2 聖女の香り【Side 魔王タナトス】
「タナトス様って評判悪いですよ」
側近のガウラが、文句を言いながら溜め息を吐いた。
「別に俺は、望んで魔王になった訳ではない」
数ヶ月前に魔王になったばかりだが、部下達の反応が良くない事は何となく感じている。
「魔王らしくないとか、名前負けしてるとか、絶食系で草だとか言われてます」
「だ、だから俺は、望んで魔王になった訳では…ない」
魔族の世界は魔力が全て。一番強い魔力を持っている者が魔王となる単純明快な支配体制だ。
前魔王様は何百年もの間、魔王の座に君臨していたのだが、ここ最近は何やら辞めたそうな雰囲気を醸し出していた。おそらく飽きたのだと思う。
タイミングは最悪。成長期で不安定な俺の魔力が魔界で一番になってしまったのだ。
その日のうちに、ほぼ押し付けられるかたちで魔王をやるハメになった。
「もういっそのこと、前魔王様を見習って美女をはべらせてみたらいいと思うんですけど?」
ガウラの提案に、今度は俺が大きな溜め息をつく。
ちなみに、前魔王様とは俺の親父の事だ。
百人の妻と三百人の子をもつ、頭のおかしな魔族なのだが、そのおかしな感じが何故か素晴らしいと部下達に大絶賛されていた。
「せめて一人だけでも妻を迎えないと、みんな納得しないんじゃないですかね?」
実は今、新魔王の妻になりたい女性が殺到している。
あちこちから「うちの娘をもらってほしい!」と頼まれるので適当に断っていたら、今度は娘達から直接ハニートラップを仕掛けられるようになった。
彼女達の瞳は、肉食獣が獲物を狙うようにギラついていて、正直かなり怖い。
魔王としても魔族としても、据え膳に怯えて逃げ出す態度がダメだったんだろう。
部下達の残念なモノを見るような視線が辛い。
そもそも俺にはカリスマ性がないのだ。
性格暗いし、人見知りだし、外より家派だし。
望んで魔王になった訳ではないが、前魔王様と比べられて部下達にガッカリされるのは地味に凹む。
「だいたい、異母兄のマッドの方が俺よりも魔力量が多いはずなのに……あいつ、絶対何か道具を使って魔力量を誤魔化してるだろ? 」
「あ〜マッド様ですね! あの人は、魔王にしたらダメな人ですよ。頭おかしいですもん」
「それを言うなら、親父だって相当おかしいと思うぞ」
そもそも魔族なんて頭のおかしい奴らばかりだ。
欲望に忠実で本能のままに生きる脳筋集団。
「いやいや全然種類が違うんですよ。マッド様は性格も性癖も特殊すぎるんですって」
「まぁ、変わった奴ではあるよな」
「ずっとグロヤバい研究してますしね。ちなみに、最近は婚活を始めたらしいですよ!」
「へ? 婚活?」
「何か、運命の相手を見つけるとか、真実の愛を知りたいとか言ってました。今は、人間界の沼地にいますよ。この前、マッド様に魔道具持って来いって使いっ走られましたもん」
「あいつ、今そんな所にいるのか…」
「あ! タナトス様! もし魔族の女が嫌なら人間の女を妻に迎えるとかどうですか?」
「は? いや、無理だろ?」
「無理じゃないですよ。 前魔王様の13番目の奥さんは元人間で元聖女ですからね。昔は魔力量の多い人間がたくさんいて、交流も盛んだったらしいです」
「それ聞いた事あるな。数百年前は、親父とやり合えるレベルの勇者がいたって」
「そうなんですよ! 俺、前魔王様と勇者の戦いの初版本持ってます! 特に最終章のバトルがもう激アツで、限定グッズも買っちゃいました! まぁ最近は、勇者の話なんて全く聞かないけど、たぶん聖女はいますよ。マッド様にパシられて人間界に行った時、若くて強力な女の魔力を感じたんです。あれは絶対に聖女ってやつですよ!」
「………そうか」
「ちょっと! 興味のなさそうな顔やめて下さいよ! あの魔力量は相当なものだったんですよ? めちゃくちゃ良い香りの魔力だったんですから! 絶対にタナトス様も気に入りますって!」
「………そうだな」
「タナトス様っ! このままだと、魔王様不能説がささやかれるのだって時間の問題ですからね? 最悪な場合、俺とデキてるんじゃないかって噂されますよ?」
「なっ………………!?」
俺達はゲートを開いて人間界へ向かった。
もう聖女でも何でもいい。
こういうのは勢いが大事なんだと思う。
とにかく会ってみなければ何も始まらないからな。
これ以上の悪評は、何としても阻止したい。
人間界には魔族の拠点と言うか、宿泊施設として滞在できる城や洞窟がいくつかある。
昔は、親父や側近など大勢の魔族達が遊びに来ていたそうだが、今はほとんど使われていない。
魔族は飽きっぽいからな。
強い人間が減ってきて、興味がなくなったんだろう。
「タナトス様! ほら! 良い香りしますよね? ね?」
人間界に着くなり、ガウラは興奮した様子で言った。
な、なんだコレは?
ドクドクと心臓が高鳴り始める。
「とんでもないな……」
本当に人間のものなのか?
魔王軍の幹部クラスに相当する魔力量と言っても過言ではないだろう。
それに、ガウラの言う通り、凄く良い香りがする。
今まで感じた事のない脳が痺れるような甘い魔力。
「だから言ったでしょ? この魔力量! 彼女なら、魔王様の妻に迎えても誰も文句は言いませんよ。むしろ好感度上がるんじゃないですか? めっちゃ良い香りだし」
「………そ、それは……そうだな」
「では、さっそく口説きに行きます? それとも、さらっちゃいます? タナトス様って無駄にイケメンだから、どちらでもいけると思いますけど」
「え、いや、まぁ、うん……」
「うわ〜…ヘタレ! 不能確定ですね」
「いや違うっ! 行くから! ちゃんと行くから!」
俺達は、再びゲートを開いて空間を移動した。
彼女の魔力に近づけば近づくほど本能が刺激される。
これはヤバいな。
今すぐ連れ去ってしまいたい衝動に駆られる。
「あれ? ここって教会ですかね?」
ガウラの声を聞いて、俺はハッと我に返った。
「これ………結婚式をしてるぞ!」
「うぇぇ!? 何か聖女ちゃんウエディングドレス着てるんですけど…」
「ま、まさか……人妻…?」
「いやまだギリ人妻じゃないです! 式の途中ですから! 今すぐに、さらいましょう!」
「そ、そんな事したら、絶対に嫌われるだろ?」
「言ってる場合ですか!今行かなきゃ他の人の妻になっちゃうんですよ!さらった後でいくらでも、土下座して拝み倒してモノにすれば良いんですから!」
「よ、よし分かった!」
「あっ! ちょっと待って! 魔王っぽさが足りないから、服は全身黒に変えて下さい。あと長めのマントも付けましょう。それから、ツノと羽があると魔族っぽいです。あー違う違う! ツノは両サイドで巻いてあるやつにして下さい。…うん! いい感じです! 俺は牙と尻尾を付けておきますね」
「で、では、ゲートを開くぞ?」
「了解です! 魔王様!」
グニャリと空間が歪み、牧師の隣にゲートが開く。
そして、ウエディングドレスをまとった彼女に向かってこう宣言したのだ。
「聖女よ、残念だったな。結婚式は中止だ」
次回は、アリス視点に戻ります。