九 再会と、新たな出会い
仄かな朝日が差す寺院の境内。静かで厳かな場に、風を切る音だけが響く。
寒い中、信太郎は一心に素振りをしていた。熱心に取り組めば冬でも汗が流れ、体を冷やす。それでもまるで苦ではなかった。
鍛錬は日課。
そして無心でこそ考えが浮かぶ事もある。
鍛錬に励みつつも永の思惑を考えていた。
天狗に勝てないと判断したのではないはずだ。これまでの戦いを経てきたのだから自分達の強さには自負がある。
だからきっと、天狗に打ち勝つだけでは得られないものを得ようとしてしているのだ。
ならば、それは何か。
急に態度が変わったのは、交渉を持ちかける直前。やはりそこが怪しい。
細かく思い出す。
永は攻撃を食らい腹を押さえていた。
とすれば、その負傷が大きく、あるいはこれまでの傷が蓄積しており、天狗に癒す手段を求めたのだろうか。
「……それは弱い気がするな」
永には女神としての矜持がある。散々煽った相手に助けを求めるのはらしくない。
そこで更に深く思い出す。永は何を言っていたか。
ヒルデは己の子だと主張していたはず。やはりヒルデと関係がありそうだが、そこで詰まる。
永も信太郎もヒルデも、未だ天狗から何も得ていないのだ。
揺るがぬ素振りと惑う思考。それらを纏めて、か細い呼びかけが中断させた。
「シンタロ」
少し開けた障子から顔を出すヒルデ。
寒いのか体に布団を巻き付けていた
「おお、ひるで。まだ寝ていていいのだぞ」
「……イッショ?」
「……そうだな。ここらで終えるか」
愛おしい声に、もうしばらく続けようとした意思は簡単に折れた。
汗を拭い、ヒルデの着替えを手伝う。朝の支度だけでも一苦労だが微笑ましい。
罪人としての贖罪と、幸せになる旅の両立。三人が揃えばどれだけ心地良い事か。
永がいれば永にべったりだっただろうか。二人きりだからこそ懐いてくれたのかもしれない。
「……ならば、それが永の狙いか?」
怖がられていた信太郎を見かねての一計。
すぐ迎えに来ると信じていれば危険もない。
ヒルデも信太郎と永の子なのだから、そこまでする価値はあるだろう。
「いや、おれ達の、子……?」
ふっと、ある仮説が降りてくる。
そう、山姥は山の母。永は子供が好きな女神なのだ。
「……全て、おれのせいか」
自然に浮かぶ暗い笑み。辿り着いた答えに、信太郎は自嘲するしかない。ヒルデが小首を傾げていたのに気付いて慌てて取り繕った。
和尚へ丁寧に礼を言い、出発。
一刻も早く永と会うべく、ヒルデを背負ってひた走る。健脚は万全。薄っすら雪の積もった山中を飛ぶように駆けた。
その途上で、小さな天狗を発見。天狗の長の配下らしい彼らは監視するばかりで手は出してこない。近い証拠だろうが、不愉快なので速度を上げて突っ切る。
石段も軽やかに跳び、疲れも寒さもなんのその。ヒルデに害が及ばないようにだけ気を付けて全力疾走を続ける。
そして、遂に。
「永!」
鞍馬山の奥、鞍馬天狗の伝説が残る地、僧正ヶ谷。御堂の前で妻は待っていた。
「待っておったぞ、旦那様」
厚着を着こなした美しい姿。妖艶な微笑み。
別れていたのはたったの数日なのに、愛しい気持ちが溢れる。
それはヒルデも同じだった。
「エイ!」
手を広げ、満面の笑みで飛び出そうとする。
が、信太郎はその背中を抱き留める。振り向いて睨まれ罪悪感を覚えても離せない。
永を隠すように天狗が立ちはだかったからだ。
「……山姥と交わした約定は、あくまで捨て置くのみ。其方から来たのなら話は別だ」
恐ろしい形相で羽団扇を構える。威圧感はやはり凄まじい。
歩けば数歩の距離を大きく隔てる大妖怪。神威が場を支配する。
だが永は平然と天狗を無視し、信太郎に語りかけてきた。
「わしがこんな事をした理由は分かったかの?」
「ああ。よく分かっている」
信太郎も同じく堂々と応える。互いしか目に入らないように。
答えは重い。
自分自身の罪と向き合うには真摯で、幸せと向き合うには不安げで。
決めたはずの覚悟が揺らぐのを押し込めて。
永を優しい瞳で見て、告げる。
「腹に、おれ達の子供がいるのだろう?」
永は満足気に笑い、慈しみを持って腹を撫でた。やはり合っていたらしいと信太郎も微笑む。
夫婦として、子供ができるのは喜ばしい事のはずだった。
ただ。己は罪人だと、信太郎は旅路が始まってから己を律しており、子を為す行為はしていない。
だが正体を知って旅に出るまでの一年の間には、夫婦としての営みはあったのだ。
だとして、これまで何の兆候もないのはおかしい、のだが。
妖怪は人と違う。人より長い期間妊娠していた事例もあるのだ。
ならば道理は通る。
「旅の間、ずっと抱えていたのか」
「そうらしいの」
「何故今まで黙っていたのだ? まさか本気で気付いていなかったのか?」
「面目ないが、そうじゃな」
「珍しい。永も抜けたところがあるのだな」
「可愛げがあるじゃろ?」
「ああ」
戯言は流れるように。楽しくて笑みが自然と溢れる。
ただ。
「……全て、おれのせいだな?」
信太郎は不意に深刻な表情をして、真っ直ぐに問いかけた。
ずっと己の罪を許さずにいた。真摯に向き合っているつもりで、会う人々に過剰だと言われても尚。
そんな自分に子供が生まれたと知れば、どうなったか。
「罪人が子を為せばその子にも咎が降りかかる。罪人の親は子の不幸に繋がる。子を宿したと知れば、おれは姿を消す。そう考えたのだろう?」
「主ならばそうするじゃろう?」
「した……だろうな」
あくまで生真面目にしか生きられない。今も誤魔化さず正直に信太郎は言った。
それでも薄れてきた頑なさの、最後の一線は越えていた。
永が天狗との取り引きで得たのは、信太郎とヒルデ二人きりの時間。
ヒルデと二人の日々で深々と思い知った。
罪人だろうと、代わりの庇護者はいない。例え己の罪により災いが子に降りかかろうと、傍にいなければならないのだ。
「おれの罪はおれだけのもの。子は罰を受けるべきではない。そして新たな罪を重ねる訳にはいかぬ。家族を置いていきなどするものか」
「ほ。気付くのが遅いじゃろう」
「永のおかげで間違える前に気付けただろう」
「今更何を言うとる。前々から散々言っておったじゃろうが」
「済まぬな。独りよがりだった」
言葉より勝る経験をさせてくれた永に頭が上がらない。叱られるのも悪い気がしなかった。
そして仲間外れにさせまいと、隣の子を優しく抱き寄せる。
「勿論ひるでも離さぬ。おれは全てを掴んでやろう」
「そうじゃ。ひるで、主は早くも姉になるのじゃぞ」
「エイ? アネ?」
ヒルデは戸惑うも、二人の笑みにつられて朗らかに笑った。早く意味を伝えたいと思う。
「と、いう訳で世話になったの。もう目的は果たした。帰らせてもらおうかの」
永はひょいと軽やかに信太郎とヒルデの傍へ。
三人集まり、永に抱きつきはしゃぐ。頭を撫でれば嬉し涙が落ちた。和やかな空気が柔らかく包んでいる。
だが。
「身勝手な事を抜かすな!」
山を揺るがす怒号が響いた。
天狗の気迫が周囲を圧し、ガサガサと獣や鳥が逃げていく。木や地面さえも恐れるように揺らぐ。
ずっと放置され、惚気話を聞かせられていたのだから同情しないでもない。
「旦那と夷狄を捨て置く代わりに、己の子を国の守り手として我らに預ける。そのような取り引きだったはすだ!」
「ほ。山姥は獲物を騙すものじゃろうが」
しれっと言い切る永に、悪どい手を使った自覚はない。騙された方が悪いと言わんばかり。
「子供らの教育に悪いのではないか」
「まだまだ先じゃ。大目に見てくれんかの」
やはり信太郎も恐れない。後ろに隠れるヒルデはしっかりと守りつつ自然体。
一方の天狗は、更に怒気を増していく。
「其方らの意思は承知した。やはり夷狄も、夷狄を庇う者も打ち払わねばならぬ!」
「いいえ。今度こそ人の力を証明してみせましょう」
信太郎は緩やかに刀を構え、闘志を漲らせる。落ち着いた心と全身に満ちる活力。調子は万全整った。
一転して空気が張り詰める。
渦巻く嵐。再戦の火蓋が切って落とされた。




