14)新しい上司との1on1
かほりは新たな上司となった鴨志田との1on1の日を迎えた。
1on1を通じて、かほりは新たな気づきを得ていくのであった
新たな上司となる鴨志田との初の1on1の日がやってきた。
「あくまでもお互いのキャラクターを知るためのカジュアルな面談なので、面談内容が評価等に使われることはない」と但し書きがあった。その但し書きはかほりの緊張を幾分か和らげた。
「失礼します」
「どうぞ」
かほりはマネジャー用の個室のドアを開けた。
鴨志田は柔らかな笑みを浮かべながら、机を挟んで対面の席に座った。
「お忙しいところお時間頂いてすみませんね」
「いいえ。こちらこそ」
「先日のウェルカムランチにも出席してくれてありがとう。でも、ああいう場では一人一人とはじっくりお話出来ないからこういう場を設けてもらいました」
鴨志田は先日のスーツ姿とは打って変わって、ポロシャツにジーンズという服装だった。銀縁のメガネもスーツ姿の場合は少々冷たい感じがあったが、服装が変わると幾分穏やかな感じに受け取れた。
「ギャラクシーコーポレーションに入社して3週間ほどになるけど、ドレスコードフリーっていうのは色々大変ですよね。毎日スーツで会社来ると明らかに浮いてしまいますもんね」
「私も入社した時、毎日何着ていこうかすごく悩みました」
「アップルのスティーブ・ジョブスみたいに、あえて毎日同じ組み合わせっていうのも考えたんですが、さすがに偉大過ぎてマネできないよね」
1on1は和やかな談笑で始まり、かほりもリラックスして話すことができた。鴨志田の方も特にシリアスな話をしたい風ではなかった。
「鴨志田さん、一番最初のご挨拶の日、社員心得の唱和とても緊張されたでしょう?」
「もうめちゃめちゃ緊張しましたよ。人事の人に『いきなりだけどマネジャーの大切な義務の一つだから絶対やってください』って言われてね」
「後から唱和していた私たちも緊張しました」
「そうだよねぇ。しかしこの会社は色々な面で時代の最先端を目指しているのに、社員心得の唱和なんて時代遅れなことを義務化するのかねぇ」
「私も最初は違和感しかなかったですけど、何度も繰り返しているうちになれちゃいました」
ドレスコードフリーや社員心得の唱和など、ギャラクシーコーポレーションの独特なカルチャーに驚きながらも馴染もうとしている鴨志田を見て、かほりは「1年前の自分もこんな風だったな」と立場こそ違えど、自身の入社時を振り返った。
「あと、もう一つ驚いたのは。。」
「なんですか?」
「アナンさんの日本語がありえないくらい上手すぎること!」
「ああ、やっぱり!!」
かほりも何度も頷きながら笑った。やはり皆思うところは同じなのだなと。
鴨志田は少し雰囲気を変えて、別の質問をしてきた。
「これは皆さんにしている質問です。竹本さんがギャラクシーコーポレーションご入社されて1年と少しだと伺ってますが、セナサポチームの業務や会議体など、何か改善して欲しいと思う点はありますか?」
まさしくマネジャーとして、チームメンバーに聞かなくてはならない質問の一つであった。
かほりは少し考えながら、答えた。
「そうですねぇ。。。とても困っていることとかそんなに大きな改善すべき点は見当たらないんですけどねぇ」
「では、質問の仕方を変えましょう。竹本さんが日頃会社で働いていて、何か不安に思ったり、疑問に思ったりしていることを聞かせてください。どんな小さなことでもよいので」
新任とはいえ、かほりの評価を差配する立場のマネジャーである。こういった質問に対し、思っていることをどのレベルまで話すべきか、少し加減をしなければならなかった。表現の仕方、言葉選びも重要な局面である。
「これから鴨志田さんもお感じになることだと思うんですけど、この会社はとにかく人の入れ替わりが激しいんです。私は前職がまだ年功序列の色が濃い日系の会社だったものですから、最初は違和感がすごくて。鴨志田さんは前職が外資系の会社だったから慣れていらっしゃるのかもしれませんが」
「ああ、なるほど。確かに外資系の会社は一般的に日系の企業と比べると人の入れ替わりが速い方だと思いますが、ギャラクシーコーポレーションはもっと速いそうですね」
「あとは、誰かが退職する時は全部事後報告なんですよね。ちなみに鴨志田さんの前任者もそうでした。会社に残っている人からすれば、オフィスで姿を見かけなくなった後に、突然人事部から共有される感じなのでとても冷たく感じるんですよね。お疲れ様とか元気でねとか、餞の言葉をかけるチャンスすら与えられないのかっていう」
鴨志田はかほりの話を聞きながら、メモを取りつつ深く頷いた。かほりは続けた。
「会社が人をヒトじゃなくて、モノや部品として扱っているような感じがして、とても冷たいんです。私、ギャラクシーコーポレーションのことは好きだしオフィスに来るのも楽しんでますけど、このカルチャーだけはどうしても慣れることが出来なくて」
「うんうん。なるほど」
かほりは続けて、鉄炮塚から聞いた「賞味期限」の話をしようとしたが一旦踏みとどまることにした。会社の誰かが公式に発しているルールではないし、鉄炮塚の理解が正しいという保証はどこにもない。しかも鴨志田はまだ入社して3週間である。いきなり「マネジャーの賞味期限は5年らしいです」などという話を聞かされるのは、良い気持ちがしないだろうと思えたからだった。
対座している鴨志田は、ひとしきりかほりの話を理解したようで、それに対して自身の考えを述べ始めた。
「竹本さん、有難うございます。ひとまずご不安はわかりました。今回の1on1はセナサポチームのメンバー全員と実施することになっています。既に終えた何人かからも同じような話を聞いています」
「やはりそうですか」
「私はまだこの会社に入社してから3週間なので、正直竹本さんと同じような体感はまだありません。ただこれから否が応でも体感していくことになるのだろうなとは思いました。私も日系や外資系の会社を何社か渡り歩いて今日まで何とかやってきました。なので、まず終身雇用というものはそもそも念頭にないし、ましてやギャラクシーコーポレーションにそれを保証して欲しいなんていう気持ちはありません」
鴨志田は銀縁のメガネを中指で押し上げて整え直すとさらに続けた。
「外資系の会社において、人の入れ替わりが速い理由はいくつかあると思いますが、一番は会社にも社員にも終身雇用という前提が鼻っから無いことでしょうね。経験したことも見たこともないから社員は期待のしようが無いということです。そして会社も社員の期待しない制度を作るはずがない。最近は日系の大手企業でもこの前提がかなり崩れてきてはいますが、まだまだレガシーな会社にはしっかり存在していますね。だから多くの日本人の心の中にはかつての良き昭和時代を懐かしむかのような、淡い期待が残っている。なので、外資系の会社のあり方を冷たいとか、人情が無いといった指摘をする人がまだまだ多く存在する」
「私の前職は、鴨志田さんが仰るレガシーな日系企業でした。前提は定年まで勤め上げること。組織や人事制度、給与体系もそれを前提にして設計されていました」
「でも竹本さんは現在その会社を退職されているわけですよね。それは終身雇用制度のプラスの面のみならず、マイナスの面も見てしまったからではありませんか?」
鋭い指摘であった。かほりはギャラクシーコーポレーションに転職するに至った経緯、例えば前職に存在した、拭い難い男尊女卑の社風等について説明した。
「なるほど。産休を取得した女性社員に退職勧奨するなんて、これまた時代錯誤な会社ですね。そんな会社は辞めて大正解だと思いますよ。ご自身の決断にもっと自信をもってください」
「はい。有難うございます」
「そういった露骨な男尊女卑の社風も、終身雇用制度の立派な弊害ですね。つまり、マネジメント層の意識が時代の変化に応じてアップデートされていないから起こった問題でしょうね。それでは、何故アップデートされないか?それはアップデートしないままでも、ずっと同じ会社にいられるという安心から生まれた怠慢からです。慢心とか思考停止という言葉の方が正しいかもしれない」
かほりはまるで、難しい数学問題の回答を、一つ一つ丁寧に丁寧に解説されているような心持になった。鴨志田は続けた。
「アップデートが進まない組織は、それが良いものであれ、悪しきものであれ、何も考えずにただただ前例を踏襲するようになります。そしていつからかそれは『ウチの会社のカルチャーだから』などという言葉にすり替えられ、正当化されていく。そしてそういう思考回路を持った人の一部がマネジメント層になって権力を持ち、多数派が形成されていく。竹本さんのお話にあったような、産休を取得した女性社員への退職勧奨もおそらく同じパターンですね。会社のカルチャーだからと巧妙に正当化されてしまっている。そしてマネジメント層の思考は停止されているから改善されることはない。仮に改善しようとしたら、現状を是とする多数派による村八分が始まって、今度は変えようとした少数派が組織を去らねばならなくなる。どんどんアップデートされることがなくなっていく」
鴨志田の指摘はいちいち見事に的を得ており、その鮮やかに繰り出される「因数分解」にかほりはただただ頷くほかなかった。鴨志田はさらに続けた。
「竹本さんは現状維持バイアスという言葉をご存じですか?」
「いいえ。初めて聞く言葉です」
「現状維持バイアスというのは、要するに、人間は誰しも変わることによるリスクを恐れすぎてしまって、変化することよりも現状維持に安住するという心理を指します。これは竹本さんにも私にも等しく存在するものなんですよ」
「なるほど。前職の組織はまさしく現状維持バイアスにとらわれた人たちの集りでした。ウチの会社はそういうカルチャーだから仕方ないよねって、社員の方から思考を止めているフシさえありました」
「因数分解」をひとしきり終えた鴨志田は、静かに話をまとめにかかった。
「でも竹本さんはその現状維持バイアスに縛られなかった。屈することはなかった。思考を止めなかったから前職を辞めることが出来たわけです」
「確かにそうですね」
「少し話が遠回りしてしまったかもしれませんが、私が何を申し上げたかったかと言うと、人が入れ替わるということは決して悪いことばかりではないということです。人が入れ替わるということは、これまで入ってこなかった新しい考え方を持っている人が入社してくることになりますし、新しい風が入ってきたお陰で、内容の精査もされずに何となく踏襲されていた悪しき前例が無くなるチャンスでもあるんです。他のメンバーとの1on1でも竹本さんと似たようなお話を伺いました。確かにギャラクシーコーポレーションはそのスピードが少し速すぎるのかもしれません。あと、退職に関する周知が徹底して事後報告になっている点は、残る社員にとってはあまり良い影響を与えてはいない。会社にとって都合の悪い何かを隠しているような雰囲気を生んでいるし、会社への不信感を募らせる結果になっていますね」
かほりは、少しだけではあるがモヤモヤした霧が晴れたような心持になった。
対面に坐する鴨志田もそれを感じ取ったのか、穏やかな表情で続けた。
「私も日系企業と外資系企業の双方を経験してきたからこんな話が出来るんですよ。どちらが良いとか悪いとかいう単純な白黒の話じゃない。前提が大きく違うんです。かつてのバブル期の日本企業のように、終身雇用は保証するし会社の業績も右肩上がりだしという時代であれば、私も日系企業で終身雇用を信じて定年を待つ道を選択したかもしれない。そっちの方が精神的には楽ではありますからね。でももう時代は変わっています。財務的に優良な大手日系企業でさえリストラを行う時代です。終身雇用制度はもう昔話になりつつあります。じゃあ外資系のドライなやり方が正しいのかというとそういう単純な話ではなくて、終身雇用を前提としていない組織であっても社員の定着率があまりに低いのは問題になります。顧客にサービスを提供するのは人だし、専門的なノウハウもつまるところは社員個々人に宿っているわけですから」
鴨志田の一連の話は、幾分かかほりの視野を広げる役割を果たしていた。陥穽的な思考から引き上げるのみならず、かほりの不安に思っている点も認めてしっかり汲んだ上で「単純に白黒付けるのではなく、ひとつ違う見方で考えてみてはどうだろうか」と優しく啓蒙するかのようにリードしてくれていた。
「鴨志田さん、有難うございます。様々なご経験をされている分、とても説得力を感じました。何かがすぐに解決するわけじゃないけど、違う見方を持つことで気持ちが楽になりました」
「それは良かったです。私もこれからギャラクシーコーポレーションのことを色々を知ることになるのだろうと思います。私も今後竹本さんに教えてもらうことも多く出てくるでしょうから、その際はお願いしますね。私には大した権限や力は無いですが、変えるべきものは変えるとか、出来ることはしていこうと思っていますから」
鴨志田との1on1は終わった。
前任の五十嵐とは違うキャラクターの上司ではあるが、上手くやっていけそうな予感がした。かほりは、マネジャー室のドアを閉めた。ドアが入室前よりも少しばかり軽く感じられた。




