第46話 疑義③
25時を少し過ぎた頃、ロアは中央エレベーターホールに向かい、そのまま地上階に行ってデッキに出た。
まだ太ももが痛むので杖をつきながらだったが、サリンジャーが無理を通して行った《定義》のおかげで、激痛はひいていた。
夏の夜空は、気持ちがよかった。暑さはなく、適度に風が吹く。空に2つある月が美しく輝き、デネブ、アルタイル、ベガは本で読んだ通り、大三角を作っていた。アマハラに伝わるベガとアルタイルの物語をデルタはとても気に入ってくれた。
ロアは本を読むのが好きなことに最近気が付いた。ポンドはそれを勤勉だとほめてくれたが、単に物語やお話を読んで、その世界に身を浸すのが好きなのだと思う。
それでも、彼がいつかの日に白い街でみた本は、図書館のどこにもなかった。
ロアは前から読もうと思っていた『ドリアン・グレイの肖像』を抱え、甲板にきた。エルゴーの極地で見つかった遺物で、初版本らしい。
金曜日は酒を飲んだあと、涼みたいために甲板に来る隊員がよくいる。そこでサッカーをする者もいれば、詩歌管弦に興じるものもいる。その心地よい喧騒が、読書には最適だとロアは感じていた。
デッキ北部、秋葉原の街が見える。対重力津波用の都市構造で、秋葉原摩天楼がそびえるが、ここほど高い建物が密集するのも、オラシオンの大地では珍しいとのこと。
ロアは良きところを見つけて座る。背を預けた壁が、ひんやりとして気持ちいい。しばらく読み進め、すこしまぶたが重くなってくる。よく考えれば、ここしばらくしっかりとした睡眠をとれていない。
少し横になろうかと思ったとき、突然、膝にブランケットがかけられる。そのブランケットを持ってきた人を見上げる。いつだって唐突に現れるのは──ラウラだ。
彼女はプラウディテウイスキーのボトルと2つのグラスを持っていた。
「やあ、ロア。良い夜だね」
「こんばんは、ラウラ。良い夜だ」
目線が合い、ラウラは何を言うでもなくグラスを片方ロアに渡す。ロアもそれを受け取って、ラウラが注いでくれる間待っていた。
「これは?」ロアはウイスキーのことを聞いた。
「ポップコーンのやつが禁酒健康増進ウィークをするってうるさいからそれへの反抗」
「毛布は?」
「ポップコーン愛用のブランケットを強奪した。あいつこれがないと寝られないんだ。禁酒への反抗」
残酷すぎる……。ロアはあの幼女──小さな医師がパジャマで泣いている姿を想像してただただ可哀そうに思った。
「ま、あいつは割と丈夫だからしばらく寝なくても大丈夫だよ」
「ほんとに寝られないんだ……。返してあげなよ……。そもそもラウラは毎日飲む習慣もないだろ?」
「それはそうだが、私は誰かに何かを禁止されるのが、あまり好きじゃないんだ」
ラウラらしい言葉だ。これを飲んだら返しに行ってあげようとロアは思った。
「オスカーワイルドか。趣味がいい」
ラウラはロアの持っていた本を見る。
ロアはまた本を見る。遺物『The Picture of Dorian Gray──Oscar Wilde』。表記も著者名も統一言語ではない。
──英語の発音を知っている人間を信じるな、か。
「……ラウラ。なぜ英語を発音できるんだ。この世界では、英語は死んだ言葉だろ」
古シナル祖語、大断裂以前の人類が使用した国や地域によって不統一の言語群。それを簡単に使うラウラ・アイゼンバーグという人間。思えば初めて会った時も、彼女は確かに英語を話していた。
偽典ネグエルは英語を話す人間を信じるなとそう言っていた。
「はは、もしかして罠にかけようと思ってたの?」
「今日ここに来るとは知らなかったけど。……あなたと会ったとき、反応を見ようと思っていたんだ。ラウラ、あなたはいったい何を知っていて、何を隠しているんだ。ユンを拾ったのもあなたなんだろ? なぜ知っているのに話さない、なんで、隠すんだ……」
ラウラはロアが膝にかけたブランケットの半分を自分の足にかけ、並んで座る。
「君と同じ理由さ」
ロアは少し胸が痛んだ。
「君はその言葉を自分に向けているんだろう。きっと、嘘を言ったのが後ろめたいんだ」
そして、どこから取り出したのかチェスセットをふたりの間に置いた。ラウラは微笑む。
「ロア。君が勝ったら、君の言うことをなんでもひとつ聞いてあげよう」
ロアはチェス盤に触れる。ルールは知っている。
「なんでも?」
「ああ、なんでもさ。私のスリーサイズだって教えてもいいよ」
ロアは少し考えてから、ふっと笑って、駒を並べ始めた。
「そっか、そうだな」
「?」
「……僕はセナに今日嘘をついたんだ」
「へえ」
「セナも《紅蓮》のことで僕に隠していることがある。ユンも隠し事をしていたし、あなたも皆に嘘をついている。でも、みんなそうだ。誰もが嘘をつき、世界は嘘で回ってる」
ラウラは駒を並べながらグラスを傾けた。
「でもきっと全ての真実にはに知るべき時がある。その時を待つ必要もある。それでも知りたいのなら、力づくで勝ち取ればいい。それが探検家だ。……心理戦なんてもとから柄じゃない。ラウラ、さあ、勝負だ」
「ぶっ」
ロアの言葉にラウラは酒を吹く。
「──ひーははは、ごほ、ごほ。もやしみたいな君が力づくか。……気に入った」
ラウラはクイーンを所定の位置に置いた。
「……面白い子だ。やっぱり君には話すよ。私の知る全てを。でも君の言う通りそれは今日じゃない。いつか、その時が来たら、ね。だからそう易々とファントムの甘言に耳を貸しちゃだめだ。ちゃんと自律しなさい。約束だ」
ラウラは薬指でロアのおでこをぴんとはじく。そして彼女は本題を告げた。
「君を私直属の記録官にする。君のことはもうただの餌だとは思わない。本気は受け取ったよ探検家」
不思議そうにラウラを見つめるロアと、ロアを見つめ返すラウラ。そのあと、彼女はゆっくりと懐かしむように星空を見上げた。
「それでも一つ零すとすればそうだね……私は嘘つきなんだ。何もかもが嘘で塗り固められている」
そしてポーンは動いた。
「僕は信じたい物を信じるよ。たとえそれが愚かでも」
ラウラはグラスを傾けた。
「ふふ。その愚かさは、探検家の性なのかもね──」
夏の夜は、盤上で交わされるふたりだけの会話を静けさと共に見守っていた。
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