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目を閉じるとエンジンの音が聞こえる

作者: 人間様

 時折、唐突に生きるのをやめたくなる瞬間がある。特別死にたいだとか、そういったものでは全く無くて、ただ本当に、人生を一時停止したくなる。多分それは、僕が僕という存在として生きることに対して執着していなくて、あらゆる現実の事象に対して第三者であることを望んでいて、それでいて、自分の人生として等身大に出来事に直面することに疲れてしまって、そうして僕は自分の人生にモチベーションを見い出せなくなってしまうのだ。例えばそれがネガティブなものでなかったとしても。

 一番の幸いは、もしくは別の視点で捉えれば不幸かもしれないが、兎に角僕は、特別死にたくなる理由を持っていないことだ。何か嫌なことがあったとしても、僕の価値観は、世界がそこまで残酷だと思っていないので、嫌な面においては自分の存在を消去したくなるものの、それが他の面には及ばないのだ。そもそも嫌なことにあまり直面しないし、擬似的な孤立を味わうこともない。結局僕はまだ、大人ではないことの利点を大きく活かして、自分の人生に対する責任を過大評価していない。今のうちは、頑張らなくても肉体的に生かしてくれる人達がいるし、その人達は僕が大それた悪党にならない限り愛してくれると知っている。嫌なことがあったら逃げればいい。多分僕は、同じ精神性を持ち、同じ環境にいる限り、対外的要因によって死なない。僕は唯一、僕の思考だけによって深く傷つく。

 それはきっと、この生ぬるい環境による弊害なのかもしれない。僕はもう、精神を病むことを半分くらい楽しんでいるし、現実の出来事を軽視してしまっている。守られている状態での僕の現実に対するモチベーションは、現実に対する興味のみになってしまった。危機感だとか、現実の進退だとか、多分全部頭でしか理解していなくて、感情ではどうせなんとかなると思っている。ある種ゲーム的な感覚で、この現実に立ち向かっている。ただ、頭ではこの理屈がいつか感覚として襲ってくることを理解しているし、多少なりとも興味の向く現実は存在する。でもやっぱり、疲れるときは疲れるし、出来ることならこの現実から義務を消し去りたいと思っている。幽霊みたいに彷徨って、そうして色んな人の人生を覗き見て、時には自分に視点を向けて、精神を病んでしまっても半年後には成長の糧となっている。そんな人生を生きたい。

 分かっている。殆どの人は前向きな理由で何かを頑張っているわけじゃない。人生どう生きたいとか、そういうのはきっと自分に言い聞かせているだけの名目上のモチベーションで、彼らを一番動かしているのは常識という名の慣れから来る危機感だ。もしくは、もっと小手先のデメリット。彼らは、働かなければ生きていけないと思っている。でも、矜持を捨てて、生活保護でも受ければ現代日本では働かなくても生きていける。人生が本来そうであるとかそういう話ではない。彼らが生活保護の存在を知らないなんてそうは思っていない。多分、彼らは自らの歩んできた人生で形成された常識という価値観によって、全くその選択肢を除外してしまっている。逃げていい限界点を、自らの価値観によって決めてしまっている。それを悪いことだなんて言わないし、言えない。実際彼らがまともたる所以の最たる要因はこれだし、そういう人達によって作られる社会に生かされている僕は、それを否定しようなんてできっこない。無責任でいいなら、醜くていいなら、誰だって人生を捨てやしない。

 こうやって、精神の世界から無責任に他人を俯瞰できることが僕のある種の長所だけど、僕にも現実に直面することを強制される瞬間がある。それは決して、このまま引きこもっていれば将来生きていけないとか、そういうまだ直面していない先送りに出来る問題ではなく、もっと根幹的で単純な理由。

 目を閉じて、胸に手を当てる。しばらく何も考えないと、心臓の鼓動を感じれる。そして、そうやって直に感じた心臓は、普段よりも圧倒的にもろく感じてきて、心臓が止まることを想像してしまう。あるいは、自らで想像したっていい。きっと、そうやって現実の一切を遮断しないと認識もできないくらい、根幹にあるもの。僕にとっては、僕を強く現実に引き戻してくれるもの。多くの人にとっては、忘れていた、人生において逃げれる最終ポイント。生きる理由なんて、死ぬのが怖いからってだけでもいいと思う。

 責任は、人生に架空の重さを感じさせる。捨てるときは全部捨てないといけないって、そう思わせる。でも、本来僕らが人生において果たすべき義務は、ただ一つ、その心臓を動かし続けることだけだ。肉付けされた命に対する責任を、一回捨てたって、もう一度社会性を取り戻すことは出来る。死んでなければ。

 要素を増やした人生の全てに責任を果たし続けるのは、多分思っているよりも難しいことだ。きっとそれは、死ぬのが怖いからとかでまかなえるものじゃなくて、生まれた瞬間に付与されているにしては重すぎるのだ。一回立ち戻ってみて、命ただ一つになったその時、きっと物事は相当軽くなっている。勿論、軽いなりに頑張る理由は自分で作らないといけない。でも、現実に対する興味を架空の責任以外に自分で見出すのは相当難しい。だからそれまで、ただ命に対する責任を果たし続けるだけでも、きっと許されると思う。

 拝啓、今苦しいあなたへ。無責任な人間より。死にたいときは目を閉じて胸に手を当てよう。それだけが君の義務だ。

宝くじあたったら、もっと考える時間が増えるかな?

もし義務から開放されるなら、私は色んな人の話を聞いて回って、そうしてそれを小説に起こして、そうやって生きていきたいです。

ご完読ありがとうございました。ぜひ次回作もご一読ください。

それでは。

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