第60話 英雄①
──朝。
重力津波の第二波がポップコーンの張った巨大なシールドによって防がれてから約6時間が経過した。
黎明旅団は中央食堂と南部食堂を解放し、海岸に多くの避難所を仮設した。不幸中の幸い、20mの対重力防波堤が身を挺して第一波を弱めたおかげで死者は出なかった。それでもその後に発生した火災によって、重軽傷者は増える一方。旅団は全勢力を挙げ、その解決に向かった。
重力津波はオラシオンの大地では珍しいことではない。ノルニルが引き起こす自然災害だ。それでもある程度の周期や予測はある。今回のマグニチュード8クラスの重力津波であれば、観測器によって事前に捕捉できたはずだった。だがそれは唐突に、何の前触れもなく起きた。
そんなことが果たして人為的でない方法によって起きるだろうか。──否。
事実、その重力津波はシンジケートが起こしたものだった。
その事実はロサンゼルス北部で被害を受けた、黎明旅団第5支部隊員の心を焼いた。
焼け野原となった故郷を《叡智》のソフィアはただ見下ろしていた。
「ソフィア。震源はやはりゴールデンゲートブリッジのようです」
《叡智》のソフィアの側近である幹部のアルプスは、ラウラが持ち帰った情報を彼女に伝えた。あの晩の重力津波は、ラウラを以てしても食い止めることが出来なかった。
「そう……。──。ありがとう……。──。アルプス……。──」
アルプスはソフィアのその極めてゆっくりとした話し方には慣れていた。
黎明旅団第5支部支部長、戦略級──《叡智》のソフィア。操りしは《賢人》と《神速》。
彼女の思考速度はふたつのアーツによって、常人を遥かに凌駕する。《賢人》は同時並行で9つの物事を考えさせ、《神速》は彼女の存在を半タキオン化しあらゆることの速度を亜光速にする。故に、彼女の口は思考に追い付いていないのだ。
しかし探検家としての腕は一流で、普段は極地の底で生活をしている。近頃は難関極地にも数えられるイエローストーンに2年半潜っていた。その異常性は周囲との軋轢を生んだこともあるが、彼女についてゆく第5支部の人間は皆彼女のことが好きだ。そして、彼女の持ち帰る調査結果は、いままで多くの発見を学会にもたらした。
「やあ、ソフィア。これ使いなよ」うしろから来たラウラはソフィアの隣に座る。
《叡智》のソフィアは探検以外に興味のない冷徹な人間とよく言われる。実際、彼女が表情を動かしたのを見た者はいないし、言葉も淡々としている。
だがそれは感情が、速すぎる思考に追いつけないだけなのだ。ソフィアの頬に伝う涙を、ラウラのハンカチが拭った。
「『極地にて待つ』か。舐められたもんだね」
「第5支部が……。──。なぜ北部に建てられて、いるか……。──。知っている──?」
ラウラは答えずにその跡地を見た。
「極地から……。──。人民を守る……。──。為なのよ……。──」
ロサンゼルス北部に建てられた第5支部はその役割を果たした。それでもソフィアは、自分が間に合っていればと悔いた。
重力津波が発生した直後に振動を感じ取り、自らを半タキオン化して、ロサンゼルス北部の全住民20万人をその亜光速で助け出した。それが精いっぱいだったと彼女は言った。
「それでもお前はよくやったよソフィア。残りの人も、誰も死んじゃいない。セナも治療中だ。うちの子らが今手術室で頑張ってる」
極地の底では時間が狂う。底に長くいれば、地上の6時間を1分と誤認することさえある。長く極地で暮らす彼女はもうただの19歳ではない。だが、そう思っているのはソフィアだけだ。ラウラは彼女をたった19歳の少女としか思っておらず、その肩に乗るものが彼女に対してどれだけ重すぎるのかということも知っていた。
だが、悔しいという思いは、ソフィアだけのものではなかった。ソフィアに全てを背負わせてしまったとアルプスは悔やむ。アルプスの同僚も、後輩も、先輩も、第5支部は彼女の心のもとに団結した。そして、それを知っているソフィアは顔を上げる。
徐に立ち上がったソフィアは、海岸の高台から避難した人々と、旅団員の方へと向かう。あの時、自身を犠牲にして街を火の手から守った若い旅団員の少女のことを胸に抱いて。ラウラは背を支え、下がる。皆が顔を上げてソフィアを見た。
「我々は。──。誰にも屈しない。──。決して……。──。──決して、屈しない」
まだ年端のいかない少女の言葉を、ロサンゼルスの市民は受け止めた。そしてこみ上げる様々な思いを表した。
人々はそれを言葉にしなかった。自分たちの使う言葉は、ソフィアにとっては遅すぎると知っているから。
市民は、叡智のソフィアと自身を犠牲にしたセナというふたりの英雄に向けて、拳を突き上げた。ひとり、またひとり。そこに市民や旅団員、老若男女、貧富、人種という隔たりはない。人々は、決して屈服しないという鉄の意思を、拳に込めて、挙げた。
民衆の静かなる意志を受け、そしてソフィアは、最速を求め、計算を始めた──。
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