第3話
「全然動きがないね。見張りを始めてから3時間、人の出入りゼロ。」
栞は、メロンパンとパック牛乳を両手に、そう漏らした。
「何してるの。」
「張り込み。」
「そうじゃなくて。その両手。」
「張り込みと言えば、メロンパンと牛乳でしょ。」
いや、アンパンだ。
どうでもいいか。
「鳴鈴の分もあるけど、いる?」
「大丈夫。食べていいよ。」
「やった。じゃあ、もうらうねー。」
2つ目のメロンパンに手を伸ばし、封を開ける栞だった。
「それで、メーター類の方に動きはあった?」
電気メーターにガスメーター、水道メーター。
道路の向かいの廃ビルにある計器類は掌握済み。
「動きなし。この様子だと、昨日時点で引き払った可能性が高いかも。」
「もう、潜入してみる?」
「それがいいかもしれない。」
「わかった。ちょっと待ってて。」
気が付くと、さっき開けたばかりのメロンパンが無くなっていた。
まったく、能力の無駄遣いである。
「いいよ。準備オッケー。」
「じゃあ、お願い。」
栞が僕の肩に触れる。
周囲の時間が止まった。
2人だけが動ける世界で、行動を開始する。
× × ×
4階建ての廃ビルの2階、目的の部屋にたどり着く。
もぬけの殻だった。その部屋も、ビル自体も。
「誰もいないね。」
「やっぱり、引き払った後だったみたい。」
部屋の中を見回り、メガネ野郎の記憶で見たモニターとコンピューターを見つける。
僕が駆け寄った途端、栞が止めていたはずの時間が動きだした。
「どうしたの?栞。」
慌てて栞の方を振り返る。
その瞬間、腹部に痛みが走った。
「え?何?」
熱い。
腹部を抑えた手を見ると、血に染まっていた。
「鳴鈴!」
続けて2回、背中にも同じ感覚。
栞が切羽詰まった表情で駆け寄ってくる。
僕は膝から崩れ落ちるしかなかった。
「今すぐ止血するから。」
栞は僕の傷に手を被せ、傷口の時間を止めた。
「ありがとう。とりあえず大丈夫そうだよ。」
どうやら、ナイフか何かで刺されたらしい。
「良かった。」
「気を付けて。たぶん、昨日のイロハだ。でも、感知できなかった。」
「わかった。探ってみる。」
時間を止めて、イロハを探そうとした栞だったが、その場から弾き飛ばされる。
「何?」
「わかんない。止めたはずの時間の中に誰かいて、蹴り飛ばされた。」
状況を掴めずにいる僕と栞。
その目の前に、突如、2人の少女が姿を現した。
1人はイロハ、もう1人は昨日隠れていた人物だ。
「栞。左側の子、昨日の現場で隠れていた人物だよ。」
「あの子だ。あの子に蹴り飛ばされた。」
「じゃあ、栞と同じ類の能力を持ってるってことで間違いなさそうだね。頼める?」
「了解。まかせて!?」
急に両手を横に広げ、何かに押し潰されそうになり、それに抗うような体勢になる栞。
「マズい、これ。」
「どうしたの?」
「左の子、時間を止めようとしてる。」
なるほど、栞は時間が止まらないように抗っているのか。
「今、時間が止まると鳴鈴が危ない。」
それは、栞も同じだ。身動きが取れない栞をイロハが見逃すはずがない。
案の定、イロハが姿を消した。
僕は急いで首にかけていたヘッドホンを手に取り、スピーカー部分を1つ取り外す。
それを右手に、スピーカーが外側に向くように持った。
一夜漬けで考えた対策。通用するかは、わからない。
「栞、自分の耳周辺の時間を止めて。」
「わかった。」
僕はスピーカーに電気信号を流す。意識的に、波形が付くようにして。
スピーカーから音が出る。
瞬間的に音量を一気に上げる。
音が空気を震わし、衝撃波として感じるほどに。
多少改造してあるとはいえ、スピーカーの限界を優に超え、もう使い物にならない。
でも、イロハの居場所はわかった。
衝撃波でバランスを崩してぶつかったのか、柱の塗装が一部パラパラと不自然に落ちる。
もう1つのスピーカーも取り外し、右手に持った。
スピーカーを柱に向かって突き出す。
柱に届く前に、何かに当たって止まった。
「捕まえた。」
先程よりは小さいが、振動が伝わる音量で、継続的にイロハの身体に音を送り込む。
土人形。つまりは、土を固めて作った固形物。
それならば、振動に弱く、崩れるはずだ。
「頼む。効いてくれ。」
透明だったイロハが姿を現す。
スピーカーが当たっているのは、胸部。身体の中心。
イロハが右手に持ったナイフを振りかざす。
「鳴鈴!危ない!!」
もう1人と能力を拮抗させ、身動きが取れないながら、心配してくれている栞。
栞のためにも、早くイロハを片付けなければ。
音量を上げる。
振りかざした腕が下がる。それと同時に、イロハの胸部にひびが入った。
このまま押し切る!
甲高い音と共に、イロハの身体が砕け散る。
「成功だ。」
腹部の傷が痛み、その場に片膝をつく。
「鳴鈴!」
顔を上げると、栞の心配そうな視線とぶつかる。
同時に、もう1人が能力を解除したのか、止まりゆく時間から栞が解放される。
その隙に駆け寄ってくる栞。
しかし、もう1人が隠し持っていた銃を抜き、栞を狙っているのが見える。
「栞、後ろ!」
栞の手を引き、抱き寄せる。
銃声と共に、肩に強い痛みが走った。
「鳴鈴!どうして。」
「怪我は?」
「私は大丈夫。そんなことより、鳴鈴が。」
「大丈夫だよ。肩に当たっただけじゃないか。」
「待ってて、この傷も止血する。」
「大丈夫だから、栞は逃げて。」
「いや、逃げない。あいつは私が倒す。」
止血すると、僕ともう1人の間に立ちふさがるように、栞が立ち上がった。
「あんた、覚悟しなさい。」
もう1人は無言で栞に銃を向ける。
一方の栞は、どこに持っていたのか、刀身の無い刀の柄を握っていた。
見えない刀身をなぞるかのように左手を動かし、両手で柄を掴んで構える。
栞が技の名前を口にする。
「クロノ・スラッシュ。」
栞が切りかかった。
もう1人の敵は、銃を発砲しながら後退、栞の太刀筋をかわしている。
対する栞も弾丸が見えているのか、まだ1発も当たっていない。
それどころか、弾丸が宙に浮いて止まっている。
栞が見えない刀を振り、その太刀筋上にあった砂ぼこりも動かず宙で止まっている。
どうやら、栞が振る刀身の無い刀は、切り裂いたものの動きを止めるということらしい。
刀を振る度、時間の止まった空間が形成される。
あれに当たるとどうなるのだろうか。
そう考えていると、敵がリロードに気を取られ、止まった空間に背中からぶつかった。
後ろ歩きをして、壁や柱にぶつかったときのようなリアクション。
すかさず、栞が畳み掛ける。
「クロノス・ラッシュ!」
そう叫んで、刀を振り回し、何度も切りつける。
敵は刀身が通った部分を動かせなくなり、空間に釘付けにされていた。
敵の手から無理矢理銃を奪う栞。
勝負は決したかと思ったが、敵が強硬な手段に出た。
自らの身体を破壊し、釘付けにされた空間から脱出を図っている。
一度切り離した箇所も再びくっついて、元に戻っている。
だが、どうやら、直接刀身が通った箇所は、空間に止められたままらしい。
残骸が宙に浮き、当の本人は、減った体積の分、身体が小さくなり、どこか幼くなった。
「栞、胸だ。胸を破壊すれば、再生ができなくなると思う。」
さっきのイロハは再生せずに身体が崩壊した。
攻撃が直接当たっていたのは胸の中心。
そこが弱点ということだろう。
栞は既に次の攻撃に移っていた。
「クロノ・スペース。」
栞が消えたと思った瞬間、栞の分身が部屋じゅうに現れた。
ざっと数えて20を超えている。
その1人1人が、それぞれ別の動きでスローモーションに銃を構える動作をしている。
どれか1人が本物というわけではなさそう。
全てが本物で、能力で光の進む速度を調整し、分身のように見せているようだ。
残像というべきか。
夜空に浮かぶ星と同じで、過去の姿を見せている。それで宇宙、スペースと。
「クロノス・ペース!」
どこからともなく栞の声が聞こえ、残像が一斉に動き出す。
その半数ほどから実際に弾丸が発射された。
四方八方から敵の胸を貫く。
胸を砕かれた敵は、そのまま崩れ落ちた。
「やった。鳴鈴、やったよ!」
「すごかったよ。おかげで助かった。」
「いえーい!」
栞のハイタッチに応える。
「痛っ。」
「あっ、ゴメン。」
申し訳なさそうな顔をする栞。
「大丈夫。それより栞、銃弾見えてたの?」
「あれ?あれはね、クロノ・スフィアの応用。」
「あのバリアみたいな、中心の栞に近づくほど動きが遅くなるやつ?」
「そう、それ。広げた領域に何か入ってくれば感じ取れるから、その感覚を使ったの。」
「なるほど。」
「それより、早く病院行かないと。」
「待って、本来の目的を忘れてる。」
僕はモニターの方を指し示した。
栞の肩を借り、モニターの方に歩いていく。
起動してみるが、やはりデータは消されていた。
「どうする?」
「復元できそうか試してみる。」
モニター横のコンピューターに電流を流し、クラッキングを試みる。
ひとまず成功した。
保存領域を探ってみると、データの残骸が見つかった。
「行けるかも。」
簡単に復元できそうなものを選び、復元してみる。
モニターに、何やら資料の表紙のようなものが表示された。
栞が読み上げる。
「プロジェクト…、クレイドール・クレイドル?」
クレイマンが企んでいる計画だろうか。
急に身体から力が抜け、片膝をついてしまう。
「大丈夫?やっぱ、早く病院に行こう。」
「そうだね。ちょっと待ってて、復元できそうなデータをコピーするから。」
僕はコンピューターに記憶媒体を差し込み、データのコピーを開始した。
データを選りすぐり、記憶媒体に移していく。
「終わった。行こう。」
栞の肩を借り、部屋を後にした。