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03:偽りの全能と破滅への序曲

 『増幅の腕輪』を手にしたゲヒは、完全に別人へと変貌した。

 それは単に強大な力を手に入れたというだけではない。彼の振る舞い、目つき、そして纏う雰囲気そのものが、長年彼を縛り付けてきた劣等感の殻を破り、禍々しい自信に満ちたものへと変わっていた。彼はもはや、コソコソと物陰に隠れ、人の背後からちっぽけな嫌がらせをするだけの男ではなかった。


「はは……はははは! すごい! これが、俺の力か……!」


 ギルドの地下にある、今は使われていない古い訓練場。そこでゲヒは、手に入れたばかりの力に酔いしれていた。

 試しに、分厚い石でできた訓練用の壁に向かって指先を向ける。


 【リパルス・タッチ】


 彼が口にしたのは、かつてと変わらぬ、あの惨めな魔法の名前。だが腕輪を通して放たれたそれは、もはや「タッチ」などという可愛らしいものではなかった。


 ゴウッ、という風を切る音と共に、不可視の衝撃波が空間を疾駆する。

 次の瞬間、轟音。訓練場の壁は、まるで巨人の拳で殴られたかのように、中央から放射状に砕け散った。


 ゲヒはその圧倒的な破壊力を前に、恍惚の表情で立ち尽くす。


 これが、俺の力。

 俺だけの力だ。


 彼は、この新しい力を【リパルス・ブラスト】と名付けた。もはや、こそこそと人をよろめかせる必要などない。邪魔なものは、その存在ごと吹き飛ばせばいい。


 彼の復讐は、すぐに始まった。

 それは、計算され尽くした、陰湿な復讐劇だった。


 まず標的となったのは、かつて彼を「雑役夫」と嘲笑ったエリート魔術師・アレクシスだった。

 ゲヒは、アレクシスが自室で新しいポーションの調合に没頭している深夜を狙った。そして部屋の外壁に向けて、腕輪の力を抑え気味に、しかし連続して【リパルス・ブラスト】を叩き込む。

 ドン、ドン、ドン、と、まるでポルターガイストのように部屋が揺れ、棚から薬品瓶が次々と落下する。調合の真っ最中だった繊細なポーションは、すべて台無しになった。

 アレクシスは原因不明の現象にパニックに陥り、研究室から悲鳴を上げて逃げ出した。ゲヒはそれを遠くの屋根から眺め、腹を抱えて笑った。


 次なる標的は、ゲヒを常に「無能」と見下し、雑用ばかりを押し付けてきた書庫の管理長だった。

 ゲヒは、管理長が心血を注いで整理していた貴重書の書架に向けて、精密に制御した斥力の波を送った。書架はドミノ倒しのように連鎖的に倒壊し、何百年もかけて集められた魔導書の山は、無残な紙屑の海と化した。

 翌日、その光景を目の当たりにした管理長は、ショックで気を失ったという。


 ギルド内は、にわかに騒然となった。

 不可視の破壊者による、謎の破壊行為。誰も犯人が分からず、高位の魔術師たちが調査に乗り出すが、魔法の痕跡は一切残っていない。名立たる魔術師たちが手を尽くしても、手掛かりは皆無だった。

 ゲヒは、混乱するギルドの様子を見てほくそえむ。まるで神の視点から下界を眺めるように、愉悦と共にその様を観察していた。


 そんなゲヒの「活躍」を、カシムは手放しで称賛した。


「素晴らしい、ゲヒ殿。あなたの力は我々の想像以上だ。ギルドの連中も、さぞかし肝を冷やしていることでしょう」


 カシムは増長したゲヒをさらに煽る。ゲヒも鼻高々だった。

 ほどなくして、カシムは『黒き黄昏』の真の目的を明かした。


「さて、ゲヒ殿。余興はここまでです。いよいよ、我々の理想を実現するための、最終段階へと移行します」


 カシムが地図の上に広げたのは、王都の地下構造図。その中心に、赤インクで印がつけられている。


「王都の魔力供給を司る中枢機関、『マナ・リアクター』。旧体制の心臓部です。これを破壊し、王都の機能を麻痺させる。それが、我々の革命の狼煙となる」


 ゲヒは、ゴクリと喉を鳴らした。

 マナ・リアクター。

 それは王国の魔術技術の粋を集めた、巨大な魔力炉だ。下手に手を出せば、王都そのものが吹き飛びかねない。


「ご心配なく」


 ゲヒの不安を見透かしたように、カシムは笑う。


「あなたの【リパルス・ブラスト】ならば、リアクターの外殻を破壊することなく、内部の制御装置のみをピンポイントで破壊できる。リアクターは暴走し、王都の魔力網は崩壊する。しかし、大爆発は起きない。これは破壊ではなく、外科手術なのです」


 そして、カシムは冷たい声で付け加えた。


「ただし。この計画にはひとつだけ、障害となりうる要素がある」

「……リーナか」


 ゲヒは、即座にその名前を口にした。


「ご明察。彼女の規格外の魔力量ならば、あるいは暴走したリアクターを鎮めることも可能やもしれん。故に、計画実行と同時に、彼女を無力化する必要がある」


 カシムは、ゲヒの目をじっと見つめた。


「彼女の弱点は、あなたこそが、この世で最もよく知っているはず。あなたの斥力で、彼女の未熟な魔力制御を突き、内部から暴走させるのです。さすれば、彼女は自らの力によって自滅するでしょう」


 リーナを、自滅させる。

 その言葉の甘美な響きに、ゲヒはもはや何の躊躇もなかった。

 あの天才少女を、ギルドの宝を、この手で破滅させる。

 それこそが、自分が本物の強者であることの最終証明になる。


「お任せを。あの小娘は、俺が始末します」


 ゲヒは、腕輪を握りしめ、歪んだ笑みを浮かべた。


 決行の日は、王都で最も大きな祭り、『建国祭』の夜と定められた。街中が祝祭の喧騒に包まれ、人々の警戒が最も緩む時だ。

 その夜、ゲヒはカシムの手引きで、マナ・リアクターが設置されている王都の地下深くへと侵入した。巨大なドーム状の空間。その中央に、心臓のように明滅する巨大な水晶の塊、『マナ・リアクター』が鎮座していた。周囲には複雑な魔法陣と、無数の制御クリスタルが配置されている。


「あれです、ゲヒ殿。あの中央制御クリスタルを破壊なさい」


 カシムの声が、通信用の魔道具から響く。

 ゲヒは腕輪の力を最大限に引き出すべく、深く息を吸った。彼の全身から、黒いオーラのような魔力が立ち上る。


「消えろ、旧世界の遺物め!」


 彼は狙いを定め、渾身の【リパルス・ブラスト】を放った。

 不可視の衝撃波が、寸分の狂いもなく中央制御クリスタルに直撃する。


 パリン、という甲高い音と共に。

 クリスタルは粉々に砕け散った。


 途端に、リアクターの穏やかな鼓動が、乱暴なものへと変わる。

 ブオオオオオン、という地鳴りのような唸りを上げる。制御不能の魔力が、青白い稲妻となって周囲にほとばしり始めた。


「成功です! さあ、地上へ! 第二段階の始まりです!」


 カシムの興奮した声に促され、ゲヒは地上へと脱出した。


 地上では既にパニックが起こっていた。

 街灯は明滅を繰り返し、空には不吉なオーロラが渦を巻いている。

 リアクターから溢れ出した魔力が、王都の環境を狂わせているのだ。


 やがて、ギルドの方角から数条の光が飛来した。マスター・ゼノンを筆頭にした、ギルドの精鋭魔術師たちだ。そして、その中心には、リーナの姿があった。


「あれが魔力暴走の中心……! 皆、防護結界を!」


 ゼノンの指示が飛ぶ。魔術師たちが、リアクターの真上に巨大な結界を展開し、被害の拡大を防ごうとする。

 そして、リーナが一歩前へ出た。


「私が行きます! 私の魔力なら、リアクターを鎮められるはずです!」

「無茶だ、リーナ! 制御を失ったマナの濁流だぞ!」

「でも、やるしかありません!」


 リーナは意を決したように目を閉じ、両手をリアクターへと掲げた。彼女の身体から、まるで天を衝くかのような膨大な魔力が放たれる。その光は、暴走するリアクターの闇をさえ圧倒するかのようだった。


「……やらせるかぁっ!!」


 近くの建物の屋根に潜んでいたゲヒは、その瞬間を待っていた。

 彼は腕輪の力を解放し、増幅された斥力の波を、連続でリーナへと叩きつけた。

 それはもはや単なる衝撃波ではない。リーナの繊細な魔力制御をピンポイントで狙い、彼女の魔力の流れそのものを乱すことを目的とした、純粋な悪意の集中砲火だった。


「きゃあっ……! う……あ……!」


 狙いは、的確だった。

 リーナの身体から放たれていた清浄な魔力の光が、みるみるうちに乱れ、荒れ狂い始める。彼女の表情が、苦悶に歪んだ。


「ぐっ……! 魔力が、言うことを……!」


 暴走を始めたリーナの魔力は、もはやリアクターを鎮めるどころではなくなった。彼女自身の制御を離れ、破壊の嵐となって周囲に牙を剥く。その奔流は、味方であるはずのゼノンや、他の魔術師たちをも容赦なく吹き飛ばした。


「ははは! どうだ、天才少女! その自慢の才能が、今はお前自身を苦しめているぞ!」


 ゲヒは、屋根の上で高らかに哄笑した。

 眼下では、リーナが自分の魔力に苛まれ、苦しんでいる。ゼノンは、吹き飛ばされ、瓦礫の下敷きになっているようだ。他の魔術師たちも、リーナの魔力の嵐に近づくことすらできない。


 完璧な勝利。

 この俺が、あの天才を、ギルドの英雄たちを、たったひとりで打ち破ったのだ!


「素晴らしい! 素晴らしいぞ、ゲヒ殿! これで、我々の勝利は確定した!」


 通信機から、カシムの歓喜の声が響く。

 ゲヒは、勝利の美酒に酔いしれていた。

 彼は、苦悶するリーナの姿をもっとよく見ようと、屋根の端へと一歩進み出た。

 その時だった。


 リーナが、ふと顔を上げた。

 その目は、涙に濡れ、苦痛に歪んでいた。

 だが、ゲヒはその瞳の奥に宿るものを見る。

 燃え盛るような、強い決意の光だった。


「リーナ、やめろ! それ以上は、その身が持たんぞ!」


 瓦礫の中から、辛うじて這い出したゼノンが、絶叫する。

 だがその声は、リーナには届いていないようだった。


 彼女は暴走する自らの魔力を外へ放つのではなく、無理やり内側へ、自身の身体の中心へと、圧縮し始めたのだ。

 それは常軌を逸した、自爆にも等しい無謀な賭けだった。彼女の身体が凄まじい魔力の圧力に耐えきれず、皮膚のあちこちから血が噴き出し始める。


「これが……私の、力……!」


 リーナの唇から、血に濡れた囁きが漏れた。

 次の瞬間。

 彼女の身体から、それまでとは比較にならないほど純粋で、高密度な『魔力の奔流』が放たれる。まるで光の槍のように、ただひとつの目標――ゲヒに向かって。


 それは、もはや魔法ではなかった。

 斥力も、引力も、火も、水も、いかなる魔法効果も持たない。

 ただ、ひたすらに高密度な、純粋なるエネルギーの塊。

 世界の理さえ一時的に塗りつぶすほどの、絶対的なマナの奔流。


「なっ……!?」


 異常なまでのプレッシャーを受けて、ゲヒはようやく危険を察知した。

 彼は、咄嗟に腕輪の力を最大にして、防御のために【リパルス・ブラスト】を放つ。彼の前方に、不可視の斥力の壁が形成される。これならば、いかなる攻撃も弾き返せるはずだ。


 だが、甘かった。


 ゲヒの斥力魔法は、リーナの放った純粋な魔力奔流に触れた、その瞬間。

 まるで太陽の熱にさらされた雪のように、何の抵抗もできず、一瞬で霧散した。


 彼の魔法は「何か、形あるもの」を弾く魔法だ。物理的な物体、あるいは、明確な効果を持つ魔法。

 しかし、リーナが放ったのは、もはや「何か」ではない。すべての理屈を超越した、エネルギーそのもの。弾くべき対象が存在しない。斥力という概念そのものが、通用しない相手だった。


「な……ぜ……?」


 ゲヒの口から、呆然とした声が漏れた。

 自分の最強の力が、赤子の手をひねるように、いとも簡単に無効化された。

 その事実を、彼の脳が理解するよりも早く。


 純白の光がすべてをのみ込み、彼の視界を覆い尽くした。


「あああああああああっ!!」


 絶叫は、誰の耳にも届かない。

 圧倒的な光と熱の中で、彼の偽りの全能感も、歪んだプライドも、そして彼という存在そのものも、塵となって消え去っていく。


 最後に彼の脳裏をよぎったのは、地下書庫の、あの薄暗い静寂だった。

 なぜだろうか。

 あれほど嫌っていたはずの、あのカビ臭い場所が、ひどく懐かしく、そして安らかな場所に思えた。


 それが、ゲヒが見た最後の光景だった。



 -つづく-

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