第02話 黎明②
──あれはなんだろう。
セナは海岸の方へ足を向ける。砂鉄の混じった砂を踏み、足跡をつけ、走り出す。
走り出した。
流れ星だと思った。でも違う。目を凝らした。それは人だ。
人が。
男の子が、空から降ってきた。
セナは走ったが、彼を受け止めることは物理的にできないと悟った。そう思って彼女はぎっと歯を食いしばり、砂を蹴り上げて止まる。
一か八かに賭けるリスクは? セナは思考する。でも、そんなこと考えている暇はない。セナはその一回を間違えないように集中した。できる、できるッ!
右腕を伸ばす。強く念じる。循環。動け、私の心。貫け、空気を。指を、弾く──。
──爆ぜろッ!
セナの腕を砲身として稲妻のような炎が走り、空気を切り裂いてゆく。青年は落ち続ける。
炎は青年の着地点に向かい走る、そして着弾し、空気はインフレーションを起こす。
ヂカヂカッ、シュウウ……シンッ──BRAAAAAA!!
爆風と輝きが八方へ急速に広がり、落下の衝撃を──相殺する。遅れて音が来る。加速度が消失した青年は七里ヶ浜にどさりと落ちた。
減速は叶った。セナは駆け寄って、男の子の元でへたり込む。
──成功した、今、上手くいった。暴発しないで高出力のアーツが、扱えた。
「違う、今はそれよりも彼だ。背も年も私と同じくらい……?」
彼の口元に手をやる。息がない。セナは人命救助に関わる基礎講習を正確に思い出すと、至極冷静に心肺蘇生を始めた。
まずは気道確保、両腕を重ねて強く胸骨を圧迫する。一定のリズムで30回。彼女に雑念はなく、ただ目の前の人の蘇生に全力を尽くした。
しばらくして、彼女が脂汗を落とし始めた頃、青年に呼吸が戻った。
「がっ、がはっ──」セナはその反応に驚いてのけ反り、手をのける。
速く鼓動する心臓を落ち着かせながら、ゆっくりと開かれた彼の目を覗き込む。
青年の唇が動いた。
「──僕は……」
青年の声がした。か細くても、真っ直ぐ、澄んだ、藍色の声。
「……僕は、旅に出た」
青年は空に向かって、誰かに向けてそう朧げに呟いた。
──あなたは。
「あなたは誰ですか? どこから来たんですか? どこへ行くんですか?」
セナはそう聞かずにいられなかった。彼女には驚きと興味が入り混じり、頬は紅潮する。
「あなたは」
「Sa……」青年は何かをつぶやいた。
セナはその言葉を聞き逃さなかった。
「Sambhala──」
打ち込まれたその弾丸は、心臓の鼓動とセナの小さな身体を支配した。じんじん、する。
──彼は今なんて? シャンバラって、でも、まさか、そんな。
それはセナが研究をする中で頻出する、最も馴染み深い古シナル祖語──大断裂以前の人類が主に使用した不統一性言語群──の単語だった。
それは、全ての探検家が目指す理想郷の名。セナは疑問に思った。
「なぜ今──」
彼は視界のぼやけを治しているのか、目を薄くした。そして視線を彷徨わせているうちに、セナの黒い瞳を見つける。青年と少女の目が合う。青年は何かを感じ取ったように瞳を揺らす。そして彼は静かに言った。セナの心を見通すように。
語り掛けるような声で。
「……君の不安は、間違ってない」
「っ──」
──なんでこの気持ちを、あなたが。
彼はセナの浅く曇った瞳を見つめていた。それから空を見上げる。
「間違えたから、間違えないことができるんだ」
その言葉はじわりと彼女の胸に沁みて、心を染めた。初めは彼の言っている意味がよくわからなかった。けれど確かにセナは間違えていたのだ。それが不安の正体だった。初対面の人に見抜かれてしまった。でもそれはひとつの助け船だった。セナは理解した。
「ああ、そうか。……そうでした」口に出して腑に落ちる。
──私は母さんになりたいんじゃない。探検家になりたいんだ。
セナはようやく答えを見つけた。幼い頃、母親に伝えたような純粋な気持ちで探検家になりたいと、もう一度言ってもいいのだと。やっとわかったのだ。
「うん、私、探検家になりたいんだ……──」
瞳の曇天が晴れてゆく。青年はそれを見ていた。
「そっちの方が、ずっといい」
彼は雪の降る夜のような声でそう言った。セナはぱっと顔を上げる。
「あの……!」
セナは彼が再び眠りにつく前に、言っておかなければならないことがあると強く思った。
それは、彼の名前を尋ねることか。
それは、空から落ちてきた理由を訊くことか。
それは、シャンバラについて知っていることを教えてもらうことか。
それは──。
「私と一緒に、旅に出ませんか」
それは、どんな有用な質問よりも、セナが言わなければならないと思った言葉だった。
セナのその言葉に青年は少し驚いた。けれどその決意に、碧の瞳で見つめ返す。
「名前はロア。……それしか、思い出せない」
今はそれだけでよかった。あとはこれから知っていけばいい。
「私はセナ。セナ・オーブリーといいます。黎明旅団第9支部の学生級……見習いです。でも気持ちは誰にも負けませんし、勉強もできます。掃除は苦手ですが、研究は──」
その一歩を踏み出した。不安は消えた。羅針盤は、もう答えを見つけたのだ。
──炎は彼に応えた。彼とならきっと……。
彼のか細い手を握ったセナは、もう既に彼が再び眠りについてしまったのを確認した。そして小さくて弱いが確かにある脈を確認すると、セナは安堵する。彼女は空を仰ぐ。
太陽は水平線を超えて、深く青い闇夜を打ち壊してゆく。──黎明だ。
陽光に照らされたセナの瞳は透き通る漆黒で、ひとつの曇りもなかった。
これはふたりの少年少女が、最高の探検家になるまでの物語──。セナはそう願った。
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