第38話 玻璃①
頬がつつかれる。今日は訓練も勤務もないはず……。デルタはそう思いながらふにゃりとまぶたを開く。セナがこちらを覗いている。
「その毛布って何年物なんですか……?」
「ワインみたいに言わないで~っ」
身体にかかっていた毛布を顔まで引き上げるデルタ。セナはファントムの影響があって体温が異常に高い。そのせいで極度の暑がりだ。
だから彼女らの部屋は常に冷房がかけられており──そこまでは夏場なのでおかしいことでもないが──その設定温度は5度である。
「(いつかあたしは冷房で凍死するんだぁ……)」
設定温度5度の冷房を作ったのはマチネである。マチネとデルタは先輩後輩の仲だが、女の子らしい話ができる友人でもある──そのほとんどがマチネの色恋沙汰にまつわる流血事件の話──だが、この特注のクーラーを作ったことに関しては怒っていた。
そういうことがあり部屋は寒く、彼女は毛布にくるまっているのだ。
「朝からどうしたの……? ごはんならもうちょっとだけ寝かせてね……」
「いえいえ、ちょっとしたお願いがありまして」
セナはストレッチをしながら続ける。デルタはセナの方を向く。
「今日、渋谷大市場にロアの服や日用品を買いに行く約束をしていたんですが、ラウラ隊とサリンジャー隊の合同演習があるらしく、それを見学しに行きたいんです」
じゃ、と言って部屋を出ていこうとするセナの腕をがしりとつかんで叫ぶデルタ。
「ちょ、ちょ、ちょっとまって、なにが『じゃ』なの! なにも伝わってないよっ!?」
「え? つまり私の代わりに市場の案内をお願いしたいんです。ロアは……正午頃にはファティマと射撃演習場に居るはずです。お願いしますね、じゃ」
たったったと部屋を出て行ったセナ。ぽかんと置いてけぼりになるデルタ。赤毛の少女は、徐々に耳が朱に染まってゆく。それは寒さのせいではないのだ。
もちろんセナが気を利かせたわけではない。セナの性格は真面目かつ勤勉だがどこか大味な所がある、年頃の乙女の心の機微に気付けるほど繊細な感性はない。
「わ……わわ……ど、どうしよう。なに着てこうかな……」
びよんびよんと自由にはねた寝ぐせを手櫛で直しながら、部屋の寒さなど気にならないほど体温が高くなっていることに、デルタ自身はまだ気づいていない。
***
「は? 男の子とお出かけするときの服?」
サリンジャーは眉をひそめる。
「ちっ、違うよっ。ちょっと気になっただけなの」
ははーん、ロアだな。サリンジャーは勘が良い。だが大人としてあえてつつきはしない。とはいえサリンジャーとてまだ23歳。そういう話が気にならないわけでもない。
「でもさ、そういう相談ってアタシにするもんじゃなくないか……?」
ぼろぼろの旅団用支給服に、上は汚れたタンクトップのサリンジャー。
「うっ、確かに」
ラウラ隊との合同演習に備えて最終調整をするサリンジャー。彼女のタンクトップは少し透けて、背中に刻まれた刺青が見える。
それはおしゃれのためなどではなく、ありとあらゆる自己強化の《定義》だ。
彼女の能力ではインクが消えれば効力もなくなる。そのため、永続させたい定義を構築する際には身体に彫るのだ。
「ま、お前はまだロアとそんなに喋ったことないと思うが、アイツは妙なところに目ざとくて、当たり前のことに鈍感な節がある。あんまり気負わなくていいと思うぞ」
サリンジャーは露出した内太ももに万年筆で、今日使う予定の別の定義を書きながら言った。
「そっか……。でもやっぱり素敵なあたしを見てもらいたいな……あれ、あたしロアとデートするなんて一言も言ってないよ!?」
「アタシもデートなんて一言も言ってねぇよ……」
「あぐっ」
──かわいい後輩だ。サリンジャーは自分にはないところを多分にもつこの少女を愛おしく思う。そして、そういった普通の幸せが世界から失われないよう、それを奪う者との戦いにも決して負けられないと改めて思った。
「大人の尻拭いを子どもにさせるわけにゃいかねぇよな」
「え?」
デルタは不思議そうにサリンジャーを見上げる。サリンジャーはデルタの頭を撫でる。
「あ、そうだ。お前のファントムにでも相談してみたら?」
デルタのファントム《破脚》。彼女はファントムと比較的仲が良い。
「うん、相談してみたんだけど、恥ずかしがってぴゃーって隠れちゃって」
「そうだ……お前のファントム、人見知りだもんな……」
改めてこの艦にはろくに頼れる人間が居ないことをふたりは実感した。
お読みいただきありがとうございます!!!
続きが気になった方は☆☆☆☆☆からご評価いただけますと嬉しいです!!
毎日投稿もしていますので、是非ブックマークを!
ご意見・ご感想もお待ちしております!!