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人でなし夫婦道中記  作者: 右中桂示
第六章 鬼子と明日

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六 信じるとも寒々しく

 天狗との話し合いは決裂。分かり合えないと互いに呑み込んだ。

 であれば、後は武で決する他になし。


 暴風で庵が崩れる前に信太郎達三人は外へ飛び出す。

 森の開けた場から空を見上げた。

 冬の澄んだ空気を乱して荒れ狂う風。嵐の主が堂々と翼を広げている。

 天狗の武力、神通力。

 大妖怪の力はどれ程警戒しても足りない。


 信太郎は地面を踏み締め、正眼に構える。


「山の女神よ、子を守る力を与え給え」


 まずは永の力を借り受けた。

 心身に気力が充実。戦闘態勢を整えた信太郎に、天から威圧的な声が降ってきた。


「聞き分けのない人間には苦労させられる」

「そちらこそ、荒れ狂う神は妖怪に堕ちるものです」

「そうじゃな。見苦しい天狗じゃ」


 永はヒルデを抱えて後ろへ退がる。

 安心させるようにしっかり抱き、ヒルデも強く着物を握っている。なるべく一人で片を付けたいところだ。

 ゆっくりと息を吸い、吐く。力みを抜き、改めて上方の天狗を見据えた。


「いざ、尋常に」

「笑止。人間が天狗と同等と考えるな」


 言うが早いか、空からの強襲。

 瞬時に天狗が迫る。唸りをあげる猛烈な勢いで錫杖が振るわれた。

 刀で受ける信太郎。強烈な衝撃が走り、ビリビリと手が痺れる。が、押し負けずに鍔迫り合いへ。

 至近距離で見た天狗の表情からは、やはり闘志ではなく虫を払うような鬱陶しさが感じられた。人間はその程度か。

 まずはその慢心を覆すところからだ。

 信太郎は剛力を込め、弾くと同時に袈裟斬りを見舞う。

 しかし天狗は再び空へ。反撃は届かない。


 信太郎は落ち着いて態勢を立て直す。

 再び構える。今度は深く腰を落とし、刀を後ろに引く。

 集中。天狗の動向を仔細に追う。


「山の女神に願う。どうか天に打ち勝つ力を」


 指先まで力の流れを意識。次の一振りに全力を乗せるべく、極限まで肉体を研ぎ澄ませる。

 そして天狗が再度急降下。

 爆発的な風。

 消えたような速度だが、確かに見極めた。


 角度と時。これ以上ない的確な合わせ。

 錫杖を軽やかに逸らし、流れるままに刃を滑らせる。

 手に残る感触。腕をざくりと斬り裂いていた。

 交差した後、血を零しながら上昇する天狗。

 これでようやく敵となれたか。


「人にしては良い腕だ」

「ありがとうございます。このままあなたに勝ってみせましょう」

「故に惜しい」


 天狗が次の手を打った。羽団扇を振り上げると、バキッと嫌な音が響く。

 それは木の破砕音。信太郎目がけ横から木が倒れてきた。

 すぐ前へ飛び出したが、そこを狙われる。上方からの錫杖を寸前で防ぐ。

 今度は鍔迫り合いではなく打ち合い。互いに攻撃をさばき、隙を狙い合う。甲高い金属音が連続。一手損なえば終わりの、一瞬足りとも気を抜けない剣戟。

 その周りで枯れ葉が舞う。目隠しだけではなく、暴風に乗ったそれは矢の如し。着物も肌も容易く裂けていった。回避か防御をしなければ剣戟にも競り負けかねない。

 だが、錫杖に集中するしかなかった。


「随分卑怯な手を使うものじゃな。天下の天狗様が情けないのう」

「山姥が人の尺度で侮蔑するか。弱き者程文句を言うものだが、そこまで堕ちたとはな」


 永の挑発にもまるで動じない。

 武も確かだ。人の扱う杖術とは練度が違う。

 それでも食らいついていく。己と永の力を十全に発揮すれば、神にも通じるのだと信じて。


 しかし、天狗は更に神威を強めた。

 荒れゆく風は竜巻へ。

 吹き飛ばされそうな災害。目を開けていられない状況なので、いっそ目を閉じた。

 永の力も借りて集中し、気配を辿る。苦心して引き続き錫杖との激しい打ち合いを繰り広げていく。


 が、音がそこかしこから聞こえるようになった。

 天狗倒し。音の怪異。

 厄介な撹乱だった。

 それでも自らの鋭い感覚を信じる。

 音の中から目標を探り出す。

 風。倒木。枯れ葉。その中に潜む、衣擦れと翼の羽ばたき。そして錫杖による風切音。

 探り当てた標的を狙い、一文字に薙いだ。手応え、あり。


「……全く以て、惜しい」


 届いた称賛。傷を負った天狗は信太郎を認めていた。

 しかし刀と交差した錫杖は、信太郎の鳩尾(みぞおち)を打ち据えていた。相打ちにしては信太郎の方が深い。

 痛みを堪えてすかさず二の太刀。鋭さを落とさずに振り抜く。

 が、容易く見切られてしまった。

 上昇し、少し上空で高さを維持。悠々と羽団扇を振り上げた。次なる嵐が、来る。


 そんな天狗へ向けられた、殺意。鋭い枝が横の木から急速に伸びた。意思を持って天狗を刺し貫こうとするかのように。

 永の仕業だ。


「この山もわしのものじゃ」

「姑息な真似を」


 が、天狗が威を発すれば、一帯に畏怖が轟く。

 伸びた枝が折れて落ちていく。

 天狗もまた山の大妖。この程度は朝飯前か。

 永も引き続き木々を操るが、天狗も対抗。縄張りの奪い合い。本拠である鞍馬山が近い分、やはり天狗の有利なのか。


 拮抗状態で、天狗が錫杖を投擲。

 永が掌で受け止める。が、直後に天狗が追いついて羽団扇を叩きつけ、強引に押し込む。永を強烈に後方へ吹き飛ばした。

 その間にすかさず信太郎が疾走してヒルデを確保。

 警戒したが、天狗の視線は永に向けられている。


「山姥は所詮女神の残滓でしかない。我らに敵う道理はないのだ」

「ひるではもうわしの子じゃ。母が我が子を守れん訳がなかろう」

「滑稽な。同族と夷狄の区別もつけられぬとは。夷狄ではなく己の子を守るべきであろう」


 押し負けようと天狗との言い合いでは余裕綽々な態度。

 痛むのか腹を押さえつつ、顔つきは勇ましい。


「ほ。じゃからわしの子はひるでだと言うて……」


 だが、その顔も途中で急に曇った。

 己の腹を見つめる。そのままじっと動かない。


 妙な間を訝しみつつ、天狗が走る。隙を逃さす程甘くはないのだ。

 そうはさせじと、信太郎が背後から打ち込む。

 心配はあれど剣筋は鈍らせない。

 幾度目かの剣戟。目にも止まらない早業の応酬。ここが正念場だと気炎を上げながら、冷静に技を見切り捌く。

 肩に傷を負いつつ鮮やかな刺突を放った。が、空振り。

 天狗は消えていた。逃げた訳がないと気配を探す。


 現れたのは永の背後。

 信太郎が急ぐより先に、永は軽く声をかけた。


「……のう。天狗よ。上手い話があるぞ?」

「今更なんだ。山姥と交わす話など皆無」


 構わず振り下ろす錫杖を紙一重で避け、永は滑らかに踏み込む。

 一息で詰める間合い。

 寄せる顔。永がしたのは、攻撃ではなく耳打ちだった。


 だが、それがなによりも効いた。


「それは真か!?」


 天狗が大いに食いつき、永はしっかりと頷く。そのまま小声で何かを話し合い出した。

 余程上手い取り引きを持ちかけたのか。今更交渉に発展するとは思わなかった。

 なにか、信太郎の知らない事に永が気付いたらしい。


 暴風が止み、穏やかな森へ。信太郎も薄れた戦意のまま構えだけは維持しておいた。

 しばらくの後に、話は纏まる。


「いいだろう。乗ってやる。夷狄は今しばらく捨て置こう」


 天狗は意見を翻した。不思議な程にあっさりと。

 しかしその代償は、やはり大きい。


「信太郎、ひるでは任せたぞ」


 振り返り、寂しげな笑みを浮かべる永。言外に伝わるのは強い信頼。悲壮感がないのは救いなのか。

 一陣の北風は、天狗の起こしたものではなかった。

 翼を広げて舞う天狗と共に、永は彼方の山へと去っていく。


「エイ! エイ!」

「済まんのひるで。お別れじゃ」


 薄暮の空から降る声はいつまでも名残惜しく響いた。

 唐突で、呆気ない別れ。大泣きして飛び出そうとするヒルデを掴んで引き留める。


 胸に満ちる重い無力感。信太郎はギリ、と奥歯を噛み締めた。

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