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12)後任のマネジャーと突破者と

セナサポチームに後任のマネジャーがやってきた。かほりは例の「賞味期限」を突破した者が意外と近くにいることに気づいてしまうのだった。

ある日、人事部からセナサポチームのメンバー全員に招集がかかった。退職した五十嵐の後任を紹介したいとのことだった。会議室にメンバーが集まり始め、開始時間が近づいた頃、人事部の江坂と後任と思われる男性が部屋に入ってきた。巨漢のラガーマンであった五十嵐とは対照的な、銀縁のメガネをかけた、スラっとした細身で長身の男であった。「ドレスコードフリー」に慣れていないのか、それともチームメンバーとは初対面の挨拶ということなのか、ごく一般的なスーツとネクタイを着用していた。一般的な会社であればビジネスシーンに相応しい、至って普通の服装なのであるが、ギャラクシーコーポレーションのオフィスでは異質で、浮いた服装になってしまうのであった。かほりはたった1年前ならば何の違和感も覚えなかったのに、現在は「少々堅苦しい、ダサい服装である」と感じてしまった自分自身に少し驚いた。環境の力というのは短い時間で人の感性を変えてしまうほど絶大なのである。


江坂が話を始めた。



「時間になりましたので、始めさせて頂きます。セナサポチームの皆さま、お忙しいところお集り頂きまして有難うございます。先日もお伝えした通り、新しいチームマネジャーが本日ご入社、着任されましたので紹介させて頂きます。鴨志田 新之助さんです。簡単に自己紹介をして頂きます」


すると、隣にいた男が起立し、お辞儀をして挨拶を始めた。


「皆さん、初めまして。本日ギャラクシーコーポレーションに入社しました鴨志田と申します。前職は外資系ソフトウェアベンダーでセールスマネジャーをしておりました。この度、ご縁がありまして成長著しいギャラクシーコーポレーションの一員となることが出来て光栄に感じております。担当業務を始め、チームの皆さんのことも理解していち早く戦力になれるよう頑張りますので、何卒宜しくお願い申し上げます」



挨拶が終わると、かほりが入社した時と同じような「ま、お手並み拝見させて頂きますよ」といった趣の、少し距離間のある拍手が起こった。ただかほりの時と違うのは「今後自分たちの上司になる人間」という点だ。かほりは、自分の時以上にメンバーそれぞれが観察眼を鋭くしているような空気を感じた。



江坂が再び話を始めた。



「鴨志田さんは本日から3日間、マネジャーとしてのオリエンテーションをみっちり受けて頂きますので本日ウェルカムランチの予定はございません。後日改めてセッティングしますので、その際は皆さま振るってご参加の程お願い申し上げます。またチームの皆さまお一人お一人のキャラクターを把握されたいというご意向もお持ちですので、全員1on1の機会を設ける予定です。こちらのスケジュールについても後日連絡させて頂きます」


事務連絡が終わると、江坂が鴨志田の方を見て、次の指示を出した。


「それでは本日のミーティングはこれにて終了となります。ミーティングの終わりに先立ち、いつもの通り社員心得を唱和して終わりたいと思います。入社初日ではありますが、ここはマネジャーとなられる鴨志田さんに読み上げて頂きます。皆さま続けてご唱和ください」



全員が起立し、少々緊張の面持ちをした鴨志田が発声を始めた。



〈9つの社員心得〉


1 私たちは常にお客様の視点に立って考え、行動します

2 私たちは常にスピード感をもって素早く仕事を行います

3 私たちは常に好奇心を持ち続け、古いやり方を変え、新しいやり方を追求します

4 私たちは常に責任感を持ちます。決して「それは自分の仕事ではない」とは言いません

5 私たちは常に挑戦し、真に正しいと思ったら誤解されることも恐れません

6 私たちは常に大きな視野、大胆な視点で物事を考えます。前例にしばられません

7 私たちは常に馴れ合いを排除し、異議を唱え合うことを恐れません

8 私たちは常に高い水準を追求します。仕事のみならず社員のレベルについてもです

9 私たちは常に間違いを素直に認めます。たとえ気まずい思いをしたとしてもです





かほりを含めたメンバー全員が「おい、初日にいきなりやらせるのかよ。大丈夫なのかよ」とツッコミを入れたくなるような、ピリピリした雰囲気で注目する中、鴨志田は最後まで淀みなく、ほぼ完璧に暗唱し切った。おそらく何度も繰り返し練習したのだろう。


散会後、鴨志田は「無事に最初の仕事を完遂できた」という安堵感を漂わせながら、江坂と共に会議室を出ていった。



「なんか金融系というか、銀行マンみたいな感じの人よね」



鉄炮塚が話しかけてきた。



「でも外資系の会社で実績を上げられた方なんですから、きっと優秀な方なんでしょうね」



かほりはとりあえず当たり障りのない受け答えをした。



「あの竹本さん、先日の話だけど、私の髪の色が変わったらそれが開始のサインだと受け取って」

「開始のサイン?何の開始ですか?どういう意味ですか?」

「ごめんなさい。次の打ち合わせがあるの。また連絡するわ」



鉄炮塚はかほりの質問に答えることなく、小走りにその場を去っていった。



先日の話と言うと、例の賞味期限の話である。

会社から鉄炮塚に対し、何らかのアクションが「開始」されるということなのか?

それとも鉄炮塚の方から何かが「開始」される意味合いなのか?


かほりが色々想いを巡らしていると、背後から声がかかった。



「竹本さん」



振り返ると、そこにはアナンがいた。いつも通りの笑顔ではあったが、眼だけが笑っていないように見えた。これまで見たことのなかった表情だった。



「アナンさん、お疲れ様です」

「最近鉄炮塚さんとよく話しているの?」

「いいえ。ちょっと挨拶しただけですよ」



かほりは何事も無かったかのようにその場を立ち去ろうとした。



「まあわかっているとは思うけど、マネジャーがイガさんから変わっても会社のルールや仕組みはこれまで通り何も変わらないよ。業務に関する相談はボクか鴨志田さん以外の人にしてはいけないよ」

「ええ。わかってますよ」



アナンの話すトーンがいつもと何か違うと察したかほりは、最低限の受け答えのみでその場を済ませようとした。が、その前に一つだけ、どうしても確かめておきたいことがあった。



「アナンさん、一つ聞きたいことがあるんですけど」

「なんだい?」

「ギャラクシーコーポレーションに入社されて、今どのくらいになるんですか?」

「たぶん5年と少しだね」

「そうですか。ありがとうございます」



かほりは足早に会議室から立ち去った。



一つの重要な事実が判明した。



アナンはマネジャーではないのに、ギャラクシーコーポレーションでの在籍期間が既に3年を超えているのだ。

先日の鉄炮塚の話が仮に本当だとすると、例の「賞味期限」を優に超えていることになるのだ。あの五十嵐でさえ突破することが出来なかったのに、突破出来ているのだ。

ということは、「飛びぬけた成果」や「ずば抜けた評価」のいずれかをアナンが得ているのか、、、かほりは自分が知る限りそのような話を周囲から聞いたことはなかったし、アナン自身からも聞いた記憶は無かった。今度鉄炮塚に会った時、この話をしてみようと思った。



もう一つわかったことがある。



アナンは、かほりが他のチームメンバーと話をしているのを良く思っていないということだった。先ほど鉄炮塚と短い会話を交わした後に見たアナンの表情は、笑顔ではあったが、どこか「ルールを守っているのかどうか、オレは見ているぞ」とでも言わんばかりの警戒心めいたものを含んでいるように見えた。ウェルカムランチのようにチームメンバー全員で歓談している場ならともかく、そうでないシチュエーションではアナン以外のメンバーと極力話はしない方が色々と穏便に済ませられそうだと、かほりは密かに学習した。



勤務中は女性だけが制服の着用を義務付けられ、男尊女卑が恥ずかしげもなく平然と罷り通る古い組織から脱出して1年が経過した。しかし今度は、会社から一方的に、暗黙の内に「賞味期限」を設定され、その期限内に飛びぬけたパフォーマンスを見せられなかった場合はマネジャーも含めて「例外なく退場させられる」という「透明人間からの一撃」のような、対策しようの無い不気味な何かを気にしながら日々を過ごさなければならない組織にいる。


「それでは以前の会社に戻りたいのか?」と聞かれたら「いいえ」と即答するだろう。これまではギャラクシーコーポレーションの陽の部分を多く見てきた。しかし、少しずつ陰の部分も見えてきた。これからもっと陰の比率が上がっていくのだろう。どの会社や組織にも陰陽両面あるものだとは思うが、ギャラクシーコーポレーションの持つ裏の顔は、かほりの想像を超えた不気味な性質のものであった。



かほりはオフィスの窓に映る自身の顔を見た。髪の生え際の黒い部分が増えてきたような気がした。そろそろ美容室へ行かねばならないと思い、かほりはカレンダーを見ながら予約の手続きを完了させた。


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