第76話 代償③
同時刻、ゴールデンゲートブリッジ深層、上域、天空大広間。無数の真っ赤な鉄骨が古代神殿のように連なり、歪な祭祀場とでもいうべき空間を作っている。そこは上空1000m以上。極地の深きは、探検家に牙をむき続けている。
定義構築、空間支配によって一定領域の98%を支配したサリンジャーだったが、その相手が悪かった。
「抗うな。隷属しろ」
冷たく、鋭くそう言った女性は手を動かし空間を切り裂いた。敵が使うはアーツ《幾何》、その能は空間の操作。名を──贋作ヴァニタス。
空間の支配が効かないと理解したサリンジャーは大鎌を取り出す。
「ったく。どいつもこいつも人のアーツをメタりやがって」
サリンジャーは大鎌を全身で回しながら速度をつけ、贋作ヴァニタスの元へ往く。
「こちとら、これだけで13年やって来てんだよッ!」
大鎌結薙は動かない贋作ヴァニタスの身体を正確に捉えた。だが、贋作ヴァニタスはたった一度目を動かすのみだった。そしてそれは空間を捻じ曲げた。大鎌は空間ごと切り取られ、その余波でサリンジャーの身体は数十m吹き飛ばされる。
ラウラでさえ壊せない逆理遺物が、アーツによって破壊された。サリンジャーはそこで理解する。この敵はロアと近しい何か、理を作る側だと。
「もういい。そこを退け」
より深層で魔眼ダークロードを回収した贋作ヴァニタスの仕事は、殲滅ではなく、魔鍵《ラプラスの撃鐘》の回収だった。だが、その行く手を阻んだのがミッドナイト小隊。
彼ら彼女らは、その必死の天空作戦を、終わらせたつもりはない。魔鍵を守り、ファントムを捕らえる。それが小隊の任務だった。
「(人間とは愚かだな──)」
行こうとする贋作ヴァニタスの道を、ポンド、デルタ、ファティマの3人が阻む。
贋作ヴァニタスはその羽虫が気に入らなかった。その場で空間を横にずらし、3人の半身をズタズタに引き裂くことも出来た。その命は、ヴァニタスにとってあまりに軽い。
しかし、偽典ネグエルがあくまで積極的には殺しをしない理由というものが引っかかっていた。天使の様な見た目をした顔のない男は、過去にこう言っていた。
──死ぬことよりも恐ろしいことが何か知っていますか?
偽典ネグエルはその「恐ろしいこと」を避けるために、主義を掲げていた。それが一体何なのか、贋作ヴァニタスはまだ知らない。
「よお、あんた美人だな。オレと一杯飲まないか?」
ポンドは先の戦闘で傷を負った腕から多量の血液を流しながら、軽口をたたいた。当然ヴァニタスはそんなものには答えない。
「冷たいなぁ、旅団の女子はもっとちゃんと軽蔑してくれるのにさー」
ポンドは後ろ手にサリンジャーの折れた大鎌の歯を持っていた。それを身体と同期させ、体内を移動させる。舌先に達する。
「──オレ、ちゃんと会話できないやつ、嫌いなんだよねッ」
不意打ちなら、とポンドは考えた。
べぇっと、舌を出したポンド。彼の舌から、結薙の刃先が、弾丸のごとく──。
射出された瞬間に空間が歪み、刃先のベクトルが変わる。その弾丸はデルタの太ももに突き刺さる。
「ぎゃっ──ッ!」
「デルタ!」──傷は深い。
「(あまりにも、弱い)」
贋作ヴァニタスは、その羽虫をあまりにも儚い命だと思った。幼少に、命を大事にしろと教えられたことがある。だが、それを説いた人間は自分を残しあっけなく死んだ。生とは無慈悲なもの。世界は理不尽でできている。贋作ヴァニタスはただそう感じた。
ぎりっと奥歯を噛みしめたファティマは、自らのアーツを解放すべきか悩んだ。使えば贋作ヴァニタスなど一瞬で屠れるだろう。だが、その後はどうなる。彼女は爪が食い込み、血がにじむほど拳を握った。
そのとき、隣を誰かが歩いた。立ち上がったサリンジャーだ。
彼女はファティマの頭を軽く撫で「使わなくていい」と呟いた。
「でもこの状況を……──まて、おい、まさか、やめろ!」
ファティマが一瞬で至った考えは、正鵠を射ていた。
サリンジャーは結薙の破片を拾い上げ、静かに腕に文字を刻み始める。より上位の定義を。
「(……──)」
贋作ヴァニタスは不思議に思った。なぜ立ち上がるのか。絶望を、なぜしない。絶望はとても楽だ。自分を憐れむことが出来れば、強くある必要もない。弱き者はそうして身を守る。だが、この羽虫はそうしない。それはなぜだろう、わからない。
「不思議そうな顔するなよ贋作。探検家ってのは、どうしようもなく最後まで足掻くんだ」
定義は書き終わる。サリンジャーは誰かに向けて言う。
「《定義》、今回の契約は直接やろう」
その声に答えたのはもうひとりの彼女だ。
『禁酒定義まで使ったのに、それ以上の何かが欲しいのかよ』
「そうだ。お前とアタシの仲だ。いいだろ?」
『内容次第ってとこだな。払えるのならそれでいい』
精神の内側にいる定義サリンジャーは、サリンジャーの呼び声に応じた。
「なら、──ラウラが来るまで極地の時間を止めてくれ。できるか?」
ファティマはかっと目を見開いた。
「そンな具体的な契約をするなンて! やめろ、サリンジャーッ!!」
少女の叫びは届かない。
『できるよ。じゃあ、代償は片方の肺だ。譲歩はしない』
「──ああ、もってけ」
にやりと笑った定義サリンジャーはその《定義》を実行に移す──。
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