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「異世界のぶつかりおじさん」シリーズ  作者: 槇村 a.k.a. ゆきむらちひろ
「斥力魔法のゲヒ」編

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02:天才少女への執着と、黒い誘惑

 ゲヒの灰色の日常は、ある日を境に、どす黒い色彩を帯び始めた。

 そのきっかけは、ひとりの少女の出現だった。


 彼女の名は、リーナ。

 年の頃は十六か七。亜麻色の髪を無造作に揺らし、そばかすの残る頬には、まだ田舎の少女のあどけなさが浮かんでいる。

 だが、彼女がギルドに現れた日、その場にいたすべての魔術師が息をのんだ。新入団員の魔力量を測定するために設置されている『マナ・クリスタル』。それが彼女の触れた途端、許容量を超える魔力奔流に耐えきれず、けたたましい警報音と共に粉々に砕け散ったのだ。


「百年にひとりの逸材」

「いや、初代王宮魔術師に匹敵する、伝説級の器やもしれん」


 ギルドの最高幹部であるマスター・ゼノン自らが後見人となり、リーナは三級どころか一級魔術師をも飛び越え、特待生という前代未聞の待遇で迎えられた。ギルド中が、その類稀なる才能の出現に沸き立ち、彼女の未来に輝かしい光を見た。


 だが、ゲヒだけは違った。

 彼はその光景を、書庫の暗い陰から、吐き気をこらえるようにして見ていた。


 不快だった。

 不愉快で、不公平で、許しがたかった。

 何の苦労も知らず、努力もせず、ただ生まれ持った才能というだけで、あの少女は世界のすべてを手に入れた。自分が二十数年かけても届かなかった、いや、見上げることすら許されなかった場所に、彼女は笑いながら立っている。

 ゲヒの心の中で、これまで感じたことのないほどに巨大で、醜い嫉妬の塊が、まるで生き物のように膨れ上がっていった。


 彼の新たな「獲物」は、リーナに定まった。

 これまでの小物たちとは違う。

 ギルドの宝、未来の英雄。

 そんな少女を、自分のこのちっぽけな力で屈服させることができたなら、どれほどの快感が得られるだろう。

 それはゲヒにとって、自分の存在価値を証明するための、究極の挑戦に思えた。


 ゲヒは、ストーカーのように、リーナの動向を執拗に観察し始めた。ギルドの特待生である彼女がどこに現れ、どの訓練場を使い、どの時間に食堂に現れるか。そのすべてを把握し、いつものように『リパルス・タッチ』の餌食にする完璧な機会を窺った。


 しかし、リーナは、ゲヒにとって予想外に厄介な相手だった。

 彼女は驚くほどに無防備で、無邪気だった。ゲヒがわざとらしく近くを通りかかっても、彼女は警戒するどころか、「こんにちは!」と太陽のような笑顔で挨拶してくる。

 その屈託のなさが、計算高く生きるゲヒの心を苛立たせた。まるで、自分の存在が、彼女の世界ではノイズとしてすら認識されていないかのようだった。


 数日後、ゲヒはついに絶好の機会を得た。

 リーナが、高位魔術師しか閲覧を許されない第一書庫から、数冊の貴重な魔導書を借り出し、両腕に抱えて運んでいるところに出くわしたのだ。書庫の規則で、持ち出しには繊細な魔力で編まれた保護結界を維持し続けなければならない。少しでも気を抜けば、結界は解け、警報が鳴り響く。


 これだ。

 ゲヒはすれ違いざま、リーナの腕に抱えられた魔導書の山に向けて魔法を放つ。これまでで最も強く、そして精密な『リパルス・タッチ』だった。


 ドンッ、と不可視の衝撃が魔導書を襲う。

 だが、山は崩れなかった。


「きゃっ!?」


 リーナが驚きの声を上げた。次の瞬間、彼女の全身から、ゲヒがこれまで感じたことのないほどの膨大な魔力が、まるでダムが決壊したかのように奔流となって溢れ出したのだ。その魔力の嵐は、ゲヒが放ったちっぽけな斥力魔法を、まるで存在しなかったかのように飲み込み、相殺してしまった。

 魔導書の山は、微かに揺れただけだった。


「あ、ごめんなさい! また魔力が暴走しちゃった……」


 リーナはそう言って、ぺろりと舌を出した。彼女は慌てて腕の中の魔導書を抱え直すと、「失礼します!」と頭を下げ、駆け足で去って行った。


 ゲヒは、その場に立ち尽くしていた。

 失敗した。

 それも、完全な形で。

 自分の渾身の一撃は、彼女に嫌がらせとして認識されることすらなかった。彼女は、自分の魔力制御の未熟さゆえに起きたアクシデントだと思い込んでいる。

 これ以上ない、完璧な屈辱だった。


 だが、その屈辱の底で、ゲヒの心にある種の悪魔的な光明が差し込んだ。

 そうだ。彼女は、膨大な魔力を持つが、その制御は驚くほどに杜撰なのだ。まるで、巨大な鉄槌しか持たない大工のように、繊細な作業が絶望的に下手くそなのだ。特に、外部からの微細な魔力干渉に対して、彼女は過剰に反応してしまう。


 彼女の才能は、同時に彼女最大の弱点でもある。


 この発見は、ゲヒを新たなステージへと導いた。

 もはや、物を落とさせたり、転ばせたりするのではない。

 リーナ本人の魔力を暴走させ、自滅させる。

 これ以上に、陰湿で、甘美な嫌がらせがあるだろうか。


 ゲヒの狙いは、リーナ本人から、彼女が行う「繊細な作業」へと移行した。

 リーナが、魔法薬学の実習で、ガラスのピペットを使い、一滴ずつ試薬を垂らしている。ゲヒは遠くの物陰から、そのピペットの先端に、針で突くような微弱な斥力を送った。

 ピペットを持つリーナの手が、かすかに震える。「あっ」と思った時には、余計な一滴がフラスコに落ち、中の液体がどす黒く変色してしまった。


「あうう……またやっちゃった……」


 リーナは、しょんぼりと肩を落とす。


 また別の場面では、リーナが古代ルーン文字の転写課題に取り組んでいる。集中し、細いペン先で羊皮紙に複雑な文様を描き出していく。

 ゲヒは、そのペン先に、息を吹きかけるような、ごくごく弱い斥力を送った。

 ペン先が、ほんのわずかに滑る。インクが、羊皮紙の上に無残な染みを作った。


「もう!なんで上手くいかないの!」


 リーナは、悔しそうに自分の手を睨んでいる。


 ゲヒは、それを遠くから眺め、歪んだ、暗い満足感に浸っていた。

 どうだ、天才少女。お前のその有り余る才能も、俺のこのちっぽけな技術の前では、何の役にも立たないだろう。お前は自分の才能にこそ、苦しめられるがいい。


 ゲヒの嫌がらせは、日に日にエスカレートしていった。それはもはや鬱屈した感情の発散ではなく、リーナという存在を自分の支配下に置こうとする、明確な悪意となっていた。


 だが、ゲヒは気づいていなかった。

 そんな彼の姿を、物陰からじっと見つめている、別の視線があることに。


 ある日の夜、ゲヒはいつものように仕事を終え、ひと気のない裏口からギルドを出ようとしていた。冷たい夜風が彼の火照った頬を撫でる。その日も、リーナのポーション調合を三度も失敗させ、彼は満足感に浸っていた。


「ゲヒ殿、ですな」


 突然、背後から声をかけられ、ゲヒは心臓が跳ね上がるほど驚いた。

 振り返ると、そこにはフードを目深にかぶった、痩身の男が立っている。その顔は影になって見えないが、声は蛇のようにねっとりとしていた。


「誰だ、貴様は」


 ゲヒは、咄嗟に警戒して身構える。


「おっと、そう警戒なさらないでください。私はあなたの『ファン』なのですよ」

「ファン……?」

「ええ。あなたの『斥力』の技術、実に見事です。あれほど繊細に、そして誰にも気づかれることなく魔力を行使できる方を、私は他に知りません」


 男は、ゲヒの秘密の趣味を、すべてお見通しであるかのような口ぶりで話した。ゲヒの背筋に冷たい汗が流れる。この男、一体何者だ?


「あなたのその素晴らしい才能は、こんな埃っぽいギルドで、雑用をしながら燻っているべきではない」


 男は一歩、ゲヒに近づいた。

 その声は、悪魔の囁きのように甘く、蠱惑的だった。


「我々『黒き黄昏』は、真の才能を正しく評価する組織です。埋もれた才能を発掘し、この腐敗した王国を内側から変革する。そのために、あなたのような、繊細な技術を持つ魔術師の力が必要なのです」


 『黒き黄昏』。


 ゲヒも、噂で聞いたことがある。王政に反発する者たちが集まった、非合法の反体制組織。テロリスト集団だという者もいれば、真の革命家だという者もいた。


 男――カシムと名乗った――は、ゲヒの心の隙間、長年抱え込んできた承認欲求と、才能ある者への底なしの劣等感を的確に見抜いていた。


「考えてもごらんなさい。あの天才少女・リーナ。彼女はただ才能があるというだけで、すべてを手に入れている。一方で、あなたのような熟練の技術を持つ者が、日陰者として扱われている。この世界は、間違っているとは思いませんか?」


 カシムの言葉は、ゲヒが心の奥底で、ずっと叫びたかったことそのものだった。


「我々と共に来れば、あなたは正当に評価される。そして、あなたを見下してきた者たちすべてに、思い知らせてやることができるのです」


 カシムは、懐からひとつの禍々しい装飾が施された腕輪を取り出した。黒い金属でできており、中央には、まるで闇が凝固したかのような、鈍い光を放つ宝石が嵌め込まれている。


「これは『増幅の腕輪』。禁断の魔道具ですが、あなたの斥力魔法を、何十倍にも増幅させることができる。これさえあれば、もはや人をよろめかせるだけではない。その気になれば、城壁すらも砕くことができるでしょう」


 ゲヒは、その腕輪に釘付けになった。

 城壁をも砕く力。

 それは、彼が夢見ても決して手に入らなかった、圧倒的な『力』だった。


 葛藤が、嵐のように彼の心を吹き荒れる。

 組織に加担することへの恐怖。

 しかし、それ以上に、このまま惨めな人生を終えることへの絶望と、自分を認めない世界への憎しみが、彼の理性を麻痺させていく。


「さあ、手を取りなさい、ゲヒ殿。あなたを、日陰から光の当たる場所へと導いて差し上げよう」


 カシムが、腕輪を差し出す。

 そのフードの奥で、目が妖しく光ったように見えた。


 ゲヒは、震える手で、その腕輪を受け取ってしまった。

 ひんやりとした金属の感触が、彼の腕に絡みつく。

 その瞬間、彼の全身を、経験したことのないほどの強大な魔力が駆け巡った。腕輪が彼のわずかな魔力を吸い上げ、何十倍にも増幅し、還流させているのだ。


「ああ……」


 ゲヒの口から、恍惚のため息が漏れた。

 これが、力。

 これが、才能ある者たちが、いつも感じていた世界。


 カシムは、満足そうに頷いた。


「ようこそ、ゲヒ殿。今日から、あなたは我々の同志だ。そして、あなたの新しい人生の始まりだ」


 ゲヒは、もはや何の躊躇もなかった。

 彼の心は、復讐の炎と、手に入れたばかりの偽りの全能感で満たされていた。


 自分はもう、ただの三級魔術師・ゲヒではない。

 この不公平な世界に、鉄槌を下す存在になるのだ。


 その夜、ゲヒは自室に戻ると、震えながら増幅の腕輪の力を試した。

 部屋の隅に置かれた、水の入った水差し。

 彼は、それに向かって、軽く指を向けた。


『リパルス・タッチ』


 次の瞬間、轟音と共に、水差しは木っ端微塵に砕け散った。

 さらにその背後の壁にまで、巨大な亀裂が走る。


 あまりの威力に、ゲヒ自身が腰を抜かす。

 だがすぐに、腹の底から笑いがこみ上げてきた。


「は……はは……ははははははは!」


 それは、狂気と歓喜が入り混じった、獣のような哄笑だった。

 彼の惨めな過去は、今、この瞬間に終わったのだ。


 これから始まる未来に高揚感が抑えられない。それは、自分を見下してきた者たちすべてが彼の足元にひれ伏す、最高の復讐劇だった。



 -つづく-

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