英雄の一歩。大いなる英雄の友にして神殺しの獣。
「ふむ。こちらか」
まるで城の主の様に悪魔が歩を進め、ぼんやりとした表情の兵士達を無視しながら、パーティー会場に足を踏み入れた。
ギルド職員、冒険者、兵士、貴族の区別なく、ほぼ全員の表情が虚ろなのに、聖女一行だけは悪魔に気が付いて驚愕する。しかし、意識ははっきりしているのに話すことも、近寄ってくる悪魔に抗うことも出来ない。
「聖女についてどう思う?」
悪魔の狙いは聖女一行なのに、話しかけたのは一番近くにいた男、冒険者ギルド支部長のダニエルだ。
「……言うことを聞かねえ馬鹿女」
しかもダニエルは虚ろな表情のまま、思っていることをそのまま口にしてしまったではないか。
「ふむふむ。好んでいる部分は?」
「……顔と体」
「枢機卿や従者は?」
「……生意気な馬鹿女」
「こちらの好んでいる部分は?」
「……枢機卿は顔と体。チビ女は顔」
「ならば与えてやろうか?」
「……くれ」
「愛したいか? それとも痛めつけたいか?」
「……痛めつけてやる」
「言うことを聞かなかったらどうする? 殴るのか? 蹴るのか?」
「……両方」
「ふむふむ。なるほどなるほど」
首を傾けたカラス頭が問い続けると、ダニエルもまた素直に答え続けてしまう。そして、内に秘めている欲求を晒したことで、聖女一行の瞳が動揺していた。
更に悪魔は、テオを追い出した冒険者、アレックスに狙いを定める。
「今度はお前に尋ねよう。聖女達が命の危機だが、助ければ自分が死ぬ。どうする?」
「……聖女達を助けない」
「なぜ?」
「……死にたくない」
「いや、これは馬鹿な質問した。聞くまでもない事だった。ならば……そうだな。護衛任務を契約したが、聖女達を助けると自分が死ぬ。これなら?」
「……聖女達を助けない」
「なぜ? 契約したのだろう?」
「……死にたくない」
「ふむふむ」
これが悪魔による姦計で意図せぬ思いを口にしているのなら悪辣という他ない。だが救えぬことに、純粋な知的好奇心で尋ねている悪魔は、ダニエルやアレックスの本心を暴いているだけだ。
「続けて尋ねるが、王の記憶によると聖女達に手を出さないとか」
「……そんなことはない」
「出すのかね」
「……勿論」
「なぜ?」
「……顔と体がいい」
「心は醜くてもいいのかね。どちらが大事だ?」
「……顔と体」
「子が出来たらどうする? とんでもない大騒ぎになるだろう。君は縛り首、いや、拷問された上で殺されるかもしれん」
「……バレないように堕ろさせる」
「なるほど。女は欲しいが社会的責任は果たしたくないと」
「……そうだ」
悪魔とアレックスの言葉が止まらないが、忙しなく首を動かすカラス頭にすれば、知的好奇心を満たしつつ聖女達を嬲れる素晴らしい時間だった。
神殿と神の教えしか知らない者達に、きちんとした現実を親切にも見せつけ、愛や道徳といったものがどこにあるのだと突きつけるのは、まさに悪魔の本懐だろう。
その後も人を、立場を変えて悪魔の本懐は続く。
貴族、兵士、冒険者。老いも若きも様々な者達が悪魔の同じ質問に答えるが、返答もまた大差なく思ったままのことを口にしてしまう。
「さあ、信じる神に祈るといい。自分達は辱められています。目の前に悪魔がいます。助けてくださいと。しかし……妙だぞ。何も起こらない……どういうことだ……?」
パーティー会場にいる男達全員に問いかけた悪魔は手を緩めない。
「幾らなんでもあり得ない。神はなぜ信心深い者達を。その筆頭である聖女を救わないのだ。まさか神に何かがあったのか? もしくわぁ……信仰心が足りないのではないか? 聖女、枢機卿、戦闘修道女の信仰が足りないのでは! 信仰が! 敬いが! 祈りが! 足りないから! 神は! 救って! くれない! つまりお前達の不信心が原因! 背信者! 異端者! 神に救う価値がないと思われた背教者!」
悪魔が神の証明を求める。
そして何も起こらない以上は、悪魔の言葉を鵜呑みにするしかない。
「さあ! 親切な悪魔がこの異端者達を提供しよう! 欲しいと思ったものは前に!」
悪魔の提案を聞いた人間。この場にいた全員が一歩前に進んだ。
「ではとりあえず、純潔を散らすところから始めるか。妊娠する頃には今までと違う意見も持つだろう。人の子と悪魔の仔、どちらがいい? 個人的には神の敵である悪魔の仔を孕んだとして、何の罪もない無垢な命を聖女がどうするか興味がある。うん? ああ、ご紹介しよう。私が呼んだ未来の英雄殿だ」
大声から元の声音に戻った悪魔は、無機質な瞳を輝かせながら予定を告げる。しかしそれを実行する前に、王の記憶から読み取ったおもちゃの到着に気が付いた。
「英雄伝説継承とかいう恩寵を持っていながら、芽が出なかった若者だ。王の記憶にかなりこびり付いていたため興味を持った。名前をテオというらしい」
欺いているのではなく、悪魔の術中に陥っている若者テオがボーっとした表情でパーティー会場にやって来た。
「中々に生まれが可哀想な孤児の男のようだが……虫を食べたことは?」
「……ある」
「ネズミは?」
「……ある」
「ゴミは?」
「……ある」
「ほら、可哀想だ」
近寄って来たテオに、悪魔はその心を暴くための質問を投げかける。
ただし、なんでもかんでも予想通りに行くと思うのは傲慢である。
「可哀想な君を憐れんで、この女達をあげてもいい。君を救ってくれなかった神の信徒だから、咎めて殴るのは楽しいかもしれん。凍え、飢え、一人ぼっちな原因も神のせいだと言えるだろう。子供を産ませるなら協力もしよう。ああ、そうとも。神ではなく悪魔である私が救うのだ。さあ、望みを言ってくれ」
「……?」
「うん? どうした?」
「……?」
御高説を宣う悪魔だが、テオが首を傾げ続けている理由が分からず、ついつい同じように首を傾げてしまった。
「ふぅむ。この女達の好む部分は?」
「……初対面だから分からない」
「な、なぬ? 顔と体は?」
「……美人が四人。三人がスタイルいい。もう一人は小柄」
「他は?」
「……初対面だから分からない」
「な、なんだコイツ?」
悪魔はとりあえず面白い返答になる筈の質問を投げかけると、思わず仰々しい演技を忘れて素の声を漏らす。
悪魔だって人の美醜をきちんと判断できるが、囚われている聖女達は人間が放っておくはずのない美貌だ。
それなのにテオは、心がないゴーレムや自動人形などの様に、客観的事実しか指摘しないではないか。
「聖女達が死にかけている。助けに行けばお前は間違いなく死ぬがどうする?」
「……助ける」
「お前は死ぬと言ったぞ! 理由は!」
「……順番。死ぬのは男が最初。女子供は後。悪人に関しては別」
「ならば愛したいと思わないか⁉ 痛めつけたくは⁉」
「……んん? そもそもよく知らねえ」
「ならば聖女との間に子供が出来たらどうする⁉ 間違いなく拷問と縛り首だがな!」
「……んんんん? 子供?」
「例えばの話だ!」
「……んんんんんん? お互い了承した結果、それでも欲しいって考えになったんだろ? いや、でも俺が死んだ後に生活出来るような貯金はねえぞ。何とかして逃避行?」
「あ、そう。ひょっとして聖人? よかったではないか聖女達よ。神は助けに来なかったが、聖人擬きはいてくれたぞ。これっぽっちも面白くない、無味乾燥なことしか言えないつまらん男だが」
次々に質問を投げかける悪魔だが、テオの答えに興奮しつつも最終的に冷めてしまい、どこか馬鹿にしたような表情を浮かべる。
だが返答に疑問符が多く付くような質問をするべきではなかった。僅かに動いたテオの瞳が、絶望の淵で涙を流す女達をはっきり捉える。
「ならばそうだな……そう! 王の記憶によるとギルド支部長はお前を詐欺師だと言っていたようだぞ。幸い支部長の方はここにいるし、お前を馬鹿にした者が他にいるなら遠慮なく仕返しするといい」
「……お……い……こ……あっ!」
「うん? なんと?」
別方向からテオを攻めることにした悪魔は、あり得ないことが起こって反応が大きく遅れた。
「男がいつまでも細かいことを気にするわきゃねえだろうがあああああ!」
「ぎいいいいいいっ⁉」
人間如きが悪魔の術から抜け出し、腰に携えた短剣を愚か者の首筋に突き立てるというあり得ないことが。
「ば、ば、馬鹿な⁉ なぜ⁉ どうやって⁉」
「なにがどうやってだボケ!あんだけ泣いてる女が傍にいて、いつまでも男が大人しくしてると思うんじゃねえぞゴラァ!」
「せっかくの仕返しの機会を!」
「やかましい! それを未練がましいって言うんだよ! ついでに俺が期待に応えられなかったのは客観的事実だ!」
テオは短剣を握ったまま再び悪魔の首へ突き立てる。
力の大部分を王都の支配に使っていた悪魔は、物理面で非常に脆い状態に陥っていた。それ故に少しでも時間を稼ぐため、まだ影響が残っているテオとの会話に持ち込んだが、沸点をとっくに過ぎ去っている男の口は応じても体は全く止まらない。
しかし、悪魔がテオを殺すのに十分な力を取り戻す方が早かった。
余裕など全く存在しない悪魔が、全身からろくに制御されていない力を開放する。
テオは脳幹だけを守るため左手で頭部を庇うが、果たして意味はあっただろうか。その手は前腕から消し飛んで骨と肉が裂け、庇いきれていない右目は破裂し、頭部は焼け爛れて頭蓋だって露出している。
それがどうした。
「そうなったら遅かれ早かれ死ぬだけだ!」
「腕が捥げようが目ん玉抉られようが、女が泣いてるなら死んでもやるんだよ! だからお前も死ね!」
焦る悪魔を気にせず動きを止めないテオは更に深く短剣を食い込ませる。悪く言えば達観し過ぎていた青年が精神を、魂を燃やし尽くして死へ、勝利へただひたすら突き進んだ。
「ふ、ふざけるんじゃあないぞ!」
恐怖・焦燥・驚愕。
下等な人間風情にそれらの感情を抱いてしまった悪魔は、使ってはいけない切り札を叩きつけた。
基本的に悪魔の本体は魔界や地獄と呼ばれる場所に存在しており、このカラスと蛾の悪魔もまた同じだ。しかし極々一部は多大な労力と代償を支払って、現実世界に介入することが出来る。
勿論通常ならそのようなことをする必要性などないが、悪魔はテオを殺さなければ絶対に、間違いなく大事になると判断して、その力を使ってしまった。
これで悪魔は千年近くも弱体化を余儀なくされるが、それでも脅威を殺す為に次元を広げ、山ほどはある巨体が隙間からテオを……覗き込んでしまった。
「あ?」
より高次元にいる状態の本体だからこそ見てしまった。聞いてしまった。だからこそポカンとした。
天へと伸びる本棚。隙間なく収納された本。あらゆる存在の英雄譚。伝説。伝承。それだけならよかっただろう。
いた。いた。いた。いた。いた。いた。いた。
本棚の上に。横に。椅子に。机に。あらゆるところに。
寝そべっている。座っている。立っている。百、千、万、十万。まだいる。様々な、ありとあらゆる者達が思い思いの姿でいる。
子供。学生。青年。大人。中年。老人。
人間。エルフ。ドワーフ。ゴブリン。オーク。スライム。ドラゴン。あらゆる種族。
男。女。
ハッピーエンド。バッドエンド。勘違い。戦記。逆行。シリアス。ほのぼの。チート。最強。それらの名を冠する無限とすら思える概念もあちこちで迸る。
その最奥。
「まさかテオより先に悪魔が図書館を認識するとは」
ゆっくりとお茶を飲んでいた、周囲はどこまでも穏やかな時間が流れている大人が苦笑する。
「おいてめえ、死んだぞ」
殺して殺して殺し続けた、否定と憎悪の化身である中年が漆黒の鎧を身に纏って悪魔を睨む。
「若者の特権じゃのう。儂らも若い頃はテオのようだったか」
悪魔など気にしてもいない、原点・最初・最強の概念を宿す異邦の老人が、瞳を赤と青のオッドアイに変え微笑む。
数多の英雄。数多の概念。数多の思い。数多の人生。
それらを認識してしまった瞬間、悪魔の視界は強制的に閉ざされ、ようやく現実に戻ることが出来た。全てが手遅れになっている現実に。
「英雄の!」
無意識に叫ぶテオ自身も、何がどうなっているかさっぱり分かっていない。
だがどこからともなく現れた分厚い本が目の前で浮かび、嵐に巻き込まれたように荒れ狂う。
「物語!」
絵と文字が合わさったページが次々に捲られる。誰かの姿と生き様を表した言葉の集合体。
女達を侍らせた男の姿と人生。少女の周りに集う男達との駆け引き。子供と戯れる青年の歩み。復讐に足掻く男の歩み。虐げられた女が過去に戻る不可思議。無限に近いページが次々に移り変わる。
鮮やかに彩られ、何が起こったかを教える言葉の奔流は捲られ、捲られ、捲られ続け、特定の絵柄だけが輝き始めた。
共通しているのは誰かの傍に相棒がいることだ。
「その力を!」
その相棒が持つ共通概念が結実すると、輝く光体が本から飛び出して次元の隙間に潜り込み、悪魔の本体にぶち当たった。
「今!」
遺物の名残。過去の残滓。
本来の名の意味など忘れ去られ、個体名が種と認知されてしまう程に古ぼけた存在が、英雄譚の友として再臨した姿。
フルスペックではない。完全な再現ではない。全力ではない。本来の力など欠片もない。出現可能な時間も限られる。
関係ない。
「ここに!」
山の如き巨体の悪魔?ならばそれを見下ろすモノをなんと表現する。もし口を開けば上顎は天に届き、下顎は大地を揺るがすだろう。
魔界の、地獄の全てが慄いた。
アレはなんだ? ヤツはなんだ? なぜあんなものが?
恐怖。絶対的恐怖。根源的恐怖。
歯の根が合わず、死を覚って涙すら流している者がいる始末だ。
「継承する!」
あれこそは三兄弟の長子。予言の成就者。
悪評高き狼。ヴァン川の獣。
なにより沼に潜む狼。
「アオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
世にも稀な偉業。怪物による主神殺しを果たした超越者。山どころか魔界の天地を覆う巨体の銀狼が月に向かって吠えた。
パチリと力が世界に填め込まれた。
人生。
【異世界にてもふもふと化し、様々な英雄達と活躍する余生を満喫中】
【北欧神話】
力の名。
【フェンリル】
数多の世界で英雄の友として活躍した……異なる次元の大神、オーディン殺害の主犯である。
だがもっと恐ろしいのは人だ。
「おいコラ」
「ひっ⁉」
悪魔の分霊が、亡霊のような人間に悲鳴を漏らす。
左腕が爆ぜた? 右目がこぼれた? 顔の右半分の頭蓋が露出している? それがどうした。無事な目は異常な意思を宿して、窪んだ右の眼孔すら爛々と輝いている。全身の必ず殺すという意思は衰えるどころか圧縮され、具現化を果たしそうだ。
殻を破れなかった筈のテオはまさに、英雄として最初の一歩を踏み出す。それは同時に、いつか次の物語へ託すための歩みでもあるが、少なくとも今は彼こそが主人公だった。
「性根が腐り果てた醜い劣等種如きがあああ!」
「ひとのこと言えたもんじゃねえてめえ如きが、人間全体を勝手に定義するな!」
「やめろおおおおおおおおお!」
本体に大きく力を奪われた悪魔になす術など無い。
テオがまたしても悪魔の首に短剣を突き立てて滅ぼすのと、フェンリルが何の抵抗も許さず本体を貪ったのは同時だった。
(なんか知らんが、あったけえな……天国ってやつか……)
テオは勢いのまま倒れ伏し、人生最後になるであろう思考も途切れていく。
勿論、天国。更には神とやらがいれば、にっこりと笑って迎え入れる……ことなく蹴飛ばして送り返すだろう。
テオは騒がしくなった周囲や、感覚が戻りつつある腕や顔に気が付くことなく、今日最後になる思考を終えた。
-主神を殺せる。その意味をもっと深く考えろ。つまりは世界を滅ぼすことと同義なのだ。つまりつまりは……縛めた紐から人を救ったのだ-フェンリルのページより抜粋
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