持たざる者と、それを見守る者達
船の傍に戻ったテオが、不可思議な光の階段を登っていく。
これもまた船の凄まじいところで、登録されていない者は触れられず、乗り込むことが出来ない防犯装置の一種だ。
「戻りました」
テオが甲板に到着すると、膝をついていたアナスタシアとゼナイドが祈りを終え、立ち上がったところだった。
(絵になる……って表現するのは怒られるかな?)
そんな感想を抱いたテオは少々見惚れてしまう。
温かな太陽の如きアナスタシアと、ひんやりとしながら柔らかく照らす月の如きゼナイドが祈る姿は完成されきっており、宗教画として描かれるとあらゆる人間が欲するだろう。
「戻ったかテオ。話はすんなり通ったか?」
「ああ、カレン。支部長が妙な立場になって、保身で聖女の名前を使う懸念が発生した。エマさんは船内か?」
「ああ。どうも変な話になったらしいな」
「その通り」
控えていたカレンが淡い黄色の髪を揺らしながらテオに近づくと、彼は突然発生した懸念を伝えるためにエマの居場所を尋ねた。
(そういや同年代と普通に話したことはあんまりないな)
頭の片隅でテオは人生を振り返る。
路地裏で暮らしていた頃のテオに話しかける同年代はおらず、冒険者に成りたての頃は嫉妬で近寄られなかった。そして詐欺師と呼ばれる今現在は、馬鹿にされて会話が成立していなかった。
「あら? どうしたの?」
そこへタイミングよく、自分の名前だけを聞き取れたエマが船内から現れ首を傾げる。
(エマさん、最近は顔色がいいな)
またテオの頭の隅で思考が発生する。
出会った当初のエマはかなり顔色が悪く、常に陰鬱な気を発していたが、今現在は多少改善している。それに肌艶も増しており、病人の様に思えた枢機卿の雰囲気は改善の兆しを見せていた。
「報告があります。冒険者ギルドの支部長ですが、対悪魔部署の人員に囲まれてました。その際自分へ、聖女様に言ってこいつらを追い払ってくれと頼んできました。きっぱりと断りましたが、自分の名前を使い接触を図る可能性が多少あります」
「そんなことが……」
テオの説明でエマが口に手を当てて考え込み、カレンがコッソリ顔を顰めた。
彼が懸念しているのは、自分がいないところでダニエルが勝手に名を使い、アナスタシアやゼナイドに弁護を頼むことだ。
通常なら考え過ぎと思われる懸念だが、役に立つとは思えないテオに縋ってまで、窮地を脱しようとしたのだ。ダニエルがその発想を維持し続けている場合、面倒事に巻き込まれる可能性はあった。
「テオとの仲がいいと言う奴は疑ってください」
肩を竦めるテオの言葉は客観的事実だ。
孤児のため親兄弟はおらず、詐欺師と罵られて仲間や親しい人間もいない。夢の酒場を含めるならその限りではないが、現実でテオとの仲を強調する者がいるとすれば、何らかの企みがあると言ってよかった。
つい最近までは。
「でもわたくし達は仲良くなりたいと思ってますよ」
「確かに」
アナスタシアが無垢な表情でにっこり微笑むとゼナイドが同意した。
親しい人間がいないのは事実だが、今後も同じとは限らない。
「わ、私もですね」
「同じく」
この流れに乗り遅れることなく、つっかえるエマと小声のカレンが続く。
「……ありがとう、俺も同じだ」
思わぬことを言われたテオは一瞬ポカンとして、僅かに頷いた。
(そっか……そうだよな。俺の人生、これからだ)
親しい人間が増えるという発想がほぼなかったテオは、聖女達によって蒙が啓かれた。
聖職者とは、人生に光を照らす者なのだ。
◆
何処かの酒場で明かりが強くなる。
「……よかったのう。よかったよかった」
いつもの性悪で下品な顔とは違い、穏やかな笑みを浮かべる老人がぽつりと漏らす。
「相性がいいの。言葉に裏がない無垢……というか天然聖女二人。母性と女でうろうろしてる枢機卿。同年代の生真面目修道女。全員が今までテオの周囲にはおらんかったタイプじゃ」
「え? なんて言った? プロトタイプ機動兵器?」
「コストガン無視した試作兵器が強いっていいよね。ロマン兵装があるならもっと良し。量産機は使い込まれたベテラン感が好みじゃ」
独り言のような老人の声に、正気とは思えないスキンヘッドの男がすっとぼけた声を出して応じる。だがどう聞き間違えたのか横道に逸れ、それに老人も悪乗りする。
珍しいことに酒場は老人とスキンヘッドしか存在しておらず、酒場は明るくなったがどこか寂しい風景だ。
「人生まだまだ。半分も過ぎておらんぞ若者。斜めに構えて見るには早すぎる。世界を、人を楽しむといいわ」
「ああ、お天気の話ね。散歩するにはいい天気だよ」
「うむ。散歩したい気分じゃ」
老人は微笑んだまま、テオに届かないエールを送りスキンヘッドをあしらう。
普段からこの様な真面目なことを言えるなら、酒場にいる者達から多少尊敬されるだろうが、生憎とへそ曲がりだった。
「そう、冒険者ギルドに散歩して、支部長とやらに引導を渡してやりたいの。まあ、出ていけんのじゃが」
「冗談はよしてくれ」
老人の微笑みが種類を変えると、目の焦点すら怪しかったスキンヘッドの雰囲気が一変する。
「あんたら。特にあんたは駄目だ。蟻一匹に大陸が沈む究極魔法でも使うつもりか?」
「儂って信用ないのう」
「世界の幕を強制的に降ろせる怪物でも現れない限り、あんたの役目と出番はない」
「ほっほっ」
スキンヘッドのへらへらと締まりのなかった顔は鋭くなり、濁っていた灰色の瞳は強烈な光を発して、牽制するような強い雰囲気を発しているが、老人は気にせず軽く笑うだけだ。
「ああいうのはな。知らない。捏造だ。事実と異なる。そんなことを言う連中と同じよ。最後の最後まで認めず、どうしようもなくなってから他の連中もやっていると言って、森の中の木を気取る。立てなくなるまで殴って、ごめんなさいとだけ言う機械にする方が道理じゃ」
老人の言葉と共に酒場が闇に包まれた。
善悪を超越して我を通し続けた男の、皺だらけの顔が闇に浮かぶ。それは裂けた様な目と口に変じた能面の翁のようで、白い髪がゆらゆらと妖しく揺れる。
「道理だろうがどの道、あんたが呼び出されるような奴じゃない。もし万が一そんなことが起こったら俺が出る」
おどろおどろしい、酷薄と表現してもいい顔に対し、様々な色合いが対峙する。
「なら頼むとしようかのう」
「え? 俺とスキーする?」
「儂、若い頃にすっころんで以来、スキーが嫌いじゃ。って言うかお前さんまさか、好きって単語をスキーと聞き間違えるだなんて古典をしとらんよな?」
「すき焼き?」
「駄目じゃこりゃ」
一触即発だった雰囲気は老人の声で唐突に霧散すると、またスキンヘッドがすっとぼけた。
やはり酒場にいる者達は変人しかいないらしい。




