


 取り残されたレオは、困惑した表情で、閉ざされた扉を、ただ見つめることしかできなかった。


 その日から、ボルガンの工房の向かいから、若い活気のある槌の音が聞こえるようになった。それはボルガンが打つ、鈍く、重い音とは、まったく対照的な音色だった。

 ボルガンはその音が聞こえるたびに、不機嫌そうに顔をしかめた。

 そして自分の金槌を、より一層、力任せに振り下ろす。


 彼の信じる、揺るぎない哲学。

 彼の守り続けてきた、頑固な誇り。

 その硬い岩盤に、新しい時代の波が、すぐそこまで打ち寄せていることに、彼はまだ気づいていなかった。

 あるいは、気づいていながらも、その石頭で、頑なに認めようとしなかっただけなのかもしれない。



 -つづく-

ゆきむらです。御機嫌如何。


「異世界のぶつかりおじさん」シリーズ、まさかの第3章。

今回も全4話、16000字くらいのボリュームになります。

よろしければ最後まで読んでみてください。

感想や評価などがいただけるとすごく嬉しいです。

引き続きよろしくお願いします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ