第03話 契約①
まぶしい。暖かな陽の光がロアのまぶたを包む。
草の香り、風の吹き抜ける感触。木の根元。
太い根と根の間に寝ていたらしい。
陽光は枝の間を縫ってロアの頬を撫でた。
ロアは目を覚まして頭を上げる。身体を起こすと、そこは大きな木が生えた、小高い丘の上だった。一面は草原で、ちらほらとかわいい花が咲いている。
「(ここはどこだろう。僕は確か──)」
砂浜での一件を思い出す。確か、セナだ。
きょろきょろと辺りを見回して彼女を探してみたが、いない。どころか誰もいない。
見えるのは、遠くに大きな艦船らしきもの。しかし陸上にあるのがロアには不思議だった。埋まっている?
いや、着陸しているというのが形容として正しい気がする。
彼は自分の手のひらを見てみる。なんてことない自分の手だ。でも、記憶がない。覚えているのは、彼女に旅に誘われたことだけ。
──そうだ、僕はまだちゃんと返事をしてない。
そのとき、木の葉が揺れる音と共に、軽い調子の女性の声がした。
「おーいっ、目が覚めたか、少年」
ロアは木に背を預けて座った。そして声がした方を向く。向こうからは背の高い女性がパンツスーツのポケットに手を突っ込んで歩いてきていた。
ジャケットをかけていない方の腕を、ロアの方に向けて軽く振って見せる。やがて彼女は目の前にやってくる。
吸い込まれるような瞳が特徴的だった。
「やあ」
ロアはぼうっと見つめた。恐ろしいほどに美しい人だと思った。どこか異質で鋭く、まるで氷像を見ているような感覚。しかしその人は柔らかく笑い、ロアは不思議な感覚に陥った。
「あなたは……?」
「人に問う前には、まず自分からだよ」
彼女が静かに促すと、ロアは一瞬びくっと固まってからゆっくり答える。
「ロア。それが名前。それ以外、何も覚えていないんだ」
ロアはそれでよかったのかと少し不安になるが、彼女はよろしいと笑って見せた。
「私はラウラ。ラウラ・アイゼンバーグ。単にラウラでいいよ」
ラウラが右手を軽く差し出したので、ロアも応じて握手する。酷く冷たい手だった。
「セナはアーツの反動で腕を痛めたみたいでね、検査中。で、ここは黎明旅団の所有している土地。奥に見えるでかい船が本艦さ。窮屈な病室よりこっちがいいと思って連れてきた」
ロアは彼が訊こうと思っていたことを先回りされ動揺した。
「はは、そう警戒するなよ少年。さあ、力を抜いて」
「あ、ああ……」
彼はそこで身体の筋肉が強張っていたことに気が付く。
「セナが君を担いで旅団まで連れてきたって聞いて、見に来た。当の君は気絶していたがね。ま、目が覚めて名前が言えるならそれで十全だ。それで」
ラウラはそこまで言い切ると、ロアの目の前に立ち、腰を曲げ、ロアの額に額を合わせた。
甘い花の香りが舞う。香水だろうか──。
ロアは何が起きたのかとパニックになった。至近距離で目と目が合う。目を覗かれているのか心を覗かれているのかわからない。まつげがまぶたに触れる。彼女は問う。
「──君は何者だ?」
真剣さを帯びた彼女の問いに、ロアは目を揺らす。身じろぎひとつ許されないような圧力。身体をのけぞらせることもできない。今はただ彼女の漆黒を見つめるのみ。
「……人に問う前に、まず自分からだ。そうだろう」
「ふぅん」
ロアの精一杯の反抗をいたく気に入ったラウラは、おでこを離してにやにや笑った。「私と目を合わせてまともに喋れる人間はそういないよ」とうそぶいて。
ラウラは曲げた腰を起こすと、すらりと長い足と背筋を伸ばし、ちょうど太陽に重なった。
「私はラウラ。黎明旅団第9支部、支部長ラウラ・アイゼンバーグ。階級は戦略級──」
烏の濡れ羽のような、真っ黒く短い髪の端がそよ風に揺れる。
「──世界最強の探検家さ」
***
ラウラの言葉の真意はとれなかったが、敵ではなかろうと思い、ロアは緊張を解いた。
「さ、自己紹介は済んだ。今度は君の番だ、謎多き少年」
自分の番になったが、彼はいったい何をラウラに提示しようかと悩んだ。彼には文字通り何もない。物の名前、概念、文法、そういったことはわかる。けれど、ロアの中には歴史がないのだ。
だからロアは静かにそう話し始めた。
「すまない。僕は本当に何も覚えていないんだ。空から落ちてきたこと、セナという少女に出会ったこと。僕の名前がロアだということ、そしてそれすら断言はできないこと。僕の中にはそれくらいしかないんだ」
そう言っているうちに自分がうつむいていることに気付くロア。
「──……1周目と違う」
今なんて? ロアはラウラのつぶやきに頭をあげた。彼女と目が合う。
ラウラは微笑んだ。
「人は何もかもを知っているのだと、いつも間違え続けている。真に知っていることは、実は何もないんだよ。かくいう私も何も知らない、君と同じ」
ロアは太陽をちょうど隠すラウラをそのまま見上げていた。
「知らないからこそ、人は探検するのさ。ならば、君はどうする?」
その問いかけは、ロアの中で固着していた何かを解いた。
そして彼は思い出す。ロアの中にはもうひとつある。確かなものが。
「旅に、でる」
「旅?」
ラウラはおかしそうに笑いながらそう問い返した。
「うん、あの子に、誘われたんだ。一緒に旅に出ようと」
そう言うと、ラウラは吹き出して笑った。何か変なこと言っただろうか。
「──っははは、はぁ。そっか、君じゃなきゃダメだったんだな」
ロアにはその言葉の意図はわからない。
「なら、旅立つと良い。その旅路を、私は見届けるとしよう」
ラウラはそう言って、腕を遠くに向け、指した。
「あの子にも言ってあげなさい。思いは言葉にしなきゃ伝わらないものさ」
その指の遠く先にはセナがいた。その隙に、耳元に唇を寄せたラウラが囁いた。
「──Even the darkest night will end and the sun will rise.」
「え?」
セナはロアのことを見つけると、大きく手を振って遠くからでも歯が見える程大きく口を開けて笑っていた。そして叫んだ。
「ロア~! 元気ですか~?」大きな声だ。
ロアはセナが近くまで駆けてくるのを待った、彼女は近くまで来ると、若干額に汗をかき、前髪が張り付いていた。彼女は聞くまでもなく元気そうだ。
「ああ、元気だよ。暑いな」
「ええ、暑いですね。もう夏ですから」セナは太陽をまぶしく見上げた。
つられてロアもそちらを見上げる。そして、もうそこにラウラがいないことに気が付いた。音もなく、いつのまに? ロアは戸惑ったが、今はそれよりも優先すべきことがあった。
ロアは腰に手を当てて空を見上げる彼女を見た。ズボンにタンクトップ、白と青のジャケットを腰に巻いて、濃紺の髪はポニーテールに縛ってある。セナはロアの視線に気が付く。
「セナ、僕は旅に出るよ」
ひゅっとセナは虚を突かれたように驚いた。ロアの碧眼は真剣だった。
「自分が何者なのか。知らないことを、知るために」
ロアは何も知らない。でも、それはみんな同じだ。人生は自分を知る為の長い旅路だと、会ったばかりのラウラに教えてもらった。ロアはそれがとても腑に落ちた。
そう、知らないなら、探せばいいのだ。……──でも、自分一人では、心もとない。
「君と行きたい。旅に出よう、セナ」
口を開けぼうっとしていたセナの目が徐々に潤っていく。
セナは努力の人だ。旅団の人間は皆、そんなこと知っていた。だからこそ、周囲はみな彼女とチームを組むことはできなかった。
名門オーブリー家の息女で努力家、でも自分よりも能力を使いこなせない。歪んだ環境は歪んだ思いを生んだ。それは周囲の弱さだった。
「私で──」
セナはそんな周りの弱さを責めることはなかった。それどこか、それをばねにしてより一層努力した。
それがもっと周囲を遠ざけた。セナはその事実を見ないようにした。
「私でいいんですか、ほんとに……」
でも、セナには仲間が必要だった。背中を託して、支えあって歩くための誰かが。
「僕を拾ったのは君じゃないか。責任取ってくれ」
少し茶化していうロアは、そっと手を差し出した。
もう一度誰かを信じてもいいのか、迷う。けれど、手は前に出た。
太陽光を乱反射させたのは汗か涙か、どっちなのだろうか。
「──行きましょう。な、長い旅になりますよ……!」
はにかむセナの笑顔は、小さな太陽のようにロアの目には映った。
握り返す温かい手を感じて、ふたりは契約を結んだ。
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