第10話 過去②
セナはロアの拘束を解いて散歩に出る許可をもらった。ロアは自分の不安定さに関する話を聞いて不安を抱いたが、セナ曰くラウラが居れば大丈夫とのことだった。
彼女の後に続いて医療部棟から少し歩くと、いくつもの柱が並び、月光の差し込む庭園に到着した。艦船にこんな場所があること、もうすっかり夜になっていることをロアは思った。
そしてロアは、その庭をどこか懐かしく思った。
「ここは旅団員から『憩いの庭』と呼ばれています。その名の通りここはみんなの憩いの場で、休日にはサッカーやビンゴ大会が開かれるんですよ。チェスをする人もいます」
楽し気な内容だったが、セナはどこか元気がない。
ふたりは庭園を進んで中央にある噴水のふちに腰かけた。そして彼女は語る。
「私の両親は探検家でした。母は二つ名持ちで、父と一緒に世界中の極地を攻略していったんです。私の憧れでした。父は早くに亡くなりましたが、母とはよくこの庭でピクニックをしました。とても楽しかったんですよ」
ロアはその言葉がすべて過去形であることに気が付いた。
「10年前、理想郷シャンバラにつながると言われていた最難関の極地、ヴィンソンマシフ攻略作戦に挑んだ母は、そのまま帰らぬ人となりました」
ぽつりぽつりと静かな語り口だった。
「帰ってきたのは、同行したラウラとシリウス、それと当時バックアップだったサリンジャーだけ。彼女たちが私の面倒を見てくれるのは、その贖罪なのかもしれません。でも私は恨んでなんていないんです。特に家族を失った私たちの面倒をずっと見てくれたサリンジャーにはむしろ感謝しています」
思わぬサリンジャーとセナのつながりに驚いたロアだったが、彼は気になった。
「私たち?」複数形。
セナは懐かしむような顔をした。
「言ってませんでしたね。私には双子の妹がいたんです。エマと言うんですが、私に似ても似つかずで、面倒くさくてひねくれた子です」
いや、似ているよ。ロアは口には出さなかった。
「4人家族か」
「ええ、騒がしくて、楽しい家でした。そこが大好きだった」
「その妹はどこに?」
セナは両手で組んだ指を見つめる。
「小さい時、生き別れました」
「……そうか」
セナは18歳にして、既に何もかもを奪われているのだ。
「あなたの暴走を見た時、怖いと思いました」
ロアは遠くの地面を見つめた。自分はバケモノなのかもしれない。ならいっそ──と。
でも、セナはそんなことを思っていたわけではなかった。
「あなたを失うかと思いました」
ロアはセナの方を見た。
「……私は別れを恐れているんです」
震える肌。季節は夏なのに。
満天の星を仰ぎ見るように、ロアは背もたれに身を預ける。セナはロアを見た。
「僕はどこへも行かない。君との旅を終えるまで」
「そんなの、確証がありません……」
「ないさ。でもそう思っておけば気は楽だろう」
セナはまた前を向いた。
「それも、そうですね」少し顔が和らぐ。
ロアは続けた。
「僕は自分が何者かを良く知らない。サリンジャーの言っていることが正しいのかもしれないとも思った。僕はバケモノなのかもしれない。でも、正直そんなのはどうでもいいんだ。君が良いのなら、僕は共に歩くよ。その先が、堪らなく見てみたくなったんだ」
セナはロアの優しい横顔を見た。そしてそれが、心の靄を振り払う。
──探検家、か。
「わかりました。任せてください、パートナーですからね。行きましょうか」
微笑んでそう言って、セナは両手でぱんぱんと自分の頬を叩くと、よしっ! と言って立ち上がった。ロアは驚いて見上げる。セナは月を見上げた。
そして、大きく口をあけ、叫んだ。
「私は、探検家だーっ!」
心を裸にして、むき出しの彼女は止まらない。
「私に必要なのは未来でも、過去でもないっ! ただ道だ! 私は後悔しない、この道を進んだことを、絶対に後悔なんてしない! ロアと旅に出た、この旅は終わらない、誰にだって触らせない、誰にも止めさせない! この旅は無限なんだからーっ!」
「──」
涙を流して月光を映し、気高く宣言した彼女を、ロアは信じたいと思った。
これまでロアの存在を定義してくれるものはなかった。なんとなく流されここまで至った。その結果の暴発、乗っ取り、ますます自分がわからなくなった。けれど彼女はそんな不定形さを受け入れた。合理性を否定した。ロアは、それこそがロアを定義するものだと感じた。
セナと共にいこう。ロアは改めてそう誓った。
「君はどこに行きたい?」
セナは涙を拭ってロアの方を向いた。
「理想郷。すべての願いが叶う場所。探検家が求める最終到達地点!」
シャンバラ。その言葉を聞いて、ロアは心に何かを感じる。でも、今はそれより。
「行こう。その旅が、きっと僕らを定義する」
セナは頷く。月光はふたりをあたたかく見守った。
「ん~いいねぇ、青春じゃないか」
どこからか現れたラウラが拍手しながら現れる。
ふたりはもはやラウラが唐突に現れることに驚きこそすれ、疑問を抱かなくなっていた。
「ラウラ、僕らはシャンバラを目指すことにした」
「私でも行ったことないのにさぁ。簡単に言ってくれるよね」
「でもいける気がするんです。ふたりなら」
そこにサリンジャーが歩いてくる。もうその視線に剣吞さはない。
「……アタシもポップコーンの提案を受け入れるよ」
「やっと腰を上げたか石頭」ラウラが茶化す。
「だが条件がある。次にこいつが今日みたいに暴走して奴の手に落ちた場合、支部長としてラウラはロアを即時処分すること。状況に関わらず必ずな」
「ああ、それでいい。ふたりのことはちゃんと見とくさ」
そう言ってラウラは同意した。
「どうする?」
「異論はない」サリンジャーの問いにロアは即答する。
「んじゃ決まりだ。食堂にチミチャンガを食べに行こう」
「今日はもう寝ます。いろいろあって疲れてしまいました」
セナの顔には疲労の色が濃い。今日は本当にいろいろあった。
「そか。じゃ、ロアにはこれだけ渡しとくよ」
ラウラがロアに何かを投げる。
ロアが受け取ると、それは鈍色の指輪だった。
「Cocytusだよ。探検家の証さ。それを持つにふさわしい人間になることを願っている」
ロアは手の中の小さなデバイスを見つめた。胸が温かくなった。
バァイと片手を挙げて去るラウラ。サリンジャーもその後ろを追う。そして彼女は振り返ってふたりを見た。
「言っとくが、編入試験は別で実施するからな。落ちたらそれは剥奪だ。シャンバラなんて夢のまた夢。冗談にもならない。だからアタシが鍛えてやる。少なくとも極地の浅部で野垂れ死なないくらいにはな。明日から始める。特にもやしの方。じゃ、おやすみ」
そう言ってまた戻る。それはサリンジャーなりの優しさなのだろう。彼女とてセナの新しい友人を喜んで殺すほど冷徹でもないのだ。
「は? お茶だぁ? チミチャンガにはビールって決まってる」
「お前はほんとに酒カスだね。敬語も使えないし。どこで育て方を間違えたかな」
大人たちは庭園を後にする。希望にあふれ、それでも色々あって、疲れて眠ってしまった少年と少女をあとにして。
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