02:新しい波と、深まる孤立
若き鍛冶師、レオ・クレスウェルが営む工房。その名は瞬く間に鉱山都市グレンハイムに浸透していった。彼の打つ金槌の軽快な音は、やがて街の活気そのものとなり、ボルガンの工房の前を素通りしていた人々の足を、次々と引き寄せるようになった。
レオの工房が成功した理由は、明確だった。
彼は顧客の声に、驚くほど真摯に耳を傾けたのだ。
「もう少し、鞘のデザインを華やかにできないか?」
「この短剣に、解毒剤を仕込むための小さな空洞を作ってほしい」
「斥候任務で使うから、とにかく軽くて、音のしない鎧が欲しい」
などなど。来の鍛冶師ならば「軟弱者の戯言」と一蹴するであろう要望に、レオは嫌な顔ひとつせずに応えた。むしろ面白そうに目を輝かせ、依頼者と共にあれこれ議論を戦わせることすらある。彼は、ドワーフの伝統技術である頑丈な芯を残しつつも、エルフの精密加工、人間の魔法工学といった、他種族の新しい技術を積極的に取り入れた。
結果として、彼の工房から生み出される武具の数々は、これまでのグレンハイムには存在しなかったまったく新しい価値を見せ付けた。それは、ボルガンが絶対の真理と信じる「重厚長大」とは真逆。軽量で、多機能で、そして何より使い手の需要に寄り添うように「最適化された」武具だった。
街の冒険者たちは、レオの作る革新的な武具に熱狂した。彼の工房にはひっきりなしに注文が舞い込み、その評判はあっという間に街中に広まっていった。
一方で、ボルガンの工房は、閑古鳥が鳴いていた。
ただでさえ少なかった修理の依頼は、さらに減った。人々は、壊れた道具をボルガンに持ち込むよりも、レオに頼み、より使いやすい新しい道具を作ってもらうことを選ぶようになったのだ。
ボルガンは、向かいの工房の繁盛ぶりを苦々しく見つめるのが日課となった。客たちの楽しそうな笑い声、レオの快活な応対、そして、希望に満ちた槌の音。そのすべてが、彼の神経を容赦なく逆撫でした。
「……小細工め」
彼の口から漏れるのは、いつもその言葉だった。
あれは、本物の鍛冶ではない。客に媚びへつらい、奇をてらっただけの、まやかしだ。真の武具とは、ドワーフが打つ、質実剛健で、揺るぎない頑丈さを持つものだけだ……。
彼は、そう自分に言い聞かせ続ける。
そうしなければ、心の平静を保つことができなかった。
ある日の午後、ボルガンが工房の前で腕を組んでいると、レオが申し訳なさそうな顔でこちらへやってきた。
「ボルガンさん、こんにちは。あの……もしよろしければ、これ、試食していただけませんか?」
レオが差し出したのは、焼きたてのパンだった。彼の妻が、お隣さんへと焼いてくれたのだという。
ボルガンは、そのパンを一瞥して「ふん」と鼻を鳴らした。
「いらん。貴様のような若造の施しを受ける気はない」
「そ、そんな。施しだなんて……」
「それより、若造」
ボルガンは、レオの工房を顎でしゃくった。
「貴様の作る武具は、魂がこもっとらん! そんなペラペラの鉄屑が、オーガの棍棒の一撃に耐えられるとでも思うか!」
それは完全に言いがかりだった。だがボルガンには、そうして相手を威圧することでしか、自分の優位性を示す術がなかった。
レオは困ったように眉を下げた。だがそれでも、真っ直ぐにボルガンの目を見て答える。
「ボルガンさん……。時代は、変わっているんです。冒険者たちが求めるものも、戦い方も。今は、オーガの棍棒を正面から受け止めるより、いかに早く、その攻撃を避けるかの方が重要視される時代なんです」
「黙れ!」
ボルガンの怒声が、通りに響いた。
「変わらんものにこそ、価値がある! ドワーフの技と、揺るぎない頑丈さこそが、絶対の真理だ! 貴様のようなひよっこに何が分かる!」
ボルガンは、レオの手からパンをひったくるように取ると、それを地面に叩きつける。そのまま踵を返し、工房の中へと消えてしまった。
残されたレオは、石畳に無残に転がるパンを、ただ悲しそうに見つめていた。
そんな中、街に大きな布告が出された。
年に一度の『武具コンテスト』の開催が告げられたのだ。
このコンテストは、グレンハイムの職人たちにとって、年に一度の晴れ舞台。優勝者には、多額の賞金と共に、破格の名誉と仕事が与えられる。領主から直々に、騎士団の武具一式の製造を任されるのだ。
その告知がギルドの掲示板に張り出され、人々は沸き立つ心を隠そうともせずに騒ぎ立てる。そんな人垣の後ろから、ボルガンは燃えるような目で掲示板を見つめていた。
これだ。
この舞台でなら、証明できる。
俺の信じる価値が、アイアンハンマー家の伝統が、決して間違ってはいないということを。あの若造が作るような小手先の玩具ではなく、本物の武具とは何なのかを、この街のすべての愚か者たちに、思い知らせてやることができる。
その日から、ボルガンは変わった。
彼は久しぶりに、工房の奥へと入り込む。そこは父が使っていた鍛冶場だった。ボルガンは何十年もの間、自分自身で立ち入ることを禁じていた。そこは彼にとって聖域であり、同時にコンプレックスの象徴でもあった。
埃をかぶった棚の奥から、彼は古びた木箱を取り出した。
中に入っていたのは、不思議な輝きを放つ鉱石。黒曜石のように鈍く、しかし、内側に星々を宿したかのような光を内包している。
それは、『星屑鉄』。
アイアンハンマー家に、代々伝わる伝説の鉱石だった。並の鋼とは比較にならないほどの硬度と粘りを持ち、加工には、ドワーフの中でも選ばれた者しか扱えないとされる特殊な技術と、膨大な熱量を必要とする。
ボルガンは、何十年かぶりに本気の鍛冶を始めた。
彼は工房に籠もり、寝食も忘れ、ただひたすらに槌を振るった。父が遺した古文書を読み解き、忘れかけていた一族の秘伝の技を、一つひとつ思い出しながら、星屑鉄と向き合った。彼の打つ槌の音は、いつものような不機嫌な響きではなく、どこか鬼気迫るような、凄まじい執念に満ちていた。
だがその一方で、彼の「まっすぐ進む」という哲学は、コンテストへの焦りと相まって、街でより深刻なトラブルを引き起こし始めていた。
彼は、コンテストの準備で貴重な魔法触媒を運んでいた他の職人の荷車に、いつものように正面からぶつかった。弾き飛ばされた荷車は横転し、積んでいた高価な触媒は台無しになった。
「なんてことをしてくれるんだ、ボルガン!」
「どかんか、軟弱者め。俺は急いでいるんだ」
彼は謝罪の一言もなく、そう言い捨てて立ち去った。
またある時は、街を視察に訪れた領主の騎士団の馬列に、真正面から割り込んだ。先頭を歩いていた騎士は、突如現れたドワーフに驚き、慌てて馬の手綱を引く。馬は嘶き、暴れ、あわや落馬という事態になった。
「無礼者! 何者だ!」
「俺はボルガン・アイアンハンマー! この道を、まっすぐ進む者だ!」
一触即発の事態に、ギルドマスターが駆けつけた。彼が平身低頭で騎士に謝罪したことで、なんとかその場は収められた。
「いい加減にしろ、ボルガン!」
その後、ボルガンはギルドマスターのオフィスに連れ込まれた。そして、尻拭いをしたギルドマスターから雷のような叱責を浴びる。
「お前のその石頭のせいで、街の秩序が乱れている! 昔のお前はここまで酷くはなかったぞ! 向かいのレオ君の工房ができてから、おかしいじゃないか!」
「……」
「お前が、レオ君に嫉妬しているのは誰の目にも明らかだ。だがな、自分の不遇を他人のせいにするな! アイアンハンマーの名が泣くぞ!」
ギルドマスターの言葉は、正論だった。
だがボルガンは、それを認めることができなかった。認めてしまえば、自分のこれまでの人生そのものが、無価値なものになってしまう。
「俺は、間違っていない」
ボルガンは、絞り出すように言った。
「間違っているのは、軟弱になった、この世界の方だ。俺は、コンテストで、それを証明する。本物の価値とは何なのかをな」
彼はギルドマスターの制止も聞かず、部屋を出て行ってしまった。
残されたギルドマスターは、深いため息をついた。
彼は、ボルガンの父とも旧知の仲だった。だからこそ、息子のボルガンの不器用な生き方が歯がゆくてならなかった。
ボルガンは孤立を深めていた。かつては、彼の頑固さを「ドワーフらしい」と好意的に見ていた者たちもいた。だがそのあまりに排他的で、独善的な振る舞いに、誰もが愛想を尽かし始めていた。
彼の周りから、急速に人が離れていく。彼はまるで、自ら望んで、周囲に高い壁を築き、その中に閉じこもっているかのようだった。
コンテストの数日前。
ボルガンの工房で、ついに、彼の最高傑作が完成した。
それは、アイアンハンマー家の伝統に則った、巨大で、重厚な、両手持ちの戦斧だった。刃渡りは小柄な人間ほどもあり、その厚みは、もはや斧というよりは鉄塊に近い。装飾は一切なく、ただひたすらに分厚く、頑丈さだけを追求した逸品。星屑鉄の持つ内なる輝きが、不気味なほどの威圧感を放っていた。
ボルガンは、完成した戦斧を、恍惚とした表情で見つめていた。
これだ。これこそが、アイアンハンマーの魂。
これさえあれば、あの若造の小細工など、赤子の手をひねるようなものだ。
彼は、勝利を確信していた。
コンテストの前夜。ボルガンはひとり、工房で酒を飲んでいた。
壁には、父の肖像画が飾られている。彼は、その厳格な顔を見上げながら、心の中で語りかけた。
――父上。見ていてくだされ。俺は、あなたの教えを、アイアンハンマーの誇りを、守り抜いてみせます。才能のない俺でも、この頑固さと、頑丈さだけで、世界の真理を証明してみせます。
だが、その時、彼の脳裏に父の言葉がよぎった。
それは、ボルガンが初めて鍛冶場に立ち、歪な短剣を作った時に、突き放すように言われた言葉。
『お前には、鉄と語り合う心がない。……鍛冶師としての才能は、ない』
「……うるさい」
ボルガンは、その記憶を振り払うように頭を振った。
そして、残っていたエールを一気に煽った。
才能など、必要ない。
俺には、この石頭と、揺るがぬ哲学があれば、それでいい。
俺はただ、まっすぐに進むだけだ。
その道が、栄光へと続いているのか。
あるいは、破滅へと続く一本道なのか。
彼はその判断すら、とうの昔に放棄してしまっていた。
ただ、進むことだけが、彼の唯一の存在理由となっていたのだから。
-つづく-




