夏から春へ
潮の香る港町。眩い月光が照らす夜。
かつての騒動と同じように、人魚が浜を訪れていた。
当の発端である海神の姫、波花。またも海底から抜け出した彼女は人の姿に化け、人の町をうっとりと眺める。
「私も母様みたいな恋をするんだから」
あの日以来、彼女は海底の城で両親と共に過ごしている。
幸せな毎日。常に見る仲睦まじい姿。憧れを抱くのも当然だろうか。
だから再び抜け出してきて、恋の相手を探そうとしている。
「さて、何処にいるかしら」
と、早速浜辺を歩く人影を見つけた。
酒の匂いを漂わせながらも眼光の鋭い男。波花を狙う潮目屋に雇われていた用心棒、虎八だった。
「あん? 手前は……」
虎八は品定めするように見つめ、波花もまたじいっと観察する。彼女は当時彼と会っておらず、気付けない。
強い憧れもあってか、これは良縁に違いないと思ってしまった。
「ね、いい男じゃない? 私と逢引してくれない?」
「……おう、いいぜ」
虎八はニィッと笑い、近寄ってきた波花の手を力強く掴む。
「ちょっと! 強引なのは好きじゃないのよ!」
「はっ。小娘なんざ趣味じゃねえ。旦那は駄目んなっちまったが、欲しがる奴はいくらでもいる。高く売り飛ばしてやるよ」
「……そう。あなたは違うのね」
流石に憧れも冷えた。
目は冷徹に。裏返った感情が爆発。
巨大な鮫に化け、牙を剥く。人を容易く喰らう海神の姫の力だった。
「いいねえ! 斬り甲斐がある! 俺の腕の値打ちを量ってみな!」
ただ、虎八は常人ではなかった。
動作は俊敏。突進を見極めて避けつつ、並ぶ歯を斬り裂かれた。
歯以外を傷つけず根本から綺麗に。腕前を見せつける為に。
「へえ。こんなもんか。鱶鰭は大陸に高く売れるらしいな? 斬っちまっても良いか?」
舌なめずりして虎八は刀を構えた。
悪意が姫に迫る。勢いは削がれ、残るは恐怖。
「い、いやっ……!」
鮫から人の姿に戻り、頭を抱えて悲鳴をあげる。刀を持たない左手で、虎八は今度こそ捕らえようとした。
その時。
「姫様!」
大波が浜を襲った。虎八は瞬く間に流され、目の前から消える。
波花は逆に浜から沖へ。
彼女を救ったのは海坊主だった。
「青黒ぉ……」
「此度はすぐ気付けましたな。さ。帰りましょう。主が心配します」
波花はパチクリと瞬き、じっと観察。
そして熱意のこもった視線を向ける。
「青黒。あなたって素敵じゃない? ね、私と恋をしてみない?」
「な! 何を仰いますか。お戯れは程々に……主の姫に無礼は働けませぬ故……」
「私は本気!」
強く抱きつく波花、困惑する青黒。
明るい騒ぎで波が立つ。海面に映る月が荒れ、海はただ雄大に広がっていた。
山中の小藩。かつて河童が降らせた長雨に悩まされた土地。
「はっけよい。のこった!」
燦々と晴れた空の下、川辺に造られた土俵で相撲が執り行われていた。
土俵の周りで見物するのは河童達。
取り組む二人は麗しい女傑の滝姫と、河童の長である大柄な酒丸だった。
互角の組み合いのようだったが、徐々に酒丸が押されていく。純粋な力技で体格差を覆していた。
そしてその勢いのまま、滝姫が酒丸を土俵の外へ投げ飛ばす。
「滝姫様の勝ち!」
行司役が宣言し、客が沸く。熱狂的な盛り上がりは夏の日差しにも負けない。
無数の声援に応えた後、腰に手を当て堂々と立つ滝姫は酒丸に告げる。
「拙者の勝ちだ。また治水を手伝ってもらうぞ!」
滝姫が相撲で勝てば河童は願いを叶える。新たな長と取り決めた条件の一つだ。話し合い、報酬も出すが、河童としての矜持も汲んだ形。
無理に命令はせず交流を重ねる、それが滝姫の定めた方針である。
みなみに今のところ全戦全勝であった。
「何故勝てねえっ!」
「ははっ! せめて前の長より強くならなくてはな!」
「上等だ! 超えてやる!」
「それに、あんな条件を出したのが悪い。おかげで死んでも負けられぬ」
荒々しく叫ぶ酒丸に、滝姫は静かに強気な笑みを返した。
酒丸が勝ったら嫁入りする。
一度その条件を飲んだ以上、約束を破るつもりはない。だから負けない。滝姫は今も強い思いを抱いていた。
「……奴はアンタがそこまで執着する程の奴か?」
「長ともあろう者に見る目がないとは困るな! 来六は良い旦那だったぞ!」
滝姫は豪快に笑った。自らに恥じない生き方が彼への報いになる事だと信じている。
青空は高い。滝姫の笑い声は何処までも届くかのように響いた。
かつて山姥が事件を起こした、小さな藩の城下町。その奉行所。
「のっぺらぼうの件はまだ解決出来ぬのか」
同心の里見清蔵は渋い顔で問いかける。
妖怪相手の事件では武士の仕事ではない。彼の役割は専門家との繋ぎだ。
過去の事件により消えた者の後釜に来た、若い草薙衆の男は弱々しく頭を下げる。
「申し訳ありません。調査は難航しておりまして……」
「何日かかるのだ」
「妖怪に隠れられてはどうしても後れを取ってしまいます故……」
前任者の優秀さを今になって思い知り、清蔵は溜め息を吐きたくなる。信頼していただけに恨みもするのだ。
刑の前に姿を消した後、様々な場で活躍し、草薙衆の頭領にも許されたとの話は伝わっていた。ならば帰ってきてもらいたいと思う程の忙しさだ。
が、いないものは仕方ない。今の状況での最善を尽くす。
「人員は出す。調査を手伝わせよう」
「いえ、訓練されていない方では惑わされてしまいます……」
「甘く見るな。まず此方を信用してもらわねば進まぬ」
「いえ、しかし……」
「ならば私がお手伝いしましょう」
聞き覚えのある声が割り込む。
バッと振り向けば、そこにはまさに思い出していた男が立っていた。
「里見殿、お久し振りです。信太郎、只今帰りました」
「……よく顔を出せたものだ。此方より先に出向くところがあるのではないか?」
「三宅殿の墓参りは済ませました。謝罪もとうに」
やはり生真面目な男だと感心。
であるからこそ、遠慮せず仕事を振る。
「……聞いていたなら話は早い。すぐ調査にとりかかってくれ」
「承知しました」
「え、え!? あの信太郎殿ですか! 今代の英雄の!」
「はい。信太郎と申します。どのような噂を聞いたかは分かりませんが」
「謙遜のし過ぎは印象が悪くなります。旦那様が得た信頼の証でございますよ」
「……それはそうだな」
若手に熱く慕われようと仏頂面を崩さない信太郎。
礼儀正しく助言したのは、彼の妻。一歩引いて寄り添う彼女はしずしずと夫を支える良妻そのものだ。
ただ清蔵は、この妻の正体を知っている。
山姥。そして後ろの子供達もその血を引くのか。
警戒しつつ見据え、確認する。
「……あのような事は、二度とないのだな?」
「はい、間違いなく」
清蔵は妖怪をよく知らない。胡散臭く、恐ろしく、とても安心はできない。
ただ、生真面目な彼の発言は信じられる。
「ならば良し。早く済ませて帰ってやるといい」
「有り難いお言葉です」
「お待ちしておりますよ、旦那様」
「おっ母どうしたの?」
「父ちゃんおしごと?」
「や、一緒に遊ぶ!」
「こら、困らせないの」
家族は伸び伸びと賑やか。流石に信太郎もくすぐったそうに微笑む。
清蔵もつられて頬が緩んだ。それでも悪いが父親は借りていく。
調査に向かえば、信太郎の顔つきは鋭くなった。若手と話し合いながら町中へ。
待つ家族はのんびりと春の日和を楽しむ。
人と妖怪、交わらないはずの暮らし。清蔵の認識は早くも変わりつつあった。




