第40話 玻璃③
渋谷大市場は渋谷準極地の上にある大きなマーケットである。
準極地とはノルニルが自然に生成されていない極地のことを指し、通常の極地に比べ危険性はぐっと下がる。
どころか、一般人の生活区画も存在するため、極地という語を当てるのも正しいのか否かは学会でも意見が分かれる。
セナと出店をまわった区域はやや観光客向けのきらいがあった。デルタがロアの服や様々なものを揃える為に案内したのはより深層のディープマーケットだった。
ロアはディープマーケットという言葉を聞いて少し不安になったが、到着してみればそんな不安は消えた。
広い地下空洞の左右に様々な店が立ち並び、陽気なアマハラ人──太平楽としていて、難しいことはあまり考えないようにしており、現状の生活に満足している働き者──がロアとデルタを迎えてくれた。
「おーい、デルタちゃん! 新しい映画のフィルムが耀国から届いたよ!」
「デルちゃ~ん! うちの肉今日安いんだけど寄ってく? コロッケつけるよ~」
ロアは人々に声をかけるたびにころころと表情を変えるデルタを見ていてなんだか楽しかった。
ここ数日、彼は中々気が抜ける日がなかった。特にサリンジャーとの訓練は、対人格闘と極地環境戦を想定したいくつかの厳しいものとなっていた。
彼は一目置かれる存在とはいえ、圧倒的に経験値がない。ロアとセナはそれを分かったうえでその溝を埋めようと努力した。
「ロア? どうしたの?」顔を覗き込むデルタ。
「ううん。君が楽しそうだったから、なんだかほっとしたんだ」
「ほっとしたの? そっか。良かったっ!」
ロアも彼女の無垢さを見習って、今日くらいはあまり難しいことを考えないようにしようと思った。
そのあとは、デルタが先導して、ロアをいろんな店に連れて行った。服屋に入ったところ、ロアはどうしようもなく──絶望的なほどに──色彩センスがないことが発覚した。さすがのデルタもそれには苦言を呈し、後には「全身クリスマスカラーになるとは……」と語っている。
とはいえそれを補佐するのがデルタの本日のミッションだったので、ロアは自分のセンスがないことを指摘され若干不服に思いつつもデルタにコーディネートを任せることにした。
デルタはロアの性格から無難にシャツが似合うと思っていたので、シーカーコートの下に着るシンプルなシャツを数点、動きやすいパンツを見繕いロアに着せた。
「こんなに装甲が薄くて大丈夫だろうか。やはり赤と緑、もしくは安全のために黄色と黒を」
「もーっ! 駄目だよそんなセナみたいなこと言って!」
ロアは「揃ってどうしようもない探検隊だな……」と思った。
服の一件を終えても、特にデルタの想いが変わることはなかった。一目ぼれの盲目さなのか、それが彼女にとっての初めての恋心だったからかは神のみぞ知ることだ。
それからロアに必要な日用品──ポンドとの同室生活を始めてからほとんどの品はポンドが知らぬ間に用意してくれていた──を買う為、日用品店を一通りめぐる。
デルタは買い物かごを持ってロアの隣を歩くとき、異様に心臓がどくどく言っているように感じた。彼女はと言えば、なんだかこれじゃ夫婦の買い物みたい──などとのぼせたことを考えていた。
それらの買い物を終えると、特に目的がなくなってしまった。でも、ふたりは直帰しようとは言わず、せっかくの機会なので楽しんでいくことにした。
ソフトクリームなるものを初めて食べたロアは感動し、デルタの方を向いて伝える。
「冷たくて……あまい。それにふわふわだ!」
「へへ。ここのお店はこの市場の黎明期からあるの。すっごい歴史なんだっ」
誇らしそうにするデルタ。ロアはそれをぺろりと食べてしまった。
次に入ったのはデルタ行きつけの服屋さん。デルタはロアに服の好みを訊いてみたが、センスがないと言っておいて……と呆れられる。
それでもデルタはロアの好みを知りたかったので無理やり選んでもらったりした。
店を出た後は雑貨屋に行きたいと言ったデルタに付き添ったロア。
デルタは「猫のモチーフが付いたアンクレット」か「うさぎのモチーフが付いたブレスレット」かで迷っていたが、ロアに訊くとうさぎがデルタに似合うというので、デルタはブレスレットにした。
お店を出ると、彼女はさっそくブレスレットを紙袋から出して左手首につけ、とても嬉しそうにしている。
デルタはとても楽しかった。なんで楽しいのだろうか、とか、なんで好きなんだろうと彼女はふと考えたりもした。でも、理由は特に見つからなかった。特別な理由がなくても好きなら、それは代替性がなくて、きっと素敵だ。デルタはそう思って、先を歩くロアを追った。
ロアはふと立ち止まって、今週公開の耀国映画最新作の看板を眺めた。ロアは何気なく、それが気になるとデルタに伝えた。
するとデルタは驚き、跳ねて、ロアに詰め寄った。
「映画っ……! すき?」
「や、見たことはないんだけど」
その勢いに若干圧されつつ、素直に「面白そうと思って」と答えるロア。
デルタは踵を返すとロアの手をひっつかんでフィルム屋に向かった。ロアはデルタに手をつながれてびっくりした。
デルタは大胆なことをしているということには気づかず、自分の趣味に興味を持ってくれたと、嬉しくなってしまっていた。
デルタは無類の映画好きである。極地で映画のフィルムを発見しては、それを持ち帰り、寝食を忘れて解読、修復作業をしたりする。
彼女の研究分野は生活に直結するものではないが、楽しみが乏しい旅団の中では、とてもありがたがられる。
そしてデルタは映画が好きな人のことも、大好きなのだ。好きな人が、大好きなものに興味を持ってくれた。それはなんて素敵なことなんだろう。
デルタはロアやセナが今何を目的に動いているのかを知らないわけではなかった。その真剣さも思いの強さも知っている。だから、あえてでしゃばるようなことはしなかった。この想いは、まだしばらく自分の中の宝箱にしまっておくのだ。
だが彼女はロアと一緒に街を走りながら思う。
──神様、それでも今日くらいは、今日一日だけでいいから、目をつむっててください。
デルタの心は今、きらきらと輝いている。今この瞬間が、今だ──!
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