5 全然足りない【Side 魔王タナトス】
「タナトス様、座って下さいよ」
「あぁ、そうだな」
考え事をする時、部屋を歩き回るのは昔からの癖だ。
たぶん、こういうところが情けなく映るのだろう。
「無理やり連れて来てしまったから、聖女は怒っているだろうか?」
「さぁ、どうですかね? 特に嫌がってるようには見えませんでしたけど」
「驚き過ぎて抵抗する余裕がなかったのかもしれない。移動中に気絶してしまったし…」
とにかく、何かお詫びの品を用意しよう。
国と城でいいかな?
島と船の方がいいだろうか?
それとも入手困難な物品とかの方がいいのか?
ダメだ…女子が喜びそうなものが全然分からない。
「今、エマさんに様子を見に行ってもらってます。エマさん、かなり張り切ってましたよ。なんか、農家の一人息子が初めて家に彼女を連れて来た?みたいなノリでした。絶対に逃すな! 必ずうちの嫁にするぞ!って気合い入ってたので、たぶん今夜は、聖女ちゃんとタナトス様お二人で食事をする流れになると思います」
「しょ、食事?………いきなり二人で?」
「嫌なんですか?」
「嫌な訳ないっ! むしろ、金を積んででもお願いしたいくらいだ!」
「なら、良かったじゃないですか」
「で、でも俺は、あまり会話が得意ではないし、女性を楽しませる自信がないというか……」
「女を口説く手順は、とりあえず旨いメシを食わせて、花とか宝石をプレゼントして、いい感じの雰囲気になったら押し倒せばいいんです。大抵の場合はこれで上手くいきますから。ちなみに、女のダメはOKって意味ですので、途中でやめる必要はないです。殴られても土下座して懇願すれば、いける事だってありますから」
ガウラのとんでもないアドバイスに、どうツッコミを入れるべきか考えていたら、コツコツと窓ガラスをつつく音が聞こえた。
「おや? エマさんのカラスですね」
ガウラが窓を開けると、カラスは一礼して部屋に入り、エマの右目を吐き出した。
「こんな姿で申し訳ありません。魔王様に至急お伝えしたい事がありまして………えーと、あの、大変申し上げにくい事なのですが、どうやら聖女様は虐待を受けていたようです」
「なっ…………虐待だと?」
「はい。体は極端に痩せており栄養失調状態。足には長期間ムチで打たれ続けたアザがあり、奴隷の枷まで付けられていました。カラスを飛ばして、聖女様のお住まいであるエルギン伯爵邸を調べたところ、虐待をしていたのは結婚する予定だった男の母親で、結婚する予定だった男はそれを黙認していたようです」
聖女を抱き上げた時、あまりの軽さに驚いたのだ。
あの時は、可愛さが限界突破すると重さを感じなくなるのかと思ったのだが、栄養失調だと?
長期間ムチで打たれ続けたアザ? 奴隷の枷?
なん……なんだ………それは…?
腹の中で、マグマが噴火するような感覚がした。
ドロドロとした怒りが溢れ出る。
今まで感じた事のない残虐な激情が全身を支配する。
晴れていた空は一瞬で黒い雲で覆われ、雷鳴が轟く。
ゴウゴウと風が吹き荒び窓ガラスがガタガタ揺れた。
小さくて儚げで可憐な聖女を?
美しくて可愛くて愛おしいあの聖女を?
何よりも尊い唯一無二の存在を虐待していただと?
「ちょ、ちょ、ちょっと落ち着いて下さいって! タナトス様! そんな強大な魔力を暴発させたら、人間界が消し飛んじゃいますから!」
「何か問題があるのか? 俺の最愛を傷つける人間界など滅ぼしてしまえばいいではないか?」
「いや、でも、ほら、聖女ちゃんも人間なんだし、そんな事したら嫌われちゃいますよ?」
「…………………………そ、それは一理あるな」
「その男と母親だけ消せばいいんですよ! 秘密裏にね。腹が立ったからって人間界ごと消滅させては駄目です。また天界の奴らにネチネチと文句言われちゃいますよ? アイツらしつこいんですから」
「そう……だな。すまない。少し熱くなり過ぎた」
深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
そうだ、聖女に嫌われるのは絶対に回避したい。
それにこれは感情のまま簡単に終わらせては駄目だ。
彼女が受けてきた痛みと恐怖を、何億倍もにして返さなければ気が済まない。
「では、私めが二人を消しましょうか?」
「待て、エマ。ただ殺すだけでは足りない。そんな生ぬるい方法では全然足りないのだ。奴等には生まれてきた事を後悔するほどの苦しみと、死ぬ事が救いに思えるほどの絶望を与えたい。可能な限り長期間にわたってな」
「あ! それなら良い案がありますよ。手間も金もかからない。おまけに恩まで売れちゃう方法です!」
話し合った結果、我々はガウラの話に乗る事にした。
実はエマも相当怒り心頭だったらしく、本心では自ら手を下したかったのだ。
「では、私は失礼いたします。魔王様、今夜は聖女様とお二人でディナーを召し上がっていただきますからね? 今からしっかりとご準備をなさって下さいませ」
エマの右目はそう言い残すと、カラスに咥えられて、窓から空へと飛んで行った。
ふ、二人でディナー…………
そうだな。とりあえずは旨い食事の用意だ。
体に負担がかからないように、胃に優しくて栄養価の高いメニューを料理長に頼もう。
あとは、花と宝石か。
あ、いや、別に俺は押し倒そうとかは考えていない。
ただ純粋に喜んでほしいだけだ。
楽しい会話をする自信はないが、精一杯もてなそう。
可能なら求婚をしたいが……まずは、友達になる事を目指す方が無難だな。
部屋の壁一面に、水色の薔薇を咲かせた。
彼女の瞳は、澄んだ青空のような色だったから合わせてみたのだ。
そして、床にはダイアモンドを敷き詰めてみた。
透明感のある彼女にピッタリの宝石だな。
いやしかし、ダイアモンドは硬いから、転んで怪我とかしないだろうか?
一応、幻獣の毛皮でも敷いておくか。
白くてモフモフしてるし、これなら転んでも安心だ。
「いや……タナトス様、俺が言ってたのは、そういうのじゃないんですけどね。何か凄いんでそれでいいです。追加で、持ち帰れるサイズのプレゼントをご用意したらどうですか?」
「そうだな! そうしよう」
持ち帰れるプレゼントか…………何がいいかな?
小さくて軽くて邪魔にならず、見た目も美しくて役に立つ物がいいだろう。
あぁ、そうだ。アレが良いかもしれない。
えーと、あとは服装だな。
落ち着いた雰囲気で清潔感があって、程よくオシャレだけど無理してない感じの………
うん。どれが良いのかさっぱり分からん。
やはり無難に黒だろうか?
黒ってなんか安心感があるんだよな。
いや待てよ? 全身黒ずくめだと、高圧的なイメージになるのではないだろうか?
それなら、シャツは白にするべきか?
白って汚れが気になるから敬遠しがちだが、清潔感があるイメージだしな。
ツノと羽とマントは邪魔だから外しておこう。
あ、でも、急にツノと羽がなくなっていたら、驚かせてしまうだろうか?
付けておくべきか? 外すべきか? うーん……
「あ、聖女ちゃんが来たみたいですよ」
「そ、そ、そうか。よし、通してくれ」
天井のシャンデリア達は、微笑ましそうに柔らかな明かりを灯し、部屋の隅に置かれていた楽器達はいそいそと音楽を奏で始めた。
次回は、アリス視点です。