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9)インド人が語る「諸行無常」と「新陳代謝」と

ギャラクシーコーポレーションに転職して早くも半年が経過しようとしていた。かほりは会社の流儀に適応しつつも、適応できない面について考察を始めた

「今日はこんな感じで」



美容師から鏡越しに、美しい金色に染まった仕上がりを見せられ「OKです。いつも有難うございます」と返した。


六本木にある行きつけの美容室を後にしたかほりは、明日オフィスに着ていけそうなものをいくつか探そうと六本木ヒルズを目指した。

金髪をなびかせ六本木ヒルズを颯爽と歩くかほりの姿は、女性社員にだけ制服の着用を義務付け、現代においても男尊女卑を恥ずかしいと思わない時代錯誤な組織で、つい最近まで勤務していたことなど忘却の彼方に葬り去るかのようであった。



かほりがギャラクシーコーポレーションに転職して、およそ半年が過ぎようとしていた。



かほりは入社後しばらくして、思い切って髪を染めることにした。ファッションの面ではもちろんであったが、何よりも前職で許されなかったことを堂々とやってみることで、見かけのみならず精神面でも一新できるだろうと思ったからだった。初めて兄姉達に見せた時は少々驚かれたが「会社がOKと言っているのだから、かほりの好きにすればいい」と言ってくれた。


一点気になることがあるとすると、美容室でメンテナンスするタイミングをどうするかということであった。髪が伸びてくると生え際の黒い部分が少しずつ目立ってくる。これをどこまで許容するかが悩ましい。毎月となると財布の面でしんどい。かといって2か月放置すると、恰好が付かない。担当してくれている美容師を相談した結果「1.5ヶ月ごとに」ということで落ち着いた。


肩書はアナンと同じ「データアナリスト」であった。担当しているブックスチームはギャラクシーコーポレーションにとって、主力の事業部になりつつあり、紙、電子共に書籍の売り上げは正に右肩上がりであった。特にユーザーの購買履歴から嗜好性を分析し、新刊書籍のおススメを案内する「Your next」という他社にない独自のリコメンド機能が好評で、他のECサイトとの差別化を実現させていた。さらに独自開発した電子書籍リーダー「Wisdom」も好評で、購入者には電子書籍購読のサブスク料金が一定期間無料になるなどのキャンペーンも相乗効果を産んでいた。かほりはそれぞれのカテゴリーが、どのような要因で売り上げを増やし、どのような種類のユーザーが、どのような時間帯にサイトを訪れ、実際の購買を行っているかなど、様々な観点からデータを基に分析し、さらなる機能改善につなげるべく日々奮闘していた。パソコンの画面を通して、様々なデータを定点観測し、定例の打ち合わせでブックスチームの担当者に報告書を共有して、改善策を話し合うというのが、かほりの担当業務の一連のサイクルになっていた。


かほりは、半年前自分がカルチャーショックを受けた光景の一部分になっていることにふと気が付いた。


毎日自由に自分の好きな服でオフィスへ出社すること、フリーアドレスデスクの好きな席で仕事をすること、時にはソファーに寝そべりながら報告書をまとめること、ランチタイムはお互いの今日のファッションについてどこで買ったのか、最近どのようなものが流行っているのかなど同僚たちとおしゃべり出来ること、全て半年前にはおよそ想像すらできなかった毎日であった。


セナサポチーム全体のミーティングは隔週で行われていた。マネジャーの五十嵐から全社の売り上げ状況報告や異動や退職などの人事に関連すること、会社の新しい取り組みなどを共有するというごくごく一般的なミーティングであったが、ミーティングの最後には必ずお決まりの「儀式」が待っていた。



社員心得の唱和であった。



〈9つの社員心得〉


1 私たちは常にお客様の視点に立って考え、行動します

2 私たちは常にスピード感をもって素早く仕事を行います

3 私たちは常に好奇心を持ち続け、古いやり方を変え、新しいやり方を追求します

4 私たちは常に責任感を持ちます。決して「それは自分の仕事ではない」とは言いません

5 私たちは常に挑戦し、真に正しいと思ったら誤解されることも恐れません

6 私たちは常に大きな視野、大胆な視点で物事を考えます。前例にしばられません

7 私たちは常に馴れ合いを排除し、異議を唱え合うことを恐れません

8 私たちは常に高い水準を追求します。仕事のみならず社員のレベルについてもです

9 私たちは常に間違いを素直に認めます。たとえ気まずい思いをしたとしてもです



五十嵐によると、この「儀式」はセナサポチームのみならず、ギャラクシーコーポレーションの全ての部署に義務付けられているとのことであった。かほりはギャラクシーコーポレーションにおける諸々の流儀におおよそ慣れてきたなという自覚はあったが、この「儀式」だけはなかなか馴染めなかった。



かほりにはもう一つ気になることがあった。



毎月もしくは隔月くらいのペースで、チームメンバーが誰か一人以上は退職していくことであった。同時に新しいメンバーが入社してくるのである。そして退職していくメンバーはいつの間にか知らない間にひっそりと退職していく、いやかほりの耳に入るときには既に退職していたのである。五十嵐からは退職者に関する情報共有は全て「事後報告」であった。かほりは前職のケースを思い起こしてみた。



前職では社員が会社退職を希望する場合、


1)まずは直属上司にのみ、退職の意向を伝え、了承を得たら退職日について合意を得る

2)退職日から逆算して、業務引継ぎの進め方と期間を決め、有休消化の計画をして、これについても直属上司と合意を得る

3)直属上司はその上で初めて、チーム内に退職者の名前を明かし、退職日を共有する

4)(場合によっては)チームによる送別会が開催される

5)退職者はチーム内にて残務処理と業務引継ぎを行い、有給休暇を消化した上で予定の退職日にオフィスにて挨拶回りを行い、退職する



このようなプロセスを踏むことにより、退職する方も、それを見送る方も心の準備をして、スムーズに後腐れなくお別れすることが出来るのであった。


しかしながらギャラクシーコーポレーションの場合は、



1)マネジャーからチームメンバーに退職者の名前と退職日、もしくは退職予定日が突如共有される

2)退職理由や経緯については一切触れられない。「退職された」か「退職予定です」のいずれかしか伝えられない

3)退職者本人はオフィスには挨拶回りには来ない。送別会など一度も開催されたことは無い

4)業務引継ぎについても特に説明されない



といった感じで、事実の共有のみがなされ、お別れの挨拶や見送りといった行為は一切起こらないようになっているのである。かほり以外のメンバーも慣れっこになっているようで、退職者の情報が共有されても特段反応する者はいなかった。


良く解釈すれば、個々人のキャリアの選択にいくらチームメンバーと言えども、他人が口出ししたり関与する必要は無い。またそれについていちいち反応する必要も無いし、心を乱される必要も無いということだが、一方でいつの間にか同僚が消えているというのは、昨日まで日常の景色の一部であった生き物が突如失踪して消えてなくなってしまったような、無常感に似た、冷たい余韻を感じさせた。


セナサポチームはトータルで20名余の構成であったが、同じチームのメンバー同士で仕事をすることがほとんど無かった。それこそ顔を合わせるのは隔週の全体ミーティングのみであった。例えばかほりのケースで言うと、かほりは普段ブックスチームのメンバーと仕事をすることが多く、セナサポチームのメンバーで定期的に話すのはマネジャーの五十嵐とメンターのアナンのみであった。それ以外のメンバーとオフィスですれ違ったり、雑談したり、ランチにいったりということもあるにはあったが、リモートワークが多かったり、昼食の時間に打ち合わせが入っていたり、フレックスタイムを利用して稼働時間をずらして働いているメンバーも多く、毎日顔を合わせているわけではなかった。



このことを一度アナンとの定例ミーティングで話題にしたことがあった。


「アナンさん、セナサポチームから退職される方って、いつも突然いなくなりますよね?しかも割と頻度も多いので私なんか驚いちゃって」

「ああ、まあ確かに突然いなくなるとビックリするよね。でもセナサポチームに限った話ではなくて他のチームでもあんな感じらしいよ」

「へぇ。そうなんですね。あっさりしてるとはいえ、少し切ないものも感じますね」

「竹本さんが入社された時にお話ししたでしょう?この会社は人の出入りが激しいって。普通の日本企業って離職率ってそんなに低いの?インドではこれくらいの出入りは当たり前だよ」

「平均的な離職率について何かしら具体的なデータをもっているわけではないですけど、日本の会社の中だと、ここまで人の出入りの激しい会社は珍しい方だとは思いますね」

「だけど会社は今日もこうして回っている。誰も困ってなんかいないし、お客様の満足度だって誰かが退職することで下がっているわけではない。ギャラクシーコーポレーションはずっと右肩上がりの成長を続けている。ホームページやアプリが小さなアップデートを積み重ねて、やがて大きなアップデートとなるように、組織や会社もアップデートされ続けていくものなんだと思うね」


アナンは首を左右に動かしながら話を続けた。これはインド人にとって否定ではなく、肯定を意味するしぐさであることにかほりも慣れてきていた。


「それに毎月送別会なんてやってられないよ。皆そんなにヒマじゃないし。ちなみに席次表とか体制図なんていうものが、もしギャラクシーコーポレーションにあったら、そのアップデートをするためだけに人を何人か雇わないと追いつかないよ」

「確かにそうですよね」

「席次表のアップデートの度に、またあの部署で何人辞めたとか見てしまうと不安な気持ちにならないかい?だから必要ないんだよ」


かほりはアナンの話にも一理あると思った。とはいえ、突然誰かがいなくなるという神隠しのようなことが日常茶飯事のごとく行われている、またそれをマネジャー以外は確認したりすることがどうやらできないようであり、薄気味悪さも拭えなかった。


「竹本さん、日本の古典に平家物語ってあるじゃない?あれに諸行無常っていう言葉が出てくるでしょ?ギャラクシーコーポレーションはあれを地でいってるんだよ。ハハハ」

「アナンさん、インド人なのに平家物語読んだことあるんですか?すごい」


アナンの流暢すぎる日本語にもはや驚かなくなっていたかほりだが、さすがに平家物語の話が出てくるとは思わなかった。日本人であるかほりでさえ、ほとんど内容なんて覚えていない古典である。


「人間の身体に例えると、新陳代謝ってやつさ。古い細胞が新しい細胞に変わっていくサイクルが速いんだよ。ギャラクシーコーポレーションはそのサイクルが他の会社よりもうんと速いから成長を続けられるんだよ」

「新陳代謝、、、ですか」

「新陳代謝が遅いと古い細胞が多くなる。変化する外部環境に適応できなくなる。それって不健全だと思わないかい?日本の会社に未だ残っている終身雇用という制度は、ボクからすればとても不健全だと思うよ。将来、会社を取り巻く環境がどのように変化するかなんて誰にもわからないのに、どうして会社は一方的に古い細胞のまま生きていける保証をしなくちゃならないんだい?」


従業員を人体の「細胞」に例えて、「新陳代謝」という四字熟語を一つの淀みも無く話す目の前のインド人に、かほりは凄みと冷徹さを同時に見たような気がした。


退職者の話題が終わった後、アナンは少し冷静なトーンで次のように話題を変えてきた。


「ところで竹本さん、入社した際にお願いした通り、セナサポチーム内での業務についての相談事は、ボクとイガさん以外の人にはしてないよね?」

「ええ。してませんよ」

「良かった。今後もそれでお願いしますね。もし竹本さんが他のメンバーから相談されることがあっても『直属上司かメンターに聞いてください。私は答えられません』って言ってね」


いつもはまんまるの瞳で表情豊かで、明るく笑うことが多いアナンだが、この時はまるで能面のように人間味を感じさせない表情に見えた。



2週間後、またセナサポチーム全体ミーティングの時間がやってきた。メンバーが集められ、マネジャーの五十嵐が着席し、会は始まった。かほりは2週間前にいたはずのメンバーがいないことに気が付いた。ドレッドヘアの男であった。


「ひょっとしたら担当業務の都合で来られないだけなのかもしれない」


過去にかほりにもブックスチームとの打ち合わせを優先せざるをえない時が何度かあり、その際はやむを得ず全体ミーティングを欠席したことがあった。彼にも同じようなことが起こっているのかもしれない。


会は進行し、人事関連のアジェンダになった。五十嵐は、ドレッドヘアの男が今月いっぱいで退職することになり、今後出社する予定はない旨をチームに伝えた。併せて後任として入社する者についても共有があり、入社日にはウェルカムランチ会を開くので、都合のつくメンバーはなるべく参加するようにとのお達しであった。


「彼がギャラクシーコーポレーションにおいて、これまで貢献してきたことに感謝すると同時に、今後のますますの発展を皆で祈念しましょう」


退職者情報の共有の最後に必ず付け加えられるお決まりのフレーズであった。ルールに則って、定められたテンプレートを忠実に発するさまは、「喜怒哀楽のある人間に対し労をねぎらう」というよりは「スマートフォンのアプリの定期バージョンアップが予定通り完了した」というような、通常業務を淡々と完了させた感じを漂わせていた。


そして会の終わりに先立ち全員が起立し、いつもの通り9つの社員心得を唱和して、全体ミーティングはいつもの通りに終了した。


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