7 永遠の誓い【Side 魔王タナトス】
彼女の震える足に、唇を寄せて魔力を込める。
なるべく傷は見ないように細心の注意を払った。
もし見てしまったら、怒りで我を忘れてしまうかもしれないから。
丁寧に慎重に消滅の呪術をかける。
痛々しい傷もアザも忌々しい奴隷の枷も、君を害する全てを綺麗に消してしまえばいい。
短い詠唱を唱え、彼女の細い足が黒い炎に包まれる。
仰々しく見える炎だが、痛くも熱くもないはずだ。
消滅の炎。これはそういう呪術だから。
どうやら、奴隷の枷を付けられてから、それほど時間は経ってないらしい。
ホッと安堵の息を吐く。
魔道具の類は、長期間装着していると肉体と同化してしまうから厄介なのだ。
何度も頭の中でエルギン伯爵家の奴等を切り刻む。
絶対に許さない。必ず報いを受けさせてやる。
彼女を怖がらせないように、表情には出さずに心の中だけで固く誓う。
「タ、タナトス様っ! ア、アザが………アザが消えています! 私の足が…………奴隷の枷も…全部………」
空色の瞳が大きく見開かれた。あぁ、とても可愛い。
不思議そうにペタペタと自分の足を確認する仕草も、とてつもなく可愛い。
彼女は、アザの消えた足を嬉しそうに持ち上げた。
あ、あまり足を上げると、その、見えてしまいそうなので、もうその辺でやめてほしい。
ただ視線を外せばいいだけなのだが、目が言う事を聞いてくれない。
「タナトス様……本当にありがとうございます……」
アリスは少し潤んだ瞳で俺を見つめる。凄く可愛い。
そして俺は、極めて重大な事態に気付いた。
も、もしかして、今この状況は、いい感じの雰囲気というやつなのではないだろうか?
いい感じの雰囲気になったら、押し倒せばいいのだとガウラは言っていた。
大抵の場合はこれで上手くのだと。
ゴクリと唾を飲み込む。
今、なのか? 今ならいけるのか?
ソファーには幻獣の毛皮が敷いてある。寝転がっても体が痛くなる事はないはずだ。
女のダメはOKって意味だとガウラは言っていた。
途中でやめる必要はないと。
殴られても土下座して懇願すれば、いける事だってあるとも言っていた。
な、なら、今いくべきなのか?
バクバクと心臓が高鳴る。
世界最古の竜と対峙した時ですら、ここまで緊張する事はなかった。
拳を握り、浅い息を吐く。
アリスの甘い魔力が、誘うように鼻をくすぐる。
まるで花に吸い寄せられた虫のように、俺はアリスのすぐ隣りに座った。
アリスはニコニコと俺の顔を見つめている。
あぁ……ものすごく可愛い。
そして、アリスの肩に手を伸ばそうとした瞬間、俺は自分の犯した盛大なミスに気付いたのだ。
そう言えばまだ、プレゼントを渡していないっ!
ガウラは言っていた。とりあえず旨いメシを食わせて、何かプレゼントを渡して、いい感じの雰囲気になったら押し倒せばいいと。
な、なんて事だ…………手順を間違えた!
いやでもまだ押し倒してないし、挽回は可能だろう。
大丈夫だ。俺はまだやれるはずだ!
決して動揺を顔に出さないように腹筋に力を込めて、さも余裕があるような優しい笑み作る。
「アリスに渡したい物があるんだ」
俺は指を鳴らして空間を開き、小さな箱を取り出す。
アリスの驚いた顔がとても可愛い。
空間操作は簡単な魔術だからアリスもすぐ出来るようになるだろう。後でやり方を教えてあげよう。
箱の中には、透明な石の付いた指輪が入っている。
これは守りの指輪だ。
ありとあらゆる災いから持ち主を守る効果がある。
透明な石はグニグニと形を変えてうごめいている。
実はまだ不完全な状態なのだ。
好みが分からなかったから、彼女に聞いてから色と形を決めようと思っていた。
「アリスの好きな色と形を教えてくれないか?」
「え? 好きな色と形ですか? えーと…私は黒色と金色が好きです。好きな形は特にありません」
「黒と金が好きなのか?」
「は、はい。あの、だって、タナトス様の色ですから」
「……………そ、そうか。確かにそれは、俺の色だな」
かろうじて顔には出なかったが、激しく動揺した。
だって黒と金って、俺の髪と目の色じゃないか!
俺の色だから好きだなんて、可愛い過ぎだろっ!!
抱きしめたい衝動を必死にこらえて、指輪が壊れないギリギリの範囲で、ありったけの魔力を込める。
ベースの色は黒にして、金の模様を入れよう。
形は………そうだな、アレがいい。
「わぁ! 素敵! 黒い蝶ですね? 模様も凄く綺麗!」
完成した指輪をアリスの指にはめる。
まるで本物の蝶が、アリスの指にとまって羽を休めているみたいに見える。
まるで、この蝶は俺みたいだな。
花の香りに惹かれて花に恋焦がれる蝶の姿と自分の姿が重なって見えた。
「タナトス様、ごめんなさい。こんな素敵な物をいただいたのに、私はお返し出来る物がありません」
「いや、気にする事はない。俺がアリスに指輪を贈りたかっただけなのだから」
落ち込むアリスを見て、とある妙案を思い付いた。
俺は再び空間を開き、小さな箱を取り出す。
アリスに渡した物と同じ箱だ。
失敗した時用にと、もう一つ用意していたのだ。
「では、俺のためにこれに魔力を込めてくれないか?」
「わ、私の魔力……ですか? 私に、そんな事が出来るのでしょうか?」
「俺が補助をするから大丈夫だ。強く指輪を握って力を流し込むイメージをすればいい。その時に、色も一緒にイメージしてほしい」
「色も?」
「あぁ、そうだ。頭で色を思い浮かべながら力を込めればいい。もし許してくれるなら、俺は君の色が欲しい。澄み切った空のような水色か、もしくは星のように煌めく白銀がいいな」
俺の言葉を聞いたアリスは、ポッと頬を染めて恥ずかしそうに下を向いた。あぁ、なんて可愛いんだ。
指輪を握る小さな手に、そっと俺の手を重ねる。
魔力操作にはコツがいるが、そんなに難しくはない。
アリスの甘く優しい魔力が静かに部屋に満ちる。
指輪はゆっくりと色を変えて、キラキラと輝く白銀が混じった美しい水色に変化した。
そこに俺の魔力を流し込んで形を整える。
可憐で愛らしい薔薇の指輪が完成した。
ほんのりとアリスの魔力が香る指輪だ。
あぁ……これはとんでもない物が出来てしまった!
絶対に、死んでも外さないでいようと固く心に誓う。
「嬉しい。まるで、結婚式の指輪の交換みたい」
「そう言えば、人間界では結婚する時に指輪を交換するんだったな?」
「はい」
幸せそうに、でも少し恥ずかしそうに笑う横顔に心が鷲掴まれる。あぁもう、あり得ないくらい可愛い。
そうだ。俺達は夫婦になるのだ。
これからずっと、永遠に近い年月を共に過ごす。
焦る必要なんてないんだ。
ゆっくり互いを知り、少しずつ仲良くなればいい。
俺は、蝶のとまった小さな手をそっと握る。
そして無垢な瞳で見つめる少しあどけない妻の額に「一生、大切にする」と誓いのキスを落とした。
次回は、タナトスの異母兄のマッド視点です。