5 露見と室内相合傘と牢獄
「先輩、リプ来るのか……というか、こーいうのやる人だったか。ふむ……ん?」
日傘の裏側を淡く照らすデバイスに、後輩の視線が注がれる。存在感のある瞳は、純粋に懐疑の念を発していた。
しまった、失敗した。
普段ソシャゲ以外の通知なんて来ないから、完全に油断していた。
表示された文字列を見て、彼女はどう思うだろうか。
そもそも、『距離近かわいい後輩』を自分自身だと見做す?
ぼくが後輩を遠ざけたがっていると気づけば、彼女は素直に傷ついてしまう?
それは望むところじゃない。けれどカノジョのことを考えると、後輩にはぼくから離れてもらったほうが良いのも確かだ。万が一の可能性だけど、呪いがぼくだけでなく後輩にまで及ぶかも。
カノジョはなんだかんだ良い人そうだし無いとは思うが……何があるかは不明だし。
とにかく、今は後輩の反応だ。
こっそりと、隣人の方を偵察。バレないようにと心がけたつもりが、
「先輩」
思い切り目と目が合った。丸みを帯びて底なしの瞳と、視線がぶつかって彼女の圧に押し負ける。
「たいへん。こんな子がいるなんて、大問題。ハッシュタグでいるかも分からないどこかの誰かに相談するしかないなんて、追い込まれてる証拠。正気の沙汰じゃない。狂気の産物。すぐに後輩リラクゼーションを受けるべき」
気づかれていなかった。もしくは、気づいていながら無視をした。ぼくは後輩を信じているので、前者を採用。それで平和だ。
「そ、そっか。未唯後輩から見てもそう思うんだ」
「当然。先輩は全く女子に慣れていないから、触れるのは犯罪的だ。今すぐ手首足首に縄をかけて逮捕するべき。鞭も添えよう」
ふんすと鼻を鳴らして、かなり強めな主張を展開する少女。鏡に向かってブーメランを投げつけるみたいな所業だ。
不思議な気持ちが積もって、つい口をついた。
「それを言ったら、後輩はどうなの?」
「わたしはちゃんと配慮している」
「それで⁉」
今だって室内相合傘のせいで、お互いの衣服の皺と皺が噛み合うような近さ。周辺に構築された机のバリケードに加えて、開かれた傘が極めて小さいから身動きが取れない。
この状況を作り出したのは後輩なのに、配慮してるとは?
「どの口が言うのやら。ぼくは後輩に騙されて、ここから動けないんだけど」
「だけど、触れてはいない」
「いや明らかに接触してるよこれは」
「これは服と服がちょっと衝突しているだけ。なんでもない。というか先輩が過剰に意識している。これぐらいの距離にあることは普通。ぼっちだから知らないだけ」
「そう、なの……かな?」
「そうそう。クラスのみんなに聞いてもそう言うはず。会話できるなら、だけど」
未唯後輩はあどけない容姿に似合わず、不敵にぼくを煽った。見た目だけは無垢一色だから、生じるギャップがとんでもない。彼女がじわりと滲ませた余裕に見とれてしまいそうだが、綿あめで圧迫されているような気分。甘くてふわふわしているが、一度触れればべたついて離れない。
そんなイメージがパッと頭の中に浮かんで、ぼくはそれに従おうとした。真っ黒な傘の骨の牢獄に囚われていて、出来なかったけど。
狼狽えるぼくをじろじろと観察して、少女はぐいと身を乗り出した。至近距離で更にひとつ踏みこみながら、ギリギリのところでぶつかってはいない。
目と鼻の間よりも、物理的に近くで――彼女は挑発した。
「残念なおしらせを、ここでひとつ。わたしはまだまだ、まったく本気を出していないんだよ、せ・ん・ぱ・い。小指の先で遊んでいるようなものだ。その証拠に、この身はあなたに触れてはいない。もっとやる気を出せば――どうなるだろう?」
確かに、その言い分は本物だった。
今現在だって接触事故寸前みたいなものだけど、後輩はぼくに触れてはいない。少女の具体的な感触はない。
いやこんなのはもう、どのアングルから誰が観察してもほとんど抱擁みたいな体勢だけど――当事者ふたりだけが触れ合っていないことを知っていた。
しかし、納得いくかどうかは別のお話。
要望は伝えなきゃ伝わらない。
「あの、えっと、ぼくには加減、もっとしてくれない、かなー、なんて……」
「ほどほどでは、いつまで経っても進歩がない。足首までのプールにいても、泳ぎは絶対に上手くならない。だからわたしは、妥協しない。理性を維持しながら強め強めにアプローチして、頑張って慣らしていくのが」
「だからって、いきなり足が付かない水深だと大変というか、本気出しすぎというか……」
「ほんき? ――ふっ」
また大胆に口元を歪ませると、ふたつの眼球が獰猛に細められた。子猫がいきなりライオンへと変化したような、そんな感じ。ちなみにぼくは、百獣の王に踏みつけられる雑草あたり。
可愛くも凶暴な女王は、破顔しつつ牙をみせる。
「わたしが本気になったら、先輩は一撃だ。心臓がドキドキしすぎて、真っ赤になってそのまま動けなくなる。そのまま情けなく、後輩のとりこになってしまうはず」
「後輩、さすがに大げさだ」
「これは誇張じゃない。って口で言うだけでは無意味だから――そうだ、いっこ実験してみよう。先輩、この傘は何のために開いたと思う?」
「それは、きみが相合傘をやりたくて――」
「甘い。先輩は溶けたアイスよりも遥かに甘い。これはね、目隠しだ。外から内部を確認できなくなるようになる仕切り。つまりどんなにワルいことをしても、誰からも見えないのであれば問題ない――さて、何をしようか先輩」
右手を口元に当ててクスクス笑う、その仕草に意識をもっていかれる。
ゆるく曲線を描く瑞々しい唇と、添えられた小さな手。
一度思考が囚われれば、そこからもう抜け出せない。
「あーあ、これだけで赤く色付いてしまった。先輩、分かりやすくていいね。じゃあ、もっと色濃くしてあげようか。その口が頼むのであれば――」
人の悪い笑みが迫る。
逃げ場がなくて、動かせるのは瞳だけだ。
右に左にと二つの眼球を必死に動かして――視界の端にもうひとつ顔があった。
というか、それは見知った生首だった。
傘を貫通しているから、カノジョの首だけが独立してそこに浮かんでいるかのように見えていた。
首ひとつになって、カノジョは叫んだ。
「リプ百件送ったんじゃから、ひとつぐらい返せ愚か者!」
知り合いの幽霊少女が、見ないうちにインターネットストーカーになっていた。