悪魔事件から少し前・妄信の忠義者
三話連続投稿の三話目になります
外敵から教えを守る役職のウォリアーモンク。いや、存在しない階級であっても、女の場合はウォリアーシスターと言うべきか。
とにかく、その役割を担っているカレンの人生は不幸から始まる。
(これが空から見た景色……)
飛行船や飛空船と呼ばれる、言葉通り空飛ぶ船の上から景色を眺めるカレンの一番古い記憶は、父に殴られた後にカビだらけのパンを与えられた記憶だ。
なぜ父が暴力を振るうのか。なぜ母がいないのか。そんな疑問を覚えることなく、カレンはそれが当たり前のことだと認識してしまった。
しかし、流石にそれが長く続くと、自分はこのまま死ぬのだと察して、生き延びるために逃げた。
逃げた先が砂泉国の神殿だったのは幸いだっただろう。
戒律が厳しいからこそ、ボロボロの布を纏い一目で死にかけていると分かるカレンを保護して、必要な措置を施したのだ。
(アナスタシア様……ゼナイド様……)
そんな過去を持つカレンが、同じように外の景色を堪能している聖女達をちらりと見る。
特に熱心にカレンの面倒を見たのが、同じ神殿にいたアナスタシアとゼナイドだった。そのためカレンにとって二人の聖女は恩人で、母や姉を合わせた絶対の存在だ。
つまりカレンはかなり危うい太陽と月に、少しだけ事柄を足しただけとも言える。
神殿・戒律・アナスタシア・ゼナイド。この四つだけがカレンを構成する全てであり、世界の中心だった。
(お役に立って見せます)
歪な思いをカレンが抱く。
現実に堕ちたエマ。作り上げられた器であるアナスタシアとゼナイド。この三人と同じようにカレンの視野もまた狭い。
敬愛する二人の聖女の役に立つという一点だけしか目が向いておらず、戦闘修道女の教えを受けたのもその考えからだ。
(この容姿にしてくれたことだけは両親に感謝している)
その歪さは自身の容姿にも向けられている。
白と金のアナスタシア。褐色と銀のゼナイド。二人の娘のような、少し日焼けした程度の肌と、薄い黄色の瞳と髪はカレンにとって誇りだ。
顔も見たことがない母と、暴力を振るってきた父を無意識に否定するため生まれた感情でも。
「空から見る景色は凄いですね。それにこの船も」
「はいアナスタシア様」
アナスタシアが僅かに人間らしい感情を持ち、カレンが肯定した。
それは外への驚きが含まれたものだが、自分達が乗っている飛行船にも向けられている。
世界を統べた最盛期の太陽国と、肥大化が始まった時期の白貴教が協力して作った飛行船は、空を飛ぶ白亜の宮殿と呼ぶに相応しいものだ。もしくは馬鹿の産物。
木造ではなく真っ白な石造りの船体は、特別な外洋船に匹敵する大きさで甲板は庭園だ。比喩でもなんでもなく、本当に土と草が敷き詰められて、一部はきちんとした花壇にもなっている。しかもどこからともなく水が流れて小川を形成し、船内はかなり広い浴室まで備えている。
その上、目的地を定めると勝手に向かい、複雑な操縦も必要としない、天界の庭園とも例えられるものだ。
勿論、胃痛を覚えているどこかの教皇は、こんなものをいくつも作ってどうする気だったんだと先祖を心底馬鹿にした。しかし不思議なことに、金が無限に湧き出て使い切れないと錯覚する時期が人や国に訪れると、合理性や無駄使いという言葉が脳から消え去り、使えば使った分の金が戻ってくる夢に囚われてしまのだ。
(私達の場所だ……)
そんな船だがカレンとの相性は悪かった。
元々アナスタシアとゼナイドだけの関係性で完結し、会ったのはつい最近ながら同行者である枢機卿エマのぎこちない愛情を感じているのだ。
もし様々な経験をした苦労人でもいれば、外部からの刺激を受けて視野が広がっただろうが、最年長で元聖女のエマですらかなり限定的な人生だった。
他を必要としないカレンにすれば、地上と隔てられた庭園はまさに自分達だけの空間だ。
「しかし、高いところは寒いと聞いていたが、それを防げるこの船にいると分からんな。カレンは服を忘れてないか?」
「はいゼナイド様」
表情に乏しいゼナイドが、はっきりカレンを捉える。
幸いだったのは無差別に慈愛を振りまきかねないアナスタシアとゼナイドの二人が、カレンをきちんと認識している点だろう。
ただそれはそれとして、二人の聖女はカレンになにか特別なことをする発想を持てない。
妄信の忠義者と、慈愛の化身達は酷く危険な綱渡りを行っており、いつか訪れる破滅に突き進んでいると表現してもよかった。
予想外の角度からとんでもない衝撃を受けなければの話だ。
無垢な揺り籠はそのまま、衝撃を受けることになる山脈国へ到着してしまった。
「なんの。我が国の者は皆が紳士だから、恐れるようなことにはならない」
「陛下の仰る通り! そうだろう皆!」
「応! その通り!」
「必ずお守りいたします!」
「どうかご安心ください!」
(こいつらは駄目だ! 必ずアナスタシア様とゼナイド様に害を及ぼす!)
そしてカレンはパーティー会場で、欲の塊に直面して気を引き締めた。
権力への欲。女への欲。名誉への欲。それらを全て否定するつもりはカレンにもなかったが、敬愛する聖女が当事者として巻き込まれるのは看過できない。
「アナスタシア様、ゼナイド様。少々お下がりくださいっ」
男達がしつこければしつこい程に危機感を覚えるカレンが前に出て、自分本位な男達を妨げようとした。
父のことがあったため元々男性不信気味なカレンだから、過剰な反応を起こした。と言えればよかった。
(なぜこんなところに悪魔が!)
唐突に現れた悪魔のせいで出るわ出るわ。
「続けて尋ねるが、王の記憶によると聖女達に手を出さないとか」
「……そんなことはない」
「出すのかね」
「……勿論」
「なぜ?」
「……顔と体がいい」
「心は醜くてもいいのかね。どちらが大事だ?」
「……顔と体」
カレンは男達の口から漏れる言葉が、惑わされているのではなく本心だと決めつけ、残念ながら事実その通りだった。
こうして悪魔への危機感を覚えているカレンの脳の隅で、男は暴力的で卑しく、下半身でしか物事を考えられないと、男性観が固着しかけていた。
しかし、彼女達が陥った危機はここで終わらない。
(お願いします! お願いします神様! 自分はどうなっても構いません! ですからどうか!)
万が一にでも神の敵である悪魔の仔を孕んだなら、アナスタシアとゼナイド、更にエマが壊れると確信しているカレンは、自分が犠牲になると神に訴えた。
現実は残酷である。
「腕が捥げようが目ん玉抉られようが、女が泣いてるなら死んでもやるんだよ! だからお前も死ね!」
カレン達を助けたのは神ではなかった。信仰心でもなかった。ただ、男の持つ面子と覚悟だった。
そして自分と年が変わらないであろう青年に、カレンが男の中で例外の枠を作り出した瞬間だった。