3 陽キャ女子と悩み相談と距離感
「やほー。あたしが昨日キミにリプ送ったアカウント、『イナにゃん』の中の人。ま、分かりやすいアカ名だし気づいてるっしょ。相談乗るよー。バシバシ乗るよー。なんでも来いだよー」
「ど、ども……」
登校してきてすぐの教室で、人と話すのはいつぶりだろう。しかも相手は、クラスの陽キャ女子である一猫依菜。
彼女はぼくらの教室の前で、片手で明るい色の髪を弄びながら立っていた。たびたび学校をサボっている人間だが、今日は早起きのようだ。もう片方の手にはスマホがあって、なんとも話しかけにくい。
リハビリには重い相手。こちらは授業のペアワークでもなければ放課後に一言も発せない人間だが、ここは挑むしかない。
「で、相談は、えっと……『距離感が近すぎるかわいい後輩女子がいる』と。あー、なるなる。ちなみにどなた?」
「路無未唯っていう子なんだけど」
「知らな。ま後輩だから、とーぜんか」
スマホでメモを取りつつ、ふんふんと首肯している。
「じゃ次。どーしてかわい女子に距離詰められると困るわけ? ダメなん?」
「ダメじゃないけどダメというか、ぼくがダメじゃないけど他がダメというか」
「あー、クラスのダルい男子がその後輩ちゃんのこと好きで、嫉妬されてウザいてきな?」
「そういうちゃんとした人間関係的なの、ぼくは構築できてないから……」
「へー、いいじゃん。うらやま。あ、これあたしの感想だから気にしないでいいよ」
すさまじいフリック入力速度でメモを続けながら、一猫さんは目配せでぼくに続きを話すよう促した。
「クラスの人じゃなくて、えっと、知り合いの女子が……」
「あー、そっか。なる。カノジョね。りょーかい。……それは、うん、だる。だるだわ。そーだん相手に困るのも分かる。悩みに悩んで、なやになって、ハッシュタグでとち狂ったお悩み相談するのも納得納得」
「やっぱりあの行動、おかしかったかな」
「そーとーね。見たとき、ちょと吹き出しちゃったくらい。でもおもしろかったから、いーと思うよ」
目の前のクラスメイトが浮かべた、意外な柔らかい微笑みにほっとする。もっと違う反応をするとばかり考えていた。ぼくの予想通り、一猫さんは優しい人だ。
「同級生に恵まれてよかった……」
ほっと胸を撫でおろしていると、彼女は目を丸くしていた。
「いや、ちょっと相談のってあげただけでそんなそんな。どしたの? そんなに心配だった感じ? そっか。じゃあもうちょっと真面目に考えよっか」
しばし頭を悩ませ、
「んー、キミいい人ぽいし、対人関係慣れてなさそうだし、詳しく確認しとこっかな。早とちりとかだったら、悲しいもんね。すぐ誤解は解こ」
一猫さんはそう決めた。
「じゃ、その後輩ちゃんがどーいうことしてくるのか、ちょっとやってみ」
「え、『やってみ』って……」
路無未唯の距離感を、ぼくが再現。しかも一猫さん相手に。考えただけで脳が壊れそうだ。かなり厳しい。
「だいじょぶだいじょぶ。あたし距離近いの慣れてるから。安心し」
「ほんとに?」
「まじまじ。キミが経験するぐらいならよゆーよゆー」
「でも……」
「あそっか、場所も移動しきゃだめだね。廊下の角曲がった先の突き当り、意外と誰もいないから」
場所を変えながら、彼女はピースサインまでしている。記念写真撮影以外で初めて目撃した。これが陽の余裕か……。ここまでされて信用しない方が失礼だ。
歩みを進めつつ、ぼくは放課後の空き教室を思い浮かべる。
後輩とのやり取り、距離感、その他諸々を全てコピー。恥も理性も外聞も捨てて、無心で行動に移す。
一猫さんを五感で――いや味覚は使わないけど――感じられる距離まで近づく。周囲にはたくさん空間があるのに、制服と制服が強く擦れるところまで。
間隔と呼べない間隔。
後輩の行動を再現するという強い目的があっても、どうにかなりそうである。
しかも行動した後、静寂が訪れてしまった。
さすがに引かれたか。
不安になって相手の様子を窺ってみると、一猫さんの頬もほんのり色づいていた。なぜか目もあっている。言葉なしに見つめあう謎の時間に耐えられなくなり、ぼくの口は痺れを切らした。
「えっと、こんな感じ、なんだけど……どう思う?」
「――あ、うん、ごめごめ。ちょっと驚いちゃった」
クラスの中心にいる陽キャ女子を、驚愕させるレベルの距離感。路無未唯はその域に至っているらしい。そりゃ、ぼくなんかじゃ太刀打ちできないわけだ。
「ここまで肉薄されると、一猫さんも引く感じ?」
「いや? ――いやいや全然! あたしが引くとかはないかなー? 驚いたってのもちょっと言い過ぎで、あそうなんだーみたいな? このぐらいならまぁ? 交流の範囲内っていうか? かなりマジっていうか? 既得権益にここまでやんのはもはや宣戦布告っていうか――までもアリかなー? アリなんじゃないかなー?」
ありなようだった。
「気にするほどでもないと思う? ぼくが強い意志と毅然とした態度で後輩に向き合えれば、それで解決する話?」
「それはない。ぜったいない。これは、ムズだよ。難しいし、むずがゆい」
うーむと、一猫さんは唸りを発している。数度の瞬きで長いまつ毛を揺らした後、
「とりあえず、露骨に距離を離してみ。その時の後輩ちゃんの反応教えて。そこから、また対策練っていこ」
しなやかな右手が差し出された。
「これは長い戦いになるから、がんばろ。またなんか思いついたら、リプかDMで送るから見とき。フォローは返さなくてもいいから」
「あ、うん……」
ぼくもそうっと右手を前に出すと、握手が成立する。温かい。手が温かいと心が冷たいという話があるが、それはきっと嘘だ。
というか親切すぎて、ぼくの心には疑問まで生じていた。
勇気を出して心中を言葉にしてみる。
「一猫さんはさ、どうしてここまで親切にしてくれるの?」
問いに対し、彼女は微妙にはにかむ。
「えっと、なんつーかお互いに同じものが見えてそーだからっていうか、見えちゃってるていうか」
「同じものって?」
「ええと、あの、あたしが変なこと言っても、キミは笑わない?」
「人間誰だってちょっと変わってるから、大丈夫。ハッシュタグで悩み相談するより、たぶんマシだと思う」
「それもそか、ありがと」
じゃあ、と気を取り直して、クラスメイトは打ち明けた。
「あたし、普通の人は見えない、変なの見えちゃうんだよね。なんかこう、ぼやっとしたやつが」
「霊的なやつ? なるほど」
「そんなに驚かないってことは、やっぱキミにも見えちゃうんだ」
「うん、まあ。ぼくもたまに。この学校結構多い、気がする」
「だよね。でさ、ええと……」
クラスメイトの言いよどみを、始業のチャイムが遮った。職員室からやってきた教師がぼくの肩を叩き、早く着席しろと急かす。
二人揃って慌てて教室へと戻る途中に、
「ちょっと前、ボヤっとした変なのがあたしの周り来た時、キミが睨んで追い払ってくれた時あったよね? あの時も、ありがと」
しれっとお礼を言われた。
どういたしまして、とは返せなかった。
その幽霊的なの、きっとカノジョだから。