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1 悲劇の花嫁

「聖女よ、残念だったな。結婚式は中止だ」


 漆黒の長い髪、鋭く光る金色の瞳、強力で凶悪な魔力をまとった男は美しく微笑みながらそう言った。


「魔族だ!魔族が現れたぞ!」


 泣き叫ぶ声、逃げ惑う人々。

 いくら魔族が相手とはいえ、通常ならもう少しまともに戦う事が出来たのかもしれない。

 まさか結婚式の最中に攻め込んでくるだなんて、誰も想像すらしなかったのだ。


 夫になるはずだったロイド様は、恐怖で腰を抜かしてしまったらしく、青い顔で地べたに座り込んだままだ。


「魔王様、援軍が来る前に引き上げましょう」


「そうだな。聖女をいただいて帰るとしよう」


 顔を隠していたベールはいつの間にか外れ、ウエディングドレスがフワリと揺れる。


 気付くと私は、魔王様と呼ばれる男の腕の中にいた。


「悪いが一緒に来てもらうぞ」

 甘みを含んだ優しい声が耳をくすぐる。


 グニャリと空間が歪むと、先程までの騒がしさが遠くに聞こえ、私達は静かに闇の中へと溶けていった。





「お前は、本当にグズでノロマな娘ね!」

 お義母様の怒鳴り声が屋敷中に響き渡る。

 私はギュッと目を閉じて、唇を噛んで下を向いた。


 お願い。早く終わって。

 家畜用のムチで叩かれた足は赤く腫れ上がって、じんわりと血が滲んでいる。

 どんなに辛くても絶対に逆らってはいけない。

 泣くのも声を上げるのもダメだ。

 少しでも歯向かっていると思われたら、もっと痛くて怖い事をされてしまうのだから。


 私は痛みに耐えながら昔の事を思い出す。


 あれは、6歳の誕生日を迎えて少し経った頃だった。

 雪解け水でドロドロになった地面をものともせずに、大きくて煌びやかな馬車がやって来た。

 子どもながらに、我が家には不釣り合いな馬車だと、その豪華さを不気味に感じたのを覚えている。


「 「おめでとうございます!アリスお嬢様っ!」」

 使用人達は誇らしげな顔で頭を下げ、両親は引きつった笑顔で「とても光栄な事だ」とつぶやいた。


 生まれたばかりの弟は、一番奥の部屋で寝かされていたので、最後に会う事は叶わなかった。

 その日は風が冷たかったから仕方がない。

 大切な跡取り息子が風邪を引いたら大変だものね。


 私は、遠縁の裕福なエルギン伯爵家に引き取られる事になったのだ。エルギン伯爵家の未来の嫁として。



「貴女のために言っているのよ?」

 お義母様は今日も頬をバラ色に染めながら、興奮した様子でムチを振り上げる。

 それは本当に私のためなの?

 お願い。早く終わって。

 私のための躾けの時間は、お義父様が亡くなってから長くなった気がする。


「アリス、どうか…許しておくれ……」

 病に伏せったお義父様が言った最後の言葉。

 まるで懺悔するみたいに涙を流し、痩せ細った震える指で私の手を握った。

 お義父様はとても優しい人だったけれど、裏を返せば誰にでも優しい人だったのだと思う。

 

 葬儀の最中にロイド様は私にささやいた。

「結局、父上は最後まで母上の言いなりだったな。僕はあんな夫婦にはなりたくない。アリスは素敵な妻になってくれるよね?」


 ロイド様が求める妻とは、喜んで全てを受け入れて、何でも言う事を聞く存在であって、もちろん妻は自分の意見なんて言ってはいけない。

 それが素敵な妻になるための絶対条件だ。


「苛烈な母上の相手は大変だと思うけれど、これは君の役目なんだよ?」

 傷だらけの私の足を見ながらロイド様は言った。


 どうやらお義母様は、自分よりも若くて立場の弱い娘を厳しく教育するのが生き甲斐らしい。

 私がこの屋敷に引き取られる以前は、お義母様付きのメイドがすぐ辞めてしまうので、新しい人を探すのにとても苦労したそうだ。


 お義父さまが亡くなって、ロイド様はエルギン伯爵家の当主になった。

 とは言え、ロイド様はほとんど家にいないので、実権を握っているのはお義母様だ。



「母上、僕はアザだらけの娘なんて、あまり抱く気にはなれないのですが…」


「大丈夫よ。この子はまだ婚姻を結べる歳ではないの。まだまだ教育が必要な年齢なのよ。私が、時間を掛けて立派な淑女に育て上げるから、もう少しお待ちなさい」


 お義母様はムチをしならせながら上品に笑った。


 私は将来、10歳年上のロイド様の妻となり子を産む道具となるために生かされている。


「少し出掛けてきますね」

 

「ロイド、娼館通いも程々にしなさいな」


「そうは言っても、私の未来の妻はまだ幼いのですよ。母上の方こそ、躾け過ぎて壊さないで下さいね?」

 ロイド様は軽く手を振って部屋を出て行った。


 お義父様が健在な頃は、伯爵夫人として最低限の振る舞いが出来るようにと、少しは勉強をさせてもらえたのだけれど、今はもう本を開く事すら許されない。

 何も教えてもらえないまま、何が悪いのかも分からないまま、怒鳴られて叩かれるのだ。


 ロイド様は、いつも見ているだけ。


 過去に助けてくれようとした使用人達は全員、お義母様の逆鱗に触れて解雇された。

 内緒でお菓子をくれた料理人も、悲しそうに笑うメイド長も、花の名前を教えてくれた庭師のお爺さんも。


 私は、これからずっと地獄のようなこの場所で生きていくのだろう。

 


「アリス、僕が欲しいのは従順な妻と跡取りだ」

 結婚式の前日に、ロイド様は優しく微笑んで私の足に奴隷の枷を付けた。


「これを手に入れるのに、ずいぶん金を掛けてしまったけど、君のために奮発したんだよ?」

 奴隷の枷とは人を言いなりにする魔道具で、今は使用も販売も禁止されている貴重な品らしい。


「病める時も健やかなる時も…」牧師様のおごそかな声が教会に響く。


 喜びの時も 悲しみの時も

 富める時も 貧しい時も

 愛し 敬い 慰め合い 共に助け合い

 その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?


 そんなものは誓えない。

 だけど「はい」と言う以外の選択肢はないのだ。

 奴隷の枷が、氷のように冷たく重く私の足をつかんで離してくれない。


 ロイド様が私のベールに手を伸ばす。

 穏やかに微笑むその顔は、恐ろしくておぞましい。

 私は、涙を堪えようとして強く唇を噛んだ。

 

 豪華な教会で高価なドレスを着て涙を流す新婦。

 何も知らない他人の目には、嬉し涙を流す幸せな花嫁に映るだろう。


 でも、そんなのは嫌だ。

 嬉しくて泣いていると勘違いされるなんて嫌だ。

 ロイド様に泣き顔を見せるのも嫌だ。


 だって彼は、私が泣いている顔が好きなんだもの。

 昔からそうだった。だから泣くものか。

 ロイド様もお義母様も、私が絶望して苦しむ姿を望んでいるのだ。思い通りになんてなりたくない。

 私は涙を堪えるために、強く強く唇を噛んだ。


 

「聖女よ、残念だったな。結婚式は中止だ」


 一瞬、神様が助けに来てくれたのかと思った。


 教会の空気がグニャリと歪み、強力で凶悪な魔力が私を包む。


 この美しい人は…………………………魔王様?


「悪いが一緒に来てもらうぞ」

 蠱惑的なささやきが柔らかに響く。


 ざわめく教会の中、ロイド様はガクガクと震えながら怯えた顔でこちらを見ていた。

 白騎士みたいな衣装に合わせて携えていた剣は、抜かれる事なく足元に転がっている。


 鉛のように重く感じたベールは床に落ち、ウエディングドレスは魔王様に寄り添うようにそっと広がる。


 地獄のような……この場所から出られるの?


 強力で凶悪で温かい魔力に優しく包まれた私は、静かに意識を手放した。

 


次回は、魔王視点での話です。

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