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6)高田敦子の告白

竹本かほりは、社内で「希望退職の標的」とされた高田敦子と会い、その告白により真相を知ることになった。そしてますます転職への想いを強くするのであった

かほりはギャラクシーコーポレーションから内定を出す旨の連絡を受け取った。条件面等は再度会社を訪問の上、協議することになっていたが、一方で現職をどのタイミングで退職するべきかについても思案を始めた。そんな折、高田と会うことになった。



「竹本さん、久しぶり」

「高田さん、こちらこそ。なんか私は何と声をかけたら良いのかって」

「いいのよ。ああなったのは別に竹本さんのせいじゃないし」



高田と会うのは実に3ヶ月ぶりであった。



「会社を退職されてから、もう3か月近く経つんですね」

「そうね。なんだかあっという間ね」

「今はどこの会社にお勤めされているんですか?」

「知人の紹介で、会計事務所で働いているわ。経理部で働いた経験を買って頂いて。待遇面では下がってしまったけど、育児をしながらの勤務についても理解があるし、以前に比べたらストレスは少ないかな」

「そうですか。それは良かったです。あまりに突然に高田さんが希望退職に応募されたことを聞いたものですから、私も含め皆複雑な気持ちだったんです」

「驚かせてごめんなさいね。でも、あの状況ではあれが最善の、角を立てない方法だったのよ」

「最終的には高田さんが自ら手を挙げて、応募されたんですか?」



高田は視線を外し、深呼吸をした。かほりに対し、何をどのように説明すべきなのか、逡巡している様子が見て取れた。



「竹本さん、私は退職にあたって会社と秘密保持契約を結んでいるの。つまり、退職に至った経緯については口外しないという約束よ。当然、その分口止め料も弾みますっていう取引をしたの」

「取引、ですか?」

「そう。これは私と会社との取引よ。但し第三者には秘密のね。だから、口外したことがバレたら契約違反だって訴えられる可能性があるの。会社も詳しい経緯については一切皆に伝えなかったでしょ?だから、これから話すことは決して誰にも言わないって約束して。できないんだったら、私はこれ以上話さないですぐに帰るわ」

「高田さん、わかりました。絶対誰にも言わないって約束します」



かほりはようやく「取引」の意味がわかった。高田が退職する際、「プライバシーに関わることがあるため詳細は話せない」という会社側の説明は秘密保持契約のためだったのだ。



「以前竹本さんにお話ししたことがあったでしょう?希望退職の標的はつまるところ私だって」

「はい。覚えてます。何故なのか、その根拠はピンと来なかったんですけど」

「あの会社はね、産休の取得は『生意気な女の、厚かましい給料ドロボー』っていう認識なの」

「どうしてですか?法律でも認められているし、他の会社では至って当たり前の制度じゃないですか?」

「竹本さん、ウチの会社って、商社っていう業態上仕方ない面はあるにせよ、結局のところ男中心の会社だと思わない?」

「確かにそういう雰囲気があるのはありますね」

「そういう男どもからすると、所詮女はお茶くみとコピー取りだけしてればいいっていう位置づけなのよ。いつまで昭和を引きずっているんだか」

「そうなんですか?私はそこまであからさまな態度を取られたことは無いですけど」

「竹本さんは情報システム部っていう、ある程度専門性が求められて、専門性さえあれば男女の区別がされにくい部署だから、運が良かったのかもね」

「高田さんは経理部にいた時、差別されたんですか?」

「遠まわしではあるけれど、感じることはあったかな。重要度の高い仕事は私を含め、女性が担当させてもらえなかったし」

「そうなんですね」

「ウチの会社、女性の管理職っていまだにゼロでしょ?どんなに仕事ができる人でも」

「確かにそうですね」

「結局ね、女という生き物をどう扱っていいのかわからない人ばかりなのよ。だから上に上げなければ面倒なことも起こらないだろうっていう、時代遅れな、超保守的な考え方」

「うーん、なんかヤな感じですね」



かほりは会社が何故に男尊女卑的な古い論理にこだわるのかわからなかった。こだわり続けることで得られるものと失うものとを考えた時、得られるものの方が多いようには考えられなかったからだ。



「男性側からすれば、理由はともかく、会社のバックグラウンドやカルチャーで、上位にいられる方がラクなのよ。そう考える人が上層部に多い以上、何も変わらないわ」

「あのう、で、高田さんはそういう体質がイヤになって、希望退職に応募されたってことですか?」

「まあ、そうだけど、自分から率先して応募したっていうよりは、そうせざるを得ない状況にじわじわと追い込まれたっていうのがホントのところよ」



高田の眼にはうっすらと涙が浮かんでいた。決して希望などではなく、本意ならざる退職だったのだということが伝わってきた。



「二回目の希望退職の募集が始まってからね、ちょくちょく個別面談が入るようになったの」





退職までの一連の経緯について、高田は語り始めた。



「始めは週に一回の上司との1on1っていう感じで、『業務にはどれくらい慣れましたか?』って進捗状況を確かめるだけの面談だった。でも、ある時から人事部の人間が同席するようになったの」

「へー。目的は何なんですか?」

「基本、何も話さないで、上司とのヤリトリをじっと聞いて、時折メモしているだけ。あまりにも何も言わないもんだから『人事部は私の何が気になるんですか?』って直接聞いたのよ」

「で、なんて?」

「『キャリア開発がどのように行われているのかについて、実際のケースを見たい』って言ってた。なんかいかにも取って付けた理由だけど」

「私も個別面談は週に一回ありました。でも人事部の同席は無かったなぁ」

「それから、3週間くらい続いた後に、また別個で人事部から呼び出しを受けて、『ところで希望退職についてはどのようにお考えですか?』って聞かれた」

「なんて答えたんですか?」

「応募する気はありませんってハッキリ伝えた。そしたら、『現在のお仕事に満足されてますか?』っていう質問が来たわけ」

「高田さんが満足なんかしてるわけないのに」

「で、『まだまだ不慣れな点が多いから、満足まではいきませんけど、キャリア開発ってことですし、仕事ですからそれなりにやってます』って答えた」

「なんか、上手く我慢したお答えですね」





―その後、高田から語られた人事部とのヤリトリである―



「高田さん、頑張って頂いているところに大変恐縮ですが、同じ職場の何人かの方から、非常に不満げに業務に取り組んでいるという声が上がっているんです」

「えっ、そうなんですか?具体的に何方のことですか?」

「具体的な個人名は挙げられませんが、そのような声が上がっているのは事実です」



高田は、しばし沈黙した。ほどなく人事部の担当は続けた。



「高田さん、畑違いの異動で簡単にいかないのはわかりますが、部署全体の士気にかかわるような振る舞いは控えて頂きたい」

「どの言動を根拠に、そういった指摘があるのか知りませんが、部署の空気を乱すような振る舞いをした記憶はありません」

「まあ、ご本人がそのつもりでも無意識に出てしまうこともありますからね。実は人事部の方でも問題視する声が大きくなってきてるんですよ」



高田は我慢しきれなかった。仕掛けられた罠にはまらないように、はまらないようにしてきたが、とうとう自ら堪忍袋の緒を緩めてしまった。



「じゃあ、言わせてもらいますけどね。今回の人事異動はホントに私のキャリア開発が目的なんですか?周囲からは『産休を3度も取ったことに対する会社側からの腹いせだ』って後ろ指さされてるんですよ!私の気持ち、わかりますか?貴方がこのような目に合わされたら、一ミリの不満も持たずに新しい業務に集中できますか?」

「そうですか、やはり不満だったわけですね?不満だということをお認めになるんですね?」



高田は否定も肯定もしなかった。

人事部の担当はじっと高田の眼を見つめた。そして勤めて冷静に続けた。



「高田さん、会社は別に産休の回数云々については別に問題視してませんよ。お子さんが生まれるんだ。結構なことじゃないですか」

「じゃあ、何が問題なんですか?」

「要は、もう少し空気を読んだ振る舞いをしましょうということですよ。会社の中では色々な立場で、色々な人が関わり合いながら仕事をしているんです」

「産休を3度取得することが、会社の空気を読んでいないと仰りたいんですか?」

「いやいや、そういうことじゃないんですよ」



人事部の担当はエキサイトする高田を尻目に、余裕の笑みを浮かべながら、さらに続けた。



「ま、細かい話はこの辺にしておきましょうか。今日は高田さんが強い不満をお持ちだということが、大変よくわかりました。そういうのが無意識に職場の方にも伝わっていたということですね。次回のスケジュール、決まったらまた連絡入れます」



―担当は、狙っていた獲物を予定通り収穫できたかのような満足感を漂わせながら、席を立ったー





「その次の面談で何言われたんですか?」



かほりは何となく結末を予感しながら、引き続き話を聞いた。



「その後も何回か人事部との面談が続いたの。もう向こうのペースになってしまっていた」



高田はふっとため息をついて、静かに目を閉じた。思い出したくないことを思い出すことのはしんどいのだが、この先の展開はもっとしんどくなるため、自らを落ち着かせているようであった。



「要するに会社のゴールは『いかに高田に希望退職に応募させるか』なのよ」




―人事部の担当は少しずつ高田の心を包囲し、静かに追い詰めていった―



「高田さん、これまでの面談を通じてですね、拭い難い不満をお持ちのまま、働いていかれるのは、大変なご苦労であると思うわけですよ。そして周囲の社員への影響も決して良いものではない」

「そうですね。でも、そうなるって予想した上で、私を畑違いの部署に異動させたんじゃないんですか?私だけの責任だって仰るんですか?」



高田の語気は、まるでラジオのボリュームのツマミを少しずつ時計回りで回すように、強くなっていった。冷静にならなければならないことはわかっている。しかし、面談を重ねる度に積もっていった鬱憤が、セルフコントロールする力を弱くさせていた。



「高田さん、確かに会社側の責任もゼロではないです。そこは認めましょう。でもねぇ、高田さん、単刀直入に申し上げると、このままだと会社と高田さんとの関係は間違いなく不幸になってしまうんですよ。この不幸な関係を改善できる見込みがあるのか、無いのか、それを判断しなくてはならない段階に来ているんです」



人事部の担当は、高田の眼を真正面から見つめた。高田の堪忍袋の緒がさらに緩くなるのを待ってみたが、高田は寸でのところで踏みとどまっているようだった。しかし憤りのあまり少しずつ呼吸が荒くなっていることが見て取れた。見透かすように担当は努めて冷静に続けた。



「高田さん、会社としてはですね、残念ながら改善は難しいと判断しています。だからといって、解雇とかそういう手荒なことはしませんよ。そんなことをしたら労働基準法に抵触してしまう。それに先ほど申し上げたように、今回の件は会社側にも一定の責任もあります」

「で、結局、会社は何を希望されているんですか?」

「希望退職への応募をご検討願えないでしょうか?高田さんのより良いサラリーマン人生のためにも、他の会社へ移られることも考えて頂いた方が良いかと思うんです。このままじゃストレスがたまる一方です。ただでさえやりたくない仕事に身も入らないでしょう。思い切って、環境を変えるというのが最善の解決策なのではと」

「希望退職に応じることよりも、元いた経理部に戻していただくというのが最もいい解決策だと思うんですが」



高田のコメントに対し、人事部の担当は「やれやれ」といった趣きで、子供を諭すようにさらに説明を始めた。



「高田さん、会社が正式な手続きを経て出した辞令を簡単に撤回できると思いますか?そんなことをしたら、全ての人事異動について、撤回という選択肢があるかのような錯覚を他の社員に与えてしまう。そうなると、もう会社は立ちいかなくなってしまいます」



これを聞いて高田はまた一つため息をついた。万事休すとはまさにこのことだった。沸点手前まで来ていた高田の憤りは、静まる方向へ引き返し始めた。人事部の担当は、徳俵に踵が乗っかった瞬間を見逃さなかった。



「高田さんの能力とキャリアなら、きっと今より良い職場があると思います。高田さんさえご協力頂けるのであれば、会社としては最大限サポートさせて頂きます。退職金の積み増しはもちろん、転職活動のサポートについても。退職時期についても柔軟に対応させて頂く所存です」



高田の頭の中にも同じゴールが見えてきていた。飛行機で言うならば、待機の旋回を終えたあとは、無事にどう着陸させるかというシナリオを描き、そのタイミングをどう見極めるかが最優先のテーマになっていた。



「あと、ここからは会社の人事部の人間としての意見ではなくて、個人的な意見として聞いてください」



人事部の担当は、まるで抜いた刀を鞘に納めた侍のように、少し穏やかな表情で続けた。



「貴女がどうしても希望退職に応募しないというのであれば、それでも構いません。会社側は高田さんに対する評価をこれ以上、上げることも下げることもしないでしょう。でも、この面談が果てしなく続いていきますよ。経過観察という名目で。私も果てしなくこんな面談を続けなければならなくなる。くだらないと思いませんか?こんなことが続いていくのに高田さんは耐えられますか?私なら耐えられませんよ。先のことを考えましょう。もらえるものはもらって、新天地を探す方がずっとずっと前向きな人生だと思いませんか?世の中にはウチ以外にも良い会社がたくさんあるはずです」



これまではプログラミングされたロボットのように、事務的な姿勢だった人事部の担当が、一人の人間として仮面を外して素顔を見せた、実に誠実な物言いであった。



―ほどなく高田は覚悟を決め、会社に意思を伝えた―




 かほりは一連の話を聞き、人事部の追い込み方について考えさせられた。


会社は決して法律に抵触はしていないし、手荒な言動もなく終始紳士的なアプローチで臨んでいる。ただ確実に伝えているのは「会社はお前のことをずっと見ているぞ」という事であった。そして、当事者が流れを悟るまで待ち続けるのだ。もしくは、耐えられなくなるのをじっと待っているのだ。



 「なんか、日本史で出てくる兵糧攻めみたいですね。長期戦の我慢比べに持ってくっていう。なんか陰湿なやり方っていうか」

「そうね。籠城ってつらいわよ。突然攻め落とされることは無いだろうけど、『いつかはこれが続かなくなる。それがいつになるんだろう』って考えながら、働くのはキツイわよ。夜眠れない日もあったし」



高田の眼はうっすらと赤くなっていた。かほりは慰めながら、さらに尋ねた。



「こういうケースって、過去にもあったんですか?ウチの会社」

「ええ。でも辞めていった人たちは積み増しされた退職金を受け取る代わりに、会社と秘密保持契約を結ばされるから、当然ながら表沙汰にはできないの」

「労働組合は何も言わないんですか?」

「いい機会だから教えておくけど、ウチの労働組合は会社とグルなのよ。歴代の委員長になる人たちも、基本草食動物みたいに人畜無害な、無味無臭なおとなしい人しか選ばれない。労使協調っていう大義名分でね。だから今回の件も状況は把握しているけど、私の代わりに会社と交渉するとかっていうのは無かったわ。たまーに『大丈夫ですか?』ってそれらしい労いの言葉はかけてくるけど、特に何のアクションも無いし」

「なるほど、だから委員長のヤツ、終始何も言わなかったんですね。何のための労働組合なんだろう」

「そう。何か言おうものなら、私と同じような目に合うから」



かほりは、見ないふりのできない汚物を見せつけられたような心持になった。正義とか善意とかいう言葉は幻想なのか。大人になるということは、こういった汚物の存在を凝視してもなお動じない強靭な精神力を持ち、どうにか乗り越えていくということなのだと思った。高田の話を聞いて、転職への決意がより固まった。ここはずっといるべき場所ではないのだ。


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