第43話 偽典③
『はっきりさせましょう。私は人類の敵ですよ、ミスターロア。勘違いなさらぬよう』
きっと誰かの心から生まれたファントムは、心無く、心からそう言った。
「敵──」
『……しかしあなたは何かの鍵だ。今はその鍵穴を探している途中です。錠が見つかればまたあなたが必要になるでしょう。シンジケートは差別をしないことを信条としています。いつでもお待ちしていますよ』
ロアは口汚くネグエルを罵った。だが、ネグエルは我関せずと別な話を始める。
『ひとつお話をしましょう。真理の話です。あなたは多元宇宙論をご存じですか』
答えないロア。
『世界はこの世界だけではない。いくつもの可能性が生まれては消えを泡沫のように繰り返しています。それは誰かの選択の結果として行われている。そしてそれは真です』
偽典ネグエルの声は変わらず平坦だ。
『では、それは誰の選択に因るのでしょうか。いったい誰の選択を参照している?』
わざとらしい話し方には反吐が出た。
『ここですよ。この世界線ROOT-01。誰かが朝食に林檎ではなく檸檬を取った時、林檎を選んだ世界線は弾けて消える。その唯一の参照元が、この世界線なのです』
ロアは目線を上げ、疑念を向けた。
「いったい何の話だ……?」
『今は世界の真理の話をしているんですよ』
偽典ネグエルはロアの太ももに刺さった光を引き抜いた。ロアは痛みに叫ぶ。ネグエルは気にせず血を払って成形する。ホログラムの様に形を作り出す光。
それは単純な樹形図だった。
『これが宇宙です。樹の幹はこの世界線ROOT-01。枝葉は別の世界。全てのファントムの故郷です。ファントムとは虚構でも偽物でもない。ただ本物に選ばれなかっただけだ。ファントムとは、実在する別の世界の自分のことですよ、ミスター』
「わけが、わか……」
灰塵ローレライの言葉を思いだす。
『私は煤に汚れた街の路地で産まれ、母親の乳も知らずに、気が付けば労働を強いられていた。なんで私ばかり。何が違うの? 本物も偽物もないのなら、私がそこにいてもいいじゃないかっ!』
そのつながりに気が付きはっとするロアを見ていた偽典ネグエルは見えない口を開いた。
『ROOT-89の世界でローレライは生まれました。産業革命期のアンテケリア。ストリートチルドレンだった彼女は妹弟を養うためにたった7歳のころから厳しい肉体労働をしてきました。14歳になったとき借金が膨らみ、身売りを余儀なくされました。そして全てを失ったとき、彼女は街の全てを文字通り灰塵に帰したのです。その砂漠を歩いていた彼女を私が拾った。そしてこの世界へ来たのです』
「……そんな話を信じると思うのか」
『あなたが信じるかは関係ありません。我々は鍵がなくとも「不履行」は起こします』
そう言って偽典ネグエルは懐から古めかしい鍵を取り出した。複雑な縞模様が特徴的な銀色の鍵だ。
『私はこの《シュレディンガーの銀鍵》でありとあらゆる世界を巡りました。その結果たどり着いたのが、この傲慢で停滞したオリジナルの世界です。この世界がある限り、他の世界に起きる理不尽は避けられない。──シンジケートは遍く多重平行世界を守る為に作ったのです』
「何を言ってるんだ……」
『全ての願いを叶えるという場所シャンバラへ向かう。そしてこのROOT-01を元からなかったことにする。そうすれば、全ての無為になった世界線たちは解放される。それが私の最終目標、不履行ですよ』
ネグエルは徐に立ち上がった。そしてロアの太ももの傷に指を挿す。
『そのシャンバラへの手掛かりがあなたなんです。ローレライは急いで説明を省いたようですが、私があなたをシンジケートに迎えようとした理由を教えましょう。なぜあなたなのか。それは他のどの世界にも、あなただけがいないからだ』
ロアは苦痛に耐えながら、ネグエルが垂れ流す情報を逃さないようにした。
『数多ある宇宙群にたったひとりのあなたが、きっと鍵になる。その時がまだ来ていないだけで』
「僕は手伝ったり……しない」
『ええ、ですからそのつもりで来たわけではないのです。敵役が意味もなく己が思想を語るでしょうか。いいえ。あなたに世界の真実を伝えたのは、ただ疑念の種を植える為です。──信じてもらう必要はない。ただ疑え。二度勧誘はしない。心向きが変わったら、自らの意思でこちらへ来い。我々は拒まない』
口調と声色が変わり、偽典は冷徹さを見せる。
「本当に僕が行くとでも思うのか──」
『ええ、思います。では、あなたはこれからも信じられますか、この世界の真理を知っているにも関わらず、誰にも明かしていないラウラ・アイゼンバーグという化け物を』
──ラウラ……?
偽典ネグエルは立ち上がりさっと腕を振る。すると地面に転がっていた、切断された腕が明滅して消え、それが光で出来た幻影だったことに気が付く。その斬られた腕は偽物だった。
『話を聞いていただく必要がありました故。この悪趣味なショー、誠に失礼しました。それと、目的地はアメリア、ロサンゼルスで問題ないとラウラ・アイゼンバーグにお伝えください。「鍵」に続き、ふたつ目の《魔鍵》を取りに行くとね。では、かの地で逢いましょう』
ネグエルはロアを置いて部屋を出ていく。耳元に冷たい声で言葉を残して。
『──忠告だ。この世界で英語の発音を知っている人間を、決して信用するな』
言って去ったネグエルへの憎悪は、どこか違う感情に置き換わっていた。それと共に激痛が戻ってくる。
だが、ロアはちょうど部屋に戻ってきた、カラメルポップコーンを抱えたデルタを見たところで、全ての不安がなくなり、安堵に落ちて気絶した。彼女は無事だった。
「よかっ──」
意識の最後に覚えていたのは、デルタが悲鳴をあげて、ポップコーンバケツを落とし、急ぎ通信チョーカーでLegionに向け、救援要請を叫んだところだった。
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