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11)賞味期限の話

かほりは定例の全体ミーティングの後、同じチームの同僚から会社のある「掟」について詳しく話を聞くことになった

ある日、隔週で定例開催されているセナサポチームの全体ミーティングに出席すべく、かほりは指定された会議室の扉を開けた。かほりの後にもアナンや他の数名が遅れて入ってきて、チームメンバーがほぼほぼ出揃った。ミーティング開始時刻になったが、マネジャーの五十嵐はまだ姿を見せていなかった。五十嵐は比較的時間はキッチリ守るタイプなので、遅刻するのは珍しいなと思いながら皆待っていた。開始時刻から10分ほど経った頃、一人の女性社員が姿を現した。かほりのまだ知らない顔であった。そして驚くべきことに、五十嵐が来る前にミーティングの開始を告げた。



「皆さま、参加が遅れてしまいまして申し訳ございません。初めての方もいらっしゃると思いますので改めてご挨拶を。本日急遽五十嵐さんに代わり、ミーティングを仕切ることになりました人事部の江坂と申します」



江坂は一旦起立して、全体に向かってお辞儀をした。会議室には、この事態をどう理解したらよいかわからない、一体これから何が始まるんだ?といったモヤモヤした空気が流れていた。お辞儀の後、江坂は次のように続けた。



「皆さま、突然のご共有になりますが五十嵐さんは今月いっぱいを持ちまして、ギャラクシーコーポレーションをご卒業されることになりました。今後ご出社される予定はございません」


あまりに突然すぎる報告に、戸惑うな、狼狽えるなという方が無理な状況であった。「えーっ!」という声を上げた者もいた。チームメンバーはそれぞれクエスチョンマークを顔いっぱいに浮かべながら、江坂の話の続きに耳を傾けた。


「皆さまを驚かせる形になって誠に申し訳ございません。このような形になった背景や理由については、五十嵐さまご本人のご事情も色々とありますので、一切伏せさせて頂きます」


そしてお決まりのあのフレーズが出てきた。


「彼がギャラクシーコーポレーションにおいて、これまで貢献してきたことに感謝すると同時に、今後のますますの発展を皆で祈念しましょう」


このフレーズが発せられた途端、会議室には「ああ、いつものやつか」と、過去に見てきたあのパターンがまた繰り返されたのかといった安堵感とも諦めとも取れるような空気が流れた。


「後任については既に外部から採用が決まっておりまして、本来なら本日ここで紹介したかったのですが、これまた諸事情によりそれが適いませんでした。現時点では来月の頭には皆さまに新たなマネジャーとしてご紹介できるかと思います。後任が着任するまでの間、私とアナンさんの方で連携を取りまして暫定的に代行業務を執り行います。社内申請やお困りごとのご相談などございましたら、私かアナンさんまでお願い致します」


かほりはアナンの顔を見た。まん丸の瞳で豊かな表情が、またしても能面のように無表情であった。


(事前に事情を知っているのかもしれない。いや知らないかもしれない。いやそのどちらでもない。とにかく何の手掛かりも与えたくない)


かほりにはそんな風に見えた。


以前からこの退職者に関する情報共有については、耳にする度に冷たく無機質な響きを感じ取っていたが、今回のは少々薄気味悪さを漂わせた、さらに大きく重たい何かが加わったような衝撃を感じた。


江坂が五十嵐に代わり、全体ミーティングのアジェンダを淡々と進行させ、消化している際、かほりは正に「うわの空」であった。



少なくともかほり達のような一社員よりも大きな責任・権限を持ち、抜けた時の穴が大きいであろう管理職の五十嵐でさえ、退職する際の扱われ方は丸っきり同じなのである。かほりが知っている限り、五十嵐はパワハラめいた問題がある上司ではなかったし、部署の目標値に対しても全てが達成していたとはいえないものの、いわゆる及第点は超えていると思われる数字であった。またたまにある五十嵐との1on1でも会社への不満などは特に聞いたことはなかった。「美味しいものに目が無く、裏表の無いラガーマン」は誰からも好かれていた。かほりも360度評価における「部下→上司への評価」についてもそのままを書いた。改善点や代替案を要求されても何を書こうか悩んだくらいだった。



今回の五十嵐の退職のみならず、ギャラクシーコーポレーションという会社は何故にこうも社員をあっさり退職させるのだろう。そして会社に残る側、見送る側に、何故見送りさせようとしないのだろう。見送るどころか「余計な詮索はせず、辞めた人間のことはさっさと忘れて目の前の仕事に集中しろ」と言われているような感さえある。辞める側も「何か一言言いたい」とか、「せめて退職前にチームメンバーと食事がしたい」とかいう人間なら誰でも抱えそうな感情は無いのだろうか。人間は誰しも喜怒哀楽の感情を持っているはずなのだ。しかしながら会社はそんな昔ながらの浪花節には一切興味が無く、まるで「古くなったロボットや機械の入れ替えを行いました」といったような、無機質な業務連絡のレベルに留めたいようであった。


慣れてきたとはいえ、さすがにかほりにもやるせない違和感が心の奥底で燻っていた。


ミーティングのアジェンダは全て終了し、江坂はまたお決まりのフレーズを口にした。


「それではミーティングの終わりに先立ち、いつもの通り社員心得を唱和して終わりたいと思います。私が読み上げますので、皆さま続けてご唱和ください」




9つの社員心得を唱和して、全体ミーティングは終了となった。江坂は「次の打ち合わせがありますので」と言い、そそくさと会議室を後にした。「晴れない霧」の中にいたかほりは、立ち上がって会議室を出ようとした際、背後から声をかけられた。


「竹本さん、ちょっといいかしら?」


振り向くと、同じセナサポチームの鉄砲塚のぞみであった。



「のぞみさん、お久しぶりです。どうかされましたか?」

「今夜、仕事が終わってから少しお話しません?ほら、セナサポチームって、チーム外の人たちを仕事することがほとんどだから、久しぶりに同じチームの人と色々お話したいなと思って」



かほりは一瞬躊躇ったが、「晴れない霧」を晴れさせるには同じチームのメンバーと話すことが一番の特効薬に思えた。



「わかりました。じゃあ会社の受付ロビー前で19;00頃で如何でしょうか?一緒に移動して、恵比寿ガーデンプレイスあたりでゆっくり晩御飯でも食べながらお話ししましょうか」

「了解。竹本さん、急な誘いなのにありがとう。じゃあ後ほど」




終業後、かほりは予定通り鉄炮塚と待ち合わせ、恵比寿ガーデンプレイスへ移動した。

JR恵比寿駅からは少々離れているが、改札を出て右側にある動く通路「恵比寿sky walk」を歩けば5分ほどで到着出来る。

この少々離れている立地のお陰で、新宿や渋谷の繁華街に比べると平日夜でもそこまで混雑していないのであった。


「竹本さん、よく恵比寿来るの?」

「そうですねぇ、、たまーにですけどね。2番目の兄貴が働いているイタリアンレストランがあるんで」

「へぇ。じゃあ今夜もそちらへ?」

「ダメ元で電話で空席無いか確認したんですけど、生憎今夜は予約で満席だって断られました」

「繁盛していて人気店なのね」

「兄貴がよく『なんで女はあんなにパスタが好きなんだろう?』ってぼやいてますよ。カップルならまだしも、女性だけのグループだと『大半は喋ってばかりで追加オーダーしないから客単価が上がらなくて、意外と儲からないんだ』って」

「大した根拠は無いけど、恵比寿って女子受けしそうなイタリアンのお店多そうよね」



2人は他愛ない話をしながら、かほりが予約した店に着いた。恵比寿だけにYEBISU Barであった。

お互いにビールといくつかの小皿料理を注文し、乾杯をした。鉄炮塚が話を始めた。



「竹本さん、今日の全体ミーティング、とてもビックリしたわよね」

「ええ。さすがにイガさんがああいう形で、突然退職されるなんて思ってもみませんでしたから」

「私もビックリしたわ。だって3日前にオフィスでイガさんを見かけた時、ホントにいつも通りだったもの。今から思えば、その時には既に退職の手続きが済んでたってことでしょう?まあ、ギャラクシーコーポレーションはいわゆる一般的な日本企業と違って、チーム内に退職者に関する情報の事前共有や通知をする習慣が無いから」

「私も気が付けば入社して1年が過ぎました。人の入れ替わりの激しさや、突然の退職には慣れてきたつもりでしたけど、さすがに今日のはショックを受けました」

「竹本さんももう1年か、、早いわねぇ。私も気が付けば2年半が過ぎたわ。チームの中でもいつの間にか古株の方になってきた。私が入社した時よりチームの人数は増えているけれど、長く勤めている人は減っている。まあウチの会社は人がどうこうの前に、強固なシステムが出来上がっているから、エンドのお客様には大きな影響は出ないんだけど」


鉄炮塚の指摘はギャラクシーコーポレーションが他の会社と違う点を的確に表現している、とかほりは感じた。


「システムと人、、ですか、確かに強固なシステムがあれば社員個々人のスキルによって、成果の差が生まれにくいですもんね」

「そうなの。そしてシステムにはマニュアルが存在する。そのマニュアル通りに人がシステムを操作すればいいの。マニュアルが読めて、その内容を理解して実行できる人さえいればいいの。だからこんなに人が頻繁に入れ替わっても会社は何の問題無く回ってしまうのよ」


ギャラクシーコーポレーションという会社の真の強みがわかったと同時に、「誰が操作をしても一定の成果が出る」「頻繁に人が入れ替わっても会社は問題無く回る」といういささか残酷で、冷たい響きを伴う現実もつまびらかにされたようであった。



鉄炮塚は琥珀色のビールを飲み干した後、お代わりを注文して、さらに続けた。



「竹本さんはこの会社の、賞味期限の話って聞いたことある?」

「賞味期限、ですか?いったい何の賞味期限のことですか?まだ聞いたことないです」

「社員の賞味期限のことよ」



かほりにはまだピンときていなかった。鉄炮塚は席に座りなおして、じっとかほりの顔を見つめた。



「これは人事部が公式に話したわけでも、認めたわけでも何でもない話。噂ベースで語り継がれている話よ」

「前提についてはわかりました」

「この会社にはどうやら暗黙のルールがあるみたいでね、管理職は5年、管理職以外の社員は3年という『賞味期限』が定められているらしいの」

「賞味期限って、どういう意味ですか?」

「飛びぬけた成果を出したり、ずば抜けた評価を得られるまで会社が待ってくれる期限のことよ」

「その賞味期限を超過するとどうなるんですか?」

「用済みとして捨てられるの。会社から」

「捨てられる?って、それは会社をクビになるということですか?」

「そうよ」



かほりはふと、以前アナンが口にしていた「新陳代謝」という四字熟語を思い出した。



「でも理由なく一方的に解雇なんて出来ないですよね?労働基準法に抵触するし」

「ええ。その通りよ。余程の理由が無いと解雇できないのは、ギャラクシーコーポレーションも他の会社と同じよ。法律の適用にウチの会社だけ特別扱いされることなんかないわ」

「じゃあどうやって?」

「これも明確な証拠があるわけじゃなくて、あくまで噂ベースの話だけど、色々条件を提示してきて取引を持ちかけてくるらしいの」



かほりは前職の「希望退職募集」の件を思い出していた。退職金の積み増しなどを条件に応募を迫るという取引であった。

鉄炮塚はさらに続けた。



「以前セナサポチームにシニア・ストラテジストの山本さんって人がいたの知ってる?」

「はい。私の採用面接で、5人の面接官の1人でした。私が入社するタイミングで、入れ違いの形で退職されたって」

「そうよ。竹本さんの担当業務の前任者よ」

「やはり、、、」

「私が知っている限り、山本さんが退職した月は入社してからちょうど3年目だったみたい」



かほりは絶句した。鉄炮塚はビールを口にして、さらに続けた。

「ちなみにイガさんの在籍期間は確か先月で4年半だったと思う。先々週の1on1でなんかそういう社歴の話になったから」

「えっ、ってことはイガさんもその賞味期限内に評価を得られなかったということですか?」

「おそらく」



かほりはマネジャーの五十嵐のみならず、自身が入社してからまるで神隠しにでもあったように突如退職していったチームメンバー達の顔を一人一人思い出していた。当然全員の正確な社歴の長さなど把握はしていなかったが。



「のぞみさん、ちなみに飛びぬけた成果やずば抜けた評価っていうのは、具体的にどれくらいのレベルのものを指すんですか?」

「そこはブラックボックスだわ。正直人事部のサジ加減一つって話よ」

「賞味期限を超えて在籍している社員って、何割くらいいるんですか?」

「これも確たる裏付けがあるわけじゃないんだけど、全体の7%って噂よ。つまり93%は賞味期限内に会社を去っているってことよ」

「7%って、一部の例外を除いてほぼ全員が辞めちゃうってことですね」



かほりはすぐに事態を呑み込めなかった。

そして鉄炮塚の顔色が少し暗くなったように見えた。さらにビールを一口飲んで鉄炮塚は続けた。



「竹本さん、さっきもお伝えした通り、私の社歴は今2年半なの」

「のぞみさん、ということは」

「そう。もうすぐ切れるの。賞味期限ってやつが」



鉄炮塚の無力感に満ちた表情を見ていると、どうも「飛びぬけた成果」や「ずば抜けた評価」は得られていない様子であった。残る半年で何かしら挽回できる見込みも無さそうだった。会社からいつどのようにして「用済み」であることが宣告され、退職に伴う取引が始まるのか、漠然とした不安が少しずつ大きくなっている様子であった。



「こういう状況になるとね、選択肢は2つしかないと思うの。会社から退職勧奨される前にこちらから辞めるか、退職の取引のための準備をしておいて、いざ始まった時に最大限もらえるものはもらうっていう戦略的なやり方か」

「イガさんも同じ感じだったんでしょうかね?」

「わからない。でもイガさんの場合はおそらく人事部に楯突いたからだと思うわ」

「楯突いた?どういうことですか?」

「この『賞味期限のカルチャー』を何とか変えたいって言ってたから」



鉄炮塚の話によると、以前この「噂」について、五十嵐に内々に相談したことがあったという。五十嵐も同様の相談を他のメンバーから受けていて、思うところがあったと。熱きラガーマンらしく人事部に真っ向勝負を挑んだのではないかと。



「きっとイガさんもご自身の賞味期限が迫っていることを知っていたから、ダメ元で何かしら言ったんじゃないかしら」



鉄炮塚はうっすら涙を浮かべながら、五十嵐の身に起こったであろうことを想像していた。



「のぞみさん、貴重なお話を聞かせてくださって有難うございます」

「竹本さん、こちらこそ有難う。溜まっていたものを吐き出せて少しスッキリしたわ」



鉄炮塚の話が本当だと仮定すると、ギャラクシーコーポレーションという会社は意図的に「新陳代謝」をしているのだ。そしてかほり自身の「賞味期限」は長くてもあと2年なのだ。生存の条件である「飛びぬけた成果」や「ずば抜けた評価」はどうすれば得られるのか。皆目見当もつかないが、時が来ればどうやらかほりにも例外なく適用される「掟」があるようだ。それを切り抜けるために自身で何が出来るのか考えながら、かほりは家路についた。


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