第109話 消失②
──嗚呼、孤独也。
ペストマスクの男、終末フロイトは仮面の下で静かに涙を流しながら戦場を見渡した。男は涙を流しているが、逆に、フロイトが涙を流していないときなどない。彼はあの瞬間から、涙を止めることが出来ないでいる。
「終末フロイト、そう呼ばれてるな」
男の前に現れたのは、パンツスーツにシャツの女性だった。男はまた、誰かを殺めなければならないのかと涙を流した。そして腕をすっと目の前に上げる。爆発が起き──なかった。それは男にとって不思議なことだった。
「……やっぱり両手を使わなきゃ止まらないな、お前」
『あなたは、なぜ死なないで居てくれるのですか』
「私は自分が惜しいんじゃない。世界を護ってるだけだ」
嗚呼、彼女は私を知っているのだ。終末フロイトはそう思って、歓喜の涙を流した。自分の罪を知っていてくれる人が残っていたのだと。
終末フロイトと言う人間は、ROOT-1773の出身だ。アメリアはボストンの市長であったその男は、市民全員の名を覚えるような、狂気とも言えるほど勤勉な男で、しかしそんな異常さゆえに、皆からは愛されていた。名を覚えるのは愛ゆえであり、常に市民の生活に寄り添った政策を掲げていた。
それはある日だった。彼が町を歩き、いつも通り公務の後に市民と交流している時、何の前触れもなく、力が発現した。
物質の反物質を生成するアーツ。なぜ発現したのかはわからない。だが、発現してしまったものは止まらない。周囲の物質が反物質に触れたとたんに対消滅を引き起こし、それは連鎖的に新たな反物質を引き起こした。
一秒の千分の一の時間で、アメリアの共同体の東海岸を絶滅させた。その反応はその惑星の核を露出させるに至り、結局、ROOT-1773は消失した。
虚無を揺蕩う中で、男は涙を流すことをようやく覚えた。自分が引き起こしたこと、失ったものを思った。彼には妻と、まだ二歳の双子の娘と息子がいた。遊んでやると鈴の音のように笑う年頃だった。
止まらない涙は、偽典ネグエルを引き寄せた。男は言った。家族を取り戻したくはないかと。フロイトは市民も含めて我が家族だと答えた。ネグエルは達成できると言ったらどうすると問う。その問いに、フロイトは全て手を貸すと答えた。
こうしてシンジケートに入ったその男は、今、憎んだ戦争のさなかにいる。誰も殺したくはない。だが、シャンバラは見つけなければならない。
それを止めるものは、殺さねばならない。そんな矛盾の中で、そう、揺蕩っているのだ。
『祈祷ヨシュア、贋作ヴァニタス。彼女らは鐘に祈り、消失した。孤独だ』
呟いた言葉は空に消える。
「どうやらシャンバラの場所を聞いても、消されるだけかもしれないな」
『やればいい』
「自分でやれ」
フロイトは思った。孤独だろうが、やることはひとつだ。ラウラ・アイゼンバーグという女を食い止めるのが仕事だというのなら、それをしよう。ここに来る予定のシンジケートは、我々だけではない。
──臨界、流転、剣聖。
彼、彼女らを待つ間、この女を止めればいい。
それが私の、仕事だ。
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