悪魔事件から少し前・妄信者達の儀式
三話連続投稿の一話目になります
悪魔による事件、そして今代の英雄が覚醒する前。もっと言えば聖女達が巡礼の旅に出る前の出来事を確認する必要がある。
小さな国で運命に翻弄されている青年がいるのだ。母数の多い大国では、余計ごちゃごちゃした宿命に翻弄されている者がいた。
なんなら悪徳の主に近い、一大宗派の頂点ですら途轍もないストレスを受けている程度には、ありとあらゆる者が翻弄されている。
「聖女達よ! よくぞ集まってくれた!」
(先祖達よ……よくもここまでややこしいことにしてくれた……)
青空からの日光を、剥げた頭で反射している七十歳ほどの老人、エイダン教皇が見目麗しい女達を見ながら、腹の底でかつての者達を罵る。
名目上は大陸を支配下に置き、様々な国を傘下に収めている大国にして、地上の全てを照らすと自負する太陽国では、かなり馬鹿げたイベントが行われようとしていた。
その国教にして世界で最も著名な宗教勢力、白貴教は太陽国と密接な関わりを保ちながら勢力を伸ばしてきたが、その途中に若干おかしな慣習が生まれることになる。
「今日は十年に一度の大儀式、聖女巡礼が行われる!」
(宣伝は宣伝だろうに! 真に受けてどうするのだ! お陰で私の代でこんなに苦労する羽目になった!)
その白貴教の頂点であるエイダンは、弛んだ顎に皺を寄せてしまう。
分かりやすい神輿として、用意した女が聖女であると宣伝した最初期の白貴教だったが、どこをどう間違えたのか……。
世界の人口を大きく落とす疫病が流行って中心人物が多数無くなった白貴教は、捏造された聖女の伝説を真に受けるような、信心深い辺境の者達が復興した。
そして建前と妄想、現実と妄信が境界を喪失した結果、選ばれし聖女達が各地を巡礼し、その中で最も信心深い者が神に選ばれる。という伝説すらも信じて、きちんとした儀式にしてしまったのだ。
「この日、世界はまさに祝福で溢れているだろう!」
(後の者が面倒だから止めたいなあと思っても、利権と結びついたら歴史と伝統がどうのこうのと言われて止められないだろうが! 普通の儀式だってタダじゃないし人員だって必要なのに、各地を巡礼するだなんて大掛かりなものが、後世にどれだけ負担を掛けるか分からなかったのか!)
俗な主義に染まっているエイダンの主張が正しいと見るか、かつての信徒達の信心深さを褒め称えるべきか。
ただ悪い事ばかりではなく、儀式を作り出した妄信者達は腐敗と乱痴気騒ぎから脱却し、ある程度は清潔さを保っていた。
罵っている俗なエイダンが教皇をやっている通り、ほぼ過去形だが。
「ここにいる者達には重い責務を背負わせてしまった!」
(あーあー……儂も緩い儀式の時代に生まれたかったなあ。殺伐とした関係じゃなくて、皆で甘い汁を啜ろうよ。根回しもせず権力だけ求めるとか素人の仕事だって。これも全部、太陽国が衰えたせいだ……)
エイダンの愚痴は止まらない。
神に選ばれた聖女であると認定されれば、その実家は白貴教の権力で好き放題……は無理でも、かなりのオイシイ思いをすることが出来る。
それ故に歴史を紐解けば太陽国の王女だったり、王太子に嫁ぐ公爵家の娘へ箔付けるために称号が利用されてきた。
しかし太陽の如き勢いを誇った国は斜陽を迎え、高位の貴族や傘下に収めている国の有力者を抑える力が弱まると必然が起こる。選定の儀式は出来レースではなく、権力争いに直結する修羅場と化したのだ。
「しかしこれだけの聖女がいるならば、必ずや神も見届けてくださるだろう!」
(大体何人いるの? え? 五十人? 馬鹿じゃね? 巡礼の同行として、枢機卿が一人くっ付く決まりだから、それが五十人分ですよ神様。足りないから臨時って言葉が付いた枢機卿が大量生産されたんですけど、その辺分かってます? 分かってるなら奇跡でどうにかしてくださいよ!)
結果的にエイダンの前には、各地にある白貴教の主要神殿がそれぞれ乱発した、聖女の肩書を持つ美しい女達が大勢集まっていた。
しかも有力者の娘ばかりのため、太陽国王都の傍には護衛も集まっている始末だ。
「どうか、世界各地にその祈りを届けて欲しい!」
(まあ……儂も、白貴教も他人のこと言えねえ。組織がデカくなりすぎて、あちこちの神殿の統制が緩いんだよなあ。ねえ神様、儂の愚痴は届いてます?)
一通り文句を吐いたエイダンは自分を省みた。
太陽国が斜陽なら、白貴教は限界まで膨れ上がった泡で、大きな力を持つ幾つかの神殿はエイダンの命令を軽視する傾向を見せていた。そのため統制が取れないまま、各地の神殿が推す聖女。もしくは現地の権力者にどっぷり浸かった神殿の聖女が生まれ、この地に集まっているという訳だ。
こんな状況、はっきり言って完全に無茶苦茶である。
「巡礼の安全を願う!」
疲れ切っているエイダンの仕事は終わらない。
なにせ神に選ばれた聖女を選ぶのは、聖女が各地を巡礼。と言う名目で有力者に挨拶周りと協力の要請を終えた後、様々な権力闘争を経るのだ。
公的な儀式と銘打った馬鹿騒ぎはこれからだった。
(隠居してー……でも仕事を放り出すのもなあ……)
なおこの老人、上昇志向が強く節制とは程遠い強欲だが、妙なところで責任感があるため、トップに立ってからはずっと苦労しっぱなしだった。
ついでに述べると、数年前まで現役だった前教皇が白貴教を限界まで膨らませたのに、いきなりの破綻を招かず、僅かながら空気を抜ける能力を持っていた。尤もそれが間に合うかは……神のみぞ知る。
◆
さて、ある意味現実が見えている素晴らしい教皇の視点ではなく、目の前のことに集中する必要がある当事者の視点はどうか。
現実と欲の渦の真っただ中に清純があった。あるいは妄信が。
「皆さん、どうされたのでしょうか?」
聖女達が慌ただしく準備をしている最中、白貴教の大神殿の奥にある、かなり巨大な沐浴の場で、聖女アナスタシアが困惑していた。
「ゼナイドはどう思います」
「オレは知らん。いや、儀式出発前の沐浴が重要視されているのは、砂泉国だけの可能性はあるか」
柔らかな太陽のようなアナスタシアが傍にいた己の半身に問うと、ぶっきらぼうな声が返ってくる。
金と白のアナスタシア。銀と褐色のゼナイド。あるいは砂泉国の太陽と月。極一部では光と闇の聖母。
そう称される二人は共に、オアシスを起点としながら周囲が砂漠ばかりのため発展しきれない砂泉国の出身だ。
「それは……」
「他の聖女がどうしようと、オレとアナスタシアは教えられた作法に則っている」
そんなアナスタシアが再び困惑して、ゼナイドが溜息を吐きそうにしている理由は、砂泉国に存在する白貴教の戒律がかなり厳しいことに起因する。
捨て子として白貴教の神殿前に捨てられた幼い二人は、余所の白貴教神殿では軽視されている戒律を教え込まれた。
そのため即席で聖女認定された者達と違い、出立前には身を清めるという白貴教の戒律を守っているのだが、極端を言えば彼女達の世界は清らかな神殿だけで完結していた。
人々は素晴らしく、善意が溢れ、善行には善行が返ってくるという御伽噺。そんなものを半ば本気で信じている者達がアナスタシアとゼナイドを教育したものだから、二人の感性は世間と大きく乖離していた。
尤も砂泉国の戒律が厳しい理由は、極限の砂漠地帯付近で生活しているため、必然的に規律が重要視された結果だ。
「先日、他の皆様は大きな街へ向かわれる予定だと聞きましたけど」
「ああ。オレ達は別のところに行けばいいだろ」
「そうですね」
あどけないアナスタシアの声と、怜悧なゼナイドの声が沐浴の場に響く。
聖女達は重要な人間に面会して協力を要請するため、基本的に巡礼の地は特定の場所に偏っている。しかし、権力争いではなく神聖な儀式であると捉えている二人。特にアナスタシアは、他の聖女が大都市や重要な国に行くなら、自分達が他の場所で祈りを捧げればいいと考えた。
勿論それは、他の聖女が寂れて戦略的な価値がないと判断した田舎や小国のことで、二人が周囲と全く違う常識を持っていることを如実に表している。
「頑張りましょうゼナイド」
「ああ。そうだな」
光の聖母が微笑み、闇の聖母が頷く。
厳しい砂漠地帯の生まれ故に、二人を育てた者達を非難するべきではないのかもしれない。だがそれでも、出来上がってしまったのは……。
具体的な愛を知らない。喜びが薄く、怒りを知らず、悲しみとは無縁で、楽しむ感情を持たない。
機械、ゴーレム、自動人形の如き装置。なんでもかんでも無遠慮に受け入れる節操なき母胎。半身と認識している互いと、特に親しい者以外を平等に愛する無関心の地母神だ。
だからこそ価値観を根底からぶち壊された時、穢れや醜悪すらも受け入れる筈だった女という聖杯が、逆流して一点集中する羽目になるだろう。
そしてこの二人、呪われているのか祝福されているのか、白貴教でも判断がつかない訳あり中の訳ありだった。