1 距離近かわいい後輩と、距離の取り方
「先輩、今日はわたしと手を繋いで帰ろう。仲良しの証だ」
「――過剰だ、後輩。ぼくにそんなこと言われても困るし、なんか違う」
ぼくにはカノジョがいるから、こう返すしかなかった。事情を知らない後輩は、かわいらしく首を傾げる。肩にかかる黒髪が揺れ、蠱惑的な瞳がまばたきをした。
「何故? クラスの久原さんと久方さんは、いつもそうして帰っているが?」
「女子同士でしょ、その二人は。ぼくらとは違う……てか、なんで少し怒り気味?」
「さっきの先輩の拒絶は、仲良しに向かって仲良くないと言うようなもの。喧嘩を売られたと解釈して、こっちも買ってみた。えへ、なかなかたのしい。仲良く喧嘩とかいうの、わたしの憧れだったからね」
「将来、変な石とか壺とか買わされないようにね……」
彼女は、路無未唯は過剰だ。
距離が近い。距離感が壊れている。
今だって、夕焼け色の制服と制服が触れあう距離にいる。
友達という言葉ではほど遠く、親友でもまだ足りない。
友人がまるでいないぼくからすれば、路無さんの存在は救いだが――友達のいないぼくだからこそ、路無さんの存在は試練だった。
要するに、どう接していいか分からない。
気恥ずかしくて色々と言葉を並べたが、その一点に尽きる。
「人を爆弾のように捉えないで、先輩。わたしは危なめの女だけど、爆発なんてしない。丁重に扱えば安全」
「他者を丁重に扱うの、ぼっちには無理だよ」
ぼくが今からサッカー部に入って、女子マネージャーと付き合うぐらい無理だ。
「ぼっち? 色々いるでしょ。わたしとか、えっと――路無さんとか」
「水増ししちゃダメだよ。不正だよ」
「先輩への感情は二人分ぐらいあるから、きっとセーフ。敬意はないけど、愛はある」
「……よくそんなこと言えるね。ぼくには恥ずかしくて無理だ」
「いちど口にしてしまえば慣れる。ほら」
またぼくらの間がなくなる。彼女は耳に手を添えて、ぼくの口元に小さな頭を寄せる。
「これは、なに?」
問うと、
「言葉になった愛情を求めている」
答えに添えられたのはあまりに曇りない瞳、淀みない声、迷いない姿勢。ぼくが間違っているのかな? という気分になってくる。
「音になった先輩の愛を、わたしは求めている」
重ねて言われると、戸惑う。独特の柔らかな圧が伝わってきて、思わず彼女の要求に従ってしまいそうだ。しかしこちらにも打ち勝つ意思がある。
「愛は?」
直球だった。ど真ん中ストレートの囁きで、こちらの硬い決意を融かしにくる。だが負けない。こちらにだって強固な理論武装がある。
「ぼくらは先輩後輩であって、愛なんて――」
「友愛は?」
――潔くこちらの負けを認めよう。未唯後輩の一言でぼくは悟った。この時点でもう詰みまで見えているし、この次の手は決まっていた。
「わたしたちは親密であるから、友愛はあるはず。ないはずがない。なければ、友達でなくなってしまうし、それはとても悲しいこと。悲しいのは、いや」
続く内容は、ぼくの予想した通りだった。なお先読みできたからと言って、反撃できるわけでもない。敗者に許されるのは不満を述べることぐらいだ。
「そのやり口、ずるくない?」
「ずるいから、なに?」
確かに、卑怯だからといって何があるわけでもなかった。
たくさんの疑問符を頭上に浮かべて、彼女はぼくを間近から見上げた。
「むしろわたしには、先輩がなにを躊躇っているのか分からない。ここは他に誰もいない放課後の空き教室。恥ずかしがることはなにもない。自由闊達に愛を伝え合おう」
十全な笑みでの提案に、今すぐにでも頷いてしまいたい。だが、ぼくにはそんなことできない理由がある。
「どうした、先輩。わたしの方を真剣な顔でじっと見つめて。熱烈だ。照れる」
勘違いだ。
ぼくが見ているのは、路無未唯の少し先。
少女の背に浮かぶ、ヒトガタ。
色の抜けた長髪、生気を感じさせないほど白い肌に、おまけに分かりやすく透けた両足。
見た目は美しいが、それ以上に恐ろしい存在。
都市伝説になるはずのカノジョが、ぼくにだけ聞こえる声で言った。
「おぬしは、わしを選んだはずであろう? ならば、この女をどうにかせよ」
「それは誤解で――」
カノジョに対する弁解は、未唯後輩が強引に奪い取った。
「誤解じゃないですよ。だって、先輩の瞳にはわたしの姿しか映ってないですから」
「……この女、マジでどうにかせよ。できなければ、おぬしを抱きしめて、たっぷりと呪い――その先は分かっておるな?」
カノジョより距離の近くてかわいい後輩を拒絶しないと、嫉妬されてまずいから――誰か助けて、ほんとうに。
下の【☆☆☆☆☆】、ブックマーク、感想等で応援してもらえると、執筆の励みになります!